活字中毒者に毎年与えられる餌、文学賞。
本屋という選択肢の大海原。
そんな情報の海の中を泳ぐ活字中毒回遊魚に与えられる餌。
それが文学賞受賞作、エントリー作品だ。
とりあえずこれを読んでおけばいいよ。
そんな撒き餌が餌を求めてひた泳ぐ我々活字中毒回遊魚を救う。
水を得た魚。
(物理的に)
文学賞シーズンは呼吸がしやすい。
そんな文学賞の中でひと際の存在感を放つのはやはり芥川賞ではないだろうか。
エンタメ作品を読み漁る中、芥川賞作品を読むと一仕事したような気分になる。
仕事があるから休日が楽しい。
芥川賞作品を読むから直木賞作品を読むのが楽しい。
芥川賞作品には独特の読後感がある。
そんな最新の芥川賞受賞作がこれだ。
『おいしいごはんが食べられますように』
高瀬隼子著
仕事+食べもの+恋愛小説。
ということで食べることを通して人間関係を描いた作品だ。
作品の感想に入る前に、この表紙の寂しさはどうにかならないものなのか。
ジャケット買いで小説を買うことも多い僕だ。
電子書籍のこの寂しさには少し思うところがあった。
自分の中ではもはや最近のベストバイにもなっている電子書籍リーダー。
しかしそんな神器にももちろんデメリットはある。
読書の終わりと共に少ししんみりしながらスリープモードにしたところ。
表紙あるんじゃん?!
(テンション急上昇)
演出?!
本を閉じたときに表紙になるよね!という演出?!
本じゃん?!
これもう本じゃん?!
閉じた感じも表現してくるkobo clara 2E。
まだまだ未知の機能が多すぎる。
とりあえず表紙があるということにテンションが上がりすぎた僕。
このあと電源ONとスリープモードを繰り返してニヤニヤする自分を客観視して震えた。
これが活字中毒者の末路である。
電子書籍リーダーの素晴らしさをまた一つ発見したところで本の感想に移っていこう。
今作のテーマでもある
『食べものと人間関係』
僕は食べることが大好きだ。
食べることが好きすぎるあまり食にまつわる仕事にまで就いている。
生涯を通して食べることへの興味が止まることはない。
そんな僕なので、食べものをテーマにしている今作に純粋な楽しみがあった。
しかしこれは芥川賞作品。
食べものがただ食べ物を表現しているわけもなく。
『食事』が人の心情を掘り下げて、人間の本質みたいなところにまで迫ってくる。
ただ食事を『美味しく楽しいもの』としか捉えてこなかった僕にはあまりに考えさせられることが多い作品であった。
この作品を読んで強烈に感じたことはこれだ。
『人は生きる中で常に価値観の確かめ合いをしている』
そのことを『食事』というテーマを与えられて気付いていく。
食事は最も身近にある価値観の確かめ合いであり、それ自体が密度の濃いコミュニケーションではないだろうか。
人それぞれ食事に求める水準は違う。
行列に並んでも美味しいものが食べたい人もいれば、カップ麺で済ませて他の時間を大切にしたい人もいる。
栄養をしっかりと摂りたい人もいれば、そんなことまで考えて食事をしたくない人もいる。
丁寧な手作りにこだわる人もいれば、外食で済ませたい人もいる。
この社会の中で共同生活を営んでいく我々であってもみんな全然違う。
それぞれに正しさがあって、一人一人が違うルールで生きていることに気付く。
ただ、食事を共にすると『美味しいね』と言い合うしそれがどう美味しいのか口に出したりもする。
『この料理はこういうところが美味しいよね』
という感想に対して相手の価値観の中ではどう思っているのだろう。
それに合わせたり、心の中では別の事を思っていたり。
食事は瞬間瞬間が価値観の確かめ合いなのではないだろうか。
物語の中で
『誰かと食べるご飯より一人で食べるご飯の方が美味しい』
という文章が僕にはとても刺さった。
その通りだと思ったのだ。
『美味しいー!』
と口にすることはそれ自体がお互いの価値観のすり合わせ作業のようで、食事以外の何かを含んでくる。
純粋に美味しさを自分の内面だけで美味しいと思える、食事としての楽しみが『一人で食べるご飯』なのかもしれない。
確かに誰かと食べるご飯も美味しいし、その時間は楽しい。
しかしそれはある程度共通の価値観の上に成り立つもので、その価値観はそれなりの時間をかけて築き上げていくものなのだ。
これを読んだ後に職場の飲み会などに行くと色々な発見がありそうで面白い。
それはもはやただの飲み会ではなく見えると思う。
そんな人間関係の景色も少し変えてしまうようなこの作品。
食事をテーマにして様々な価値観や人間模様を楽しむことができる。
個人的に特に面白かったのが主人公の二谷君だった。
二谷君は基本的に無機質でどこか人間らしさがない。
そんなむき出しの内面がどんどん描かれるし、何ならたまにそれを外に出す。
そんな二谷君が淡々と日常を過ごしていく姿。
無機質で人間らしさがないのに、段々と一番人間らしく見えてくる。
人間なんて皮一枚剝がせばそんなものなんだと思う。
そんな二谷君の姿に癒されたりするのは憧れもあるのだろう。
それは普段自分自身を飾りに飾って生きているからだ。
そんな重い衣服を脱ぎ捨てたくなるときがある。
脱ぎ捨てた後の身軽さみたいなものを二谷君が見せてくれているのかもしれない。
そんな二谷君も同僚や彼女、家族の様々な価値観の中でどこか諦めているように過ごしていく。
その温度感がすごくいい…!
この作品、終始温度感がいい。
どんどん読ませるんだけど、盛り上がりすぎない。
角田光代の『愛がなんだ』みたいなじわっとした温度感。
これ映像化しないかな。
最後にタイトル
『おいしいごはんが食べられますように』
この意味だ。
おいしいごはんが食べたい、そんな主人公の話なのかと思いきや。
二谷君は食事というものに何も見出してはいない。
食事を通して描いてきた人それぞれに違っている価値観やそこから生まれる関係性。
それらを構築し、維持しながら我々は四苦八苦して生きている。
そんな社会の中で折り合いをつけながら、少しでも楽に生きられますように。
そんなタイトルなのかなと個人的には感じている。
芥川賞作品は読んだ後の余韻が楽しい。
自分の中に何か湧き立つものがある。
これは読む人によっても感想が変わってくる1冊だと思うのだが、他の人はどのようなことを思うのだろうか。
電子書籍リーダーが読書を加速させている。
次は何を読もうかな!