秘湯に蹂躙された2泊3日もついに最終日。

疲れが取れすぎて疲れた。

(哲学)

 

最終日は宿泊している宮城県の内陸部から海岸沿いへと車を走らせる。

そして海岸沿いを南下して東京へと帰宅する行程だ。

 

今回の旅の大きな目的の一つ。

それが『被災地の今を見る』だ。

 

恥ずかしながら東日本大震災から10年経つ今になっても被災地に足を踏み入れたことがなかった。

 

東北に行く機会がなかなか無かったとはいえ、日本人としてそれでいいのだろうか。


3月11日を迎えるたびにテレビでは東北の様子を映し出す。

しかしそれを見たところで、どこか震災は遠い話で現実味を感じていない自分がいた。


この10年間。

全くもって自分事として捉えられてはいなかったのだ。

 

知りたいものは自分の目で本物を見る。

息子に対しても大切にしている我が家のモットーが名折れではないか。

 

東北に行くこの貴重な機会を逃してはならない。

今回は宮城県にある震災遺構

『荒浜小学校』

を紹介したいと思う。


被災した小学校をそのままの形で見学できる貴重な遺構だ。

 

この小学校は津波の影響で2階の廊下まで浸水した。

1階部分は瓦礫や車などが押し流されてくる地獄のような光景だったそう。

 

それでも死者が出なかったことは本当に不幸中の幸いであったと思う。

当時、近隣住民も含め避難の判断を的確に行った教職員たちに心からの敬意を表したい。

 

この小学校はそのままの姿を見学することが出来るのでインパクトが並外れていた。


二宮金次郎の像がねじ切れるという現実感の無さ。

 

台座の鉄が津波の衝撃でねじ切れている。

こんなに恐ろしいことがあるだろうか。

こんな圧倒的な力で襲い掛かってきたのだ。


我々人間などひとたまりもないであろうことは容易に想像がつく。

 

そして鉄柵など外観の損傷もまた生々しい。


恐怖でしかない。

 

今回の記事に関しては言葉少なめにただただこの風景を感じてほしいと思う。


正直書く言葉が見当たらない。

このえも言えぬ気持ちを表現することは10年経って足を運んでいる僕には難しい。

 

だからこそ今回は一緒にただ感じようではないか。


悲痛。

 

校舎内1階部分だ。

教室がこの有様。

楽しい笑い声が響いていたであろう教室。

それも津波が全てを流していった。

 

廊下はこうだ。


天井までをも剝がしていく暴力。

 

この他にも様々な展示を校内では見学することができる。

関連書籍も多く閲覧できるので思わず没頭してしまった。

 

そして校舎の外を少し歩いてみる。


震災以前、この一帯は学校だけでなく賑やかな住宅地であった。


ジオラマを見ると活発に生活を営んでいた当時の様子がよく分かる。

海水浴場としても盛り上がっていたようであった。

 

それが震災で一変する。


10年経った今でもこれ。

 

言葉を失うとはこのことだと思う。


何もない。

 

本当に全てを押し流していったのだ。

10年経った今でもこの様子だ。

『復興』という言葉が自分の中で虚しく吹き抜けていく。

 

これが東北の今なのだと分かった。

そして住宅地が広がっていた跡地がこれだ。


あまりに重い。

 

遺構となった小学校を除いて津波は全てを流してしまった。


4人全員言葉もなくただただ何も無い風景を眺めていた。

 

そこはすごく静かで、海にはただただ綺麗な水平線が広がっていた。

海水浴場として多くの人を楽しませたのだろう。

時には憩いの場として疲れた人の心を癒したかもしれない。

 

目の前に広がる綺麗で静かな海。

 

これがあの日あまりに多くの人の命と生活を奪った。

目の前にして『怖いな』と思った。

迫りくる迫力のようなものを感じた。

 

見学のあとは福島第一原発周辺の帰還困難区域を車から見学しつつ南下した。

これについては未だ帰宅できていない住宅が多数あるので写真は差し控える。

 

しかし、ここにもえも言えぬ風景が広がっていた。

 

10年経つ今になっても下がっていない放射線量という見えない恐怖。


そして壊れていないものの明らかに生活が無いゴーストタウンの様相。


そのままの状態でそこにあるのに明らかに生活の実態が無いことが見て分かるというのは不気味だ。

 

津波で全てが無くなってしまった光景も悲惨ではあったが、全てが残っているのにそこには何もないという光景もまた非現実的で悲惨な光景であったように思う。

 

これもまた復興とは異なる震災の一面であるように感じた。

 

今回の体験を通じて自分の中で震災が現実感の無いものではなくなった。


目の前に広がっていたのは10年経った今もなお残る圧倒的な現実だった。


それと同時に、『復興』という言葉が少しは自分事として捉えられるようになった。

 

日本人として。

同じ島国で暮らす者同士。


出来ることはしたいと思ったし、これからも興味を持ち続けたいと思った。

 

この記事を通して少しでも

『自分の目で今を見てみよう』

と思う人が増えるといいと思う。

 

僕たちは今回旅行をすることで東北に少しでもお金を落とすことしか出来なかったが、そうやって足を運ぼうとする一人一人の小さな積み重ねが東北で暮らす誰かにとって何か良いことに繋がればいいと思う。

 

これからも東北には興味を持ち続けていきたい。

 

次回は会社員の夏休み最終回。

孤独のグルメの名店で牛タンを食らう。

(落差)