裕之からは相変わらず連絡がない。
さゆりは信州野辺山高原、
小海線清里駅と、野辺山駅のちょうど中間あたりにある、標高1643メートルの飯盛山を登っているところだった。
近所のテントを背負って登山する友が、
野辺山駅方向から上り、その近くの南牧村農畜産直売所で
そこのソフトクリームを食べるようにと、
レクチャーまでしてくれたのに、
方向音痴のさゆりは、ナビにただ、「飯盛山」とだけ入れたため、
最短の登山口、平沢登山口に行ってしまったのだ。
まっ、いっか、
登山口の近くの喫茶店に車を駐車してさゆりははひとり歩きはじめた。
ホントの所、ちょっと離れた所に無料で停められそうな駐車場もあったが、
登山中に何かあり、下山して来なければ捜索だってしてくれるかも…
さゆりなりの計算であった。
1時間ちょっとの登山コースではひとり下山してきた男性に会っただけだった。
林の先の方が明るくなっているのを認め、
「こんにちは、あそこが頂上ですか?」
さゆりはひとり下山して来た男性に尋ねた。
男性は、
「いやいや、もうちょっとありますよ、」
と教えてくれ、
「がんばって下さい」と励ましてくれた。
山ではすれ違う人同士、あいさつをする。
最近の状況では、挨拶もどうかと思っていたが、
さゆりは自然な中で大胆に自分から挨拶をしていた。
この美しい山の中ではそれが当たり前のような気がしていた。
後少しで頂上という時に、さゆりは写真を撮ろうとスマホを取り出した。
そこに、裕之からのメッセージが届いていた。
スマホ不慣れな人間と思われ、ちゃんとコメントの方にも、その旨を知らせてくれてあった。
「メッセージ読んでくれましたか?」
あら、縁がまだ繋がっていたのね、
さゆりはいよいよ、覚悟を決めなければならなかった。
ブログの中でしか知らない人に会いに来たのに、
実際会えるとなると、飯盛山の自然の中で大胆になっていたさゆりの心も、少し緊張が走った。
やはり裕之の相棒、軽ワゴンのエブリイ君の修理が遅れているようだ。
そのメッセージで、裕之達も
道の駅蔦木宿に今夜車中泊する事をさゆりは知った。
いや、正確には裕之は最初のコメントでそう伝えていたのだ。
ここでも、説明書を良く読まないさゆりの性格が出ていた。
裕之の最初のコメントをちゃんと理解していれば、
最終的に道の駅で会う手はずだったのだ。
飯盛山を降り、その喫茶店の駐車場ではなく、無人の広場で遅い昼食を済ませ、
さゆりは次なる目的に進んだ。
清里、清泉寮のソフトクリームを食べることである。
裕之との約束の時間まで、まだまだじゅうぶんある。
何も急ぐ必要もないのだ。
さゆりは自分の半生を振り返った。
その記憶には、いつも何かに追われ、早く、早くと急き立てられていたようだった。
子育てにおいても、早く早く、何に追われていたのだろうか…
その時、その時間を楽しむ間もなく、さゆりは生きて来たように思う。
子育てでは、いつも他の誰かと比べ、自分の子供達が他より秀でている部分があれば、
まるで自分の事のように鼻を高くしていた母親であった。
だから、あの事件が起きた時、
さゆりは奈落の底に落ちて行く自分を感じ、全てが終わったと思ったのだ。
そして、
子供の誕生から育児など手伝わず、いつも勝手な事をしていたと思っていた夫が、
その時の夫にはとてつもなく辛い作業を自ら行なったのだ。
それは、夫がやはり父親だったから、
もう一度、人生をやり直して、子育てをする事が出来るなら、
わたしは、
もっともっと、ゆっくり歩いて行きたい。
まぁ、その時また夫がさゆりを選んでくれるかは、わからないけれど…
ビリーバンバン
もっと君を
雲が静かに流れるこの場所で
僕は君が来るのを待っている
僕の心が届いたならば
君はきっとここに来るだろう
そしてそのてをとって
あの日壊れかけた橋を
君の心にかけ直したい
つづく