先日の休みに関西の実家の母に会ってきた。


60をいくつか過ぎている実家の母とは


その過去において、


りょう子が人並みに思春期の親に対する嫌悪や、反抗心に目覚めた頃から、


壮絶なバトルを繰り返した時代もあった。



激しい母娘の言い合いの最中、



「だって!

仕方ないじゃないか!


あたしは親を知らないんだから!

実の母親に育ててもらっていないんだから!


母親の気持ちなんかわからないよ!


どうやって子育てしたらいいかなんて、わかるわけないよ!」



りょう子はその時初めて、母親自身の悩み、親としての葛藤を知ったような気がした。



りょう子はそれから成長するにつけ、


自分の母の半生を冷静に受け止められるようになった。


りょう子自身も大人になっていったのである。


だから今は、母には幸せになってほしい、幸せなこれからの人生を送ってほしいと思っている。




そんな母は、先日もりょう子に言う。


「今みたいな中途半端な生活でこれからどうするの?


お前だって、もうそんなに若くなんかないんだよ!


もし、裕之さんに捨てられたらどうするの…」



りょう子は、そんな母親のグチのような苦言を聞いて、少し笑ってしまった。


「かあさん、ちゃんと普通の母親らしい親になっているじゃん…」


でも、


「捨てられる」って、


りょう子が裕之を捨てる事だってあるかもしれないじゃない…



世間でいう、ちゃんと夫婦になって、

その紙の上であぐらをかいて、


だんだんと、恋人でなくなっていくぐらいなら、


今の裕之との関係の方がりょう子には貴重なものだった。



そのぐらい今のりょう子は裕之の事が好きだった。




その愛の重さを天秤にかけたら、りょう子自身の裕之に対する愛の重さで、


裕之のそれをふっとばしそうなくらい、


悔しいけれど、哀しいけれど、そんな気持ちでいる自分も実はりょう子自身好きなのだ。


(さゆりにはりょう子さん、マゾフィスト?と言われた)



紙の上のふたりになるより、自分自身を持ち、裕之に頼らなくても自立したオンナになりたい。


今はまだ裕之に頼るばかりで、心苦しい時もあるけれど、


裕之といつも対等な立場でいたい。


対等な相手として、わたしを見てほしい。

そのうえで愛してほしい。





でも、本心は?


本当のところ、自分でもそう思い込もうとしているだけなのかもしれない。


だって、


本当は裕之がどう思っているのか、今さら聞けない。



誰にも優しい親切な裕之、最初の頃のりょう子の意思を尊重してくれている。



先の事は、どうなるかなんてわかない、

今の生活が充実していて、今しか出来ない楽しみを感じて行けたら…


裕之はそれが幸せだと言っている。


過去の裕之の結婚生活の反省なのかもしれない。



裕之の前の結婚、


りょう子にとって気にならない訳がない。


聞いてみたい。


どんな結婚生活だったの?


何が別れの原因だったの?



今の裕之を知っているりょう子は、前の裕之の妻が去って行った理由がわからない。


聞けないけれど、いつか、サクッと聞きたい気がする。



裕之のブログのコメントに近頃良く登場する人がいる。



歳の頃はりょう子の母親ぐらいか…


裕之とその人の会話を読んでいると、

なぜか、りょう子は落ち着かない。



裕之がたとえ母親ぐらい年上の人であっても、


その信頼に似た関係を読んでいると、胃のあたりに苦いものがあふれてくる気がする。



しかし、その人はりょう子自身のブログにもコメントを送って来るようになっていた。

その中では裕之の事には触れてこない。

知っているはずなのに…


りょう子自身もこの人に会ってみたくなっていた。