さゆりは迷っていた。
田舎の古民家を再生させて趣味と実益を兼ねてその人生を楽しむ、
TVや雑誌で目にするその他人の人生を羨望する人生を過ごすか、リスクを承知で人生の集大成を作り上げるか、
なんと、さゆりひとりで決断と実行が出来るのであるのに、
ただ1つの足かせとなっているのが実は自分自身である事もさゆりは承知している。
資金を作る為に今住んでいる家屋を手放す勇気が果たして自分にあるのか…
この家を築く為の苦労も十分承知している自分がそこまで自分の終の趣味に費やしてもそれは許されるのか、
思いが巡り巡って決断出来ない自分を承知している。
今まで
何かを決断する時、案外何も考えずに進んで来た。
結婚、義父亡き後の義母との同居、再就職、新築、今また息子家族との同居、初めてさゆりひとりで選んだ新車購入、
いろいろなリスク等を考え始めていたら何ひとつ決断出来ずにいたんだろう。
昔は結婚も案外勢いだよって、言っている人がいたが、さゆりの人生何ひとつじっくり考えて決めてきてはいない気がする。
飲食のサービス業はパートから入れると15年の経験をした。
お客様の為に、より良い商品とサービスの提供、仕事とは人間形成の場であるという創業者の方針を受け、報酬よりも仕事を通じてスタッフ、お客様と交流を大切にして仕事をしてきた15年であった。
うがった見方をすれば、従業員を会社の方針に洗脳して経営者の思惑通りにお店を営業して行く事だよって、言われるかもしれない。
でも当時のさゆりのように、目的や方針をはっきり示された方が分かりやすく働ける場合も確かな事だった。
最初はさゆりはパートとして働いた。
子どもがまだ一番下が小学生低学年と言うこともあり、夏休み等の長期休みの間には出勤日数も控えようと思っていた。
それが、先輩のパートさん達に不満を持たれ彼女達から文句を言われた。
さゆりは、「この事は採用の際にオーナーさんに伝え、了解を得ています。もしそれが駄目ならクビにして頂いてもかまいません。」などと、強気な態度だったから、従業員同士ギクシャクしたのも仕方がなかったのかもしれない。
今思えば、シフトを管理する立場の責任者がパート同士の軋轢を上手く収められなかったっていう事だろう。
そんな職場から他のトラブルで従業員がひとり、またひとり辞めていった。
さゆり自身、この人間関係がどろどろした職場に嫌気がさしていたので、いつ辞めようか迷っているうちに、周りに先を越され辞められなくなっていた。
だから、さゆりは先輩パート達に提案をした。
「このままだと、お店に人がいなくなっちゃう。本当は好きな職場なんだから、みんな言いたい事をちゃんと言い合いましょう。そして、言い合って気分が悪くなっても、辞めるって言葉は言わない前提で話し合いましょう。」
さゆりはパートの中では後輩だか、年齢は一番上であったのだ。
とあるファミレスで話し合いが行われた。
ひとりひとりは良い人でも、職場で派閥になると、それはどす黒い塊になってしまう。だけどちゃんとひとりひとりの考えを話すうちにだんだんと、わかり合える事もある。
その話し合いにより、さゆり自身も長期休みでも出来る範囲で出勤する事を譲歩した。