子供の頃の思い出
その頃父は出稼ぎ(父は旅と言っていた)であまり家にいなかった。母も近くの工場で働いていて物心ついた時は保育園に通う毎日だったと思う。
小学校入学前に亡くなった2歳年上の兄は母と離れるのがいやで園庭で泣きわめいていた。そんな兄を「ほら、行くよ」って引っ張っていたそうだ。
当時給食のアメリカから送られた脱脂粉乳のミルクが飲めなくて、ちゃんと飲むまで部屋の外の廊下にひとり出された。
子供心になぜ飲まなきゃいけないの?(ごめんなさい←心の声)嫌だなぁ、悲しいなぁと感じていた。
当時は園内で給食のおばさんが給食を作っており昼近くになると漂ってくる給食の匂いが嫌いだった。
なぜだかわからないけどやるせない気持ちになるのだ。
そんな私は今地方の小さな病院の調理師をしている。不思議なものである。
小さい時と違って今は何でも食べる食いしん坊である。
亡くなった主人も食べる事は好きであったがとてつもない偏食で40数年の結婚生活においてあまり誉めてくれることはなかった。
そんな主人は亡くなる前日に作った担々麺を「これはうまい😋」って言っていた、(珍しい事もあるわね~)←心の声
死期が近い人は珍しい事をしたり言ったりするものなんですかね…