今日、義兄達の住む山に囲まれたこの地を訪れたのには訳があった。
さゆりの夫が急逝して数年、何をどう過ごしてきたのかさえ自覚のないさゆりだったけれど、やっと近頃さゆり自身の夢を実現してもいいのかもしれないと何となく思いはじめている。
さゆりの姉はその殆どを専業主婦であったさゆりと違い、やはり公務員を定年退職まで働いた人であった。
そして定年間近に無理を強いてきたその足の手術をしたのであったが、その後はきっぱりと仕事をやめてしまった。
その後障害が残ってしまった身体だったが、家にやっと居られる今が一番幸せと姉自身は喜んでいるのであった。
そんな姉からの話しであった。
姉と義兄達が住む家から近くのところに、老医師夫妻が終の棲家にしていた建物が売りに出ていると言うのだ。
近頃の古民家ブーム、そして料理が好きな妹ならそこで何かしらの商売をしながら住むことが出来るのではないかと、姉なりの提案であった。
もちろん姉も義兄も老齢と言われる年に近づき、身近に親族がいればお互いに心強いと言う気持ちもあるのかもしれない。
これから商売をしようなんて無謀なようであるけど、甘いと指摘されるのを覚悟で言えば、仕事として稼ぐつもりもなかった。
日々の糧は亡き夫が残してくれた物を贅沢しなければ暮らしていけると算段があったので、どちらかと言うなら今までのさゆりの趣味の集大成といったような思いがあった。
今から20数年前にいわゆるその方面の一流と言われている住宅会社で家を新築したさゆり達であったが、さゆり自身夫から好きなようにさせてもらったはずなのに、何故か落ち着かない気持ちが残っていた。
今まで古い家しか住んだ事がなく、新築のそれは釘一本打つにもストレスがあり、住み始めて数年は住み心地の悪い日々を過ごした。
やっと10年ぐらい過ぎ、壁も薄汚れて来た頃、やっと家に馴染んできたと感じるさゆりであった。
もちろんそんな事は夫には申し訳ないから話もしていないが、
古い建物のカビ臭い匂いに心地良さを感じるさゆりではあった。
今その家は築20年を過ぎている。
単価の高かった家のおかげか、水回りなどそれなりの劣化は見られるものの、これと言った修理もまだ見当たらない。
そんな我が家がありながら、さゆりは次のステップを考えている自分が夫に対して、なんて薄情者なんだと思わなくもなかった。
この家は夫が生涯をかけて築き、さゆりに残した家であった。
例えば、此処を手放し残りの人生の束石にしても許されるのだろうか、夫は認めてくれるだろうか…さゆりは優柔不断な自分を呪っていた。