富士山 登山ルート3776概要

ルート3776初日は前回記事より

 

今回をもって富士山 登山ルート3776は最終日となる。

 

あれ?

2泊3日のはずでは?

まだあと1日あるのでは?

 

そう思うだろう。

しかし大丈夫。

今回が最終日だ。

(清々しいネタバレ)

 

この日我々の身に何が起こったのか。

 

これはフィクションではない。

ノンフィクション。

ドキュメンタリーでお送りしていこう。

 

まずは2日目の行程を確認しておこう。

この日はキャンプ場をスタートし、富士山の山小屋を目指す。

(はずだった)

 

翌日は山小屋から山頂を目指しグランドフィナーレを飾る。

(はずだった)

 

起床してみると前日と変わらず外は雨天。

しかも本降りである。

 

数日前には竜巻も発生していた不安定な天候だ。

仲間との慎重な協議の結果。

 

『いけるとこまで行ってみよう』

 

この方針に決まった。

(慎重さとは)

 

特に友人の一人は登山に慣れ親しんでいる。

彼の判断を随時仰ぎつつ、みんなの状態を把握しながら進むこととなった。

これから地球を救うようなご尊顔。

アルマゲドンの見過ぎである。

 

いよいよもって貴重な長期休暇に何をしているのか分からなくなってきた。

これは何か収益化するものではない。

まして誰かに頼まれているわけでもないし家族を人質にとられたりもしていない。

 

30歳を迎えるから。

 

ただそれだけでやっているわけだ。

 

30歳を迎えるのはこんなにも難易度の高いことだったのだろうか。

世の30歳はもっと気軽に30歳になっていると思う。

なぜ我々は30歳に通過儀礼を課したのか。

なぜそれをルート3776に見出してしまったのか。

 

しかし当初の気持ちは忘れてはならない。

 

日本人たるもの。

日本で一番高い頂を0から目指すのだ。

それが30歳を迎える我々の禊なのだ。

 

一体どんな失礼をはたらいたらこんなことになるのか。

来世の30歳は温泉で美食とともに迎えたい。

 

そんな気持ちには蓋をしスタートした我々。

アドレナリン全開の表情である。

 

アドレナリンの力なしには続行不可能。

脳細胞単位でこの企画の危険性を直感した。

 

脳内物質全開で歩を進めていく。

まだ登山道は見えてこない。

 

前日までは運動靴だったが、この日からは登山靴になっている。

このコンクリートの道を登山靴で歩くのが地味にキツい。

 

こうしてしばらく歩いているとようやく登山道へ到着。

ようやく登山らしくなってきた。

 

前日にかなりの距離を歩いた疲労は残っている。

しかし道が土に変わったこと。

景色が自然になり気分が変わったことも大きかった。

 

やはり登山は楽しい。

雨と風による体温の低下に気を配りつつ。

水分と行動食を補給しながら進んでいく。

 

ちなみに登山を楽しむ皆さんはどんな行動食を持参しているのだろうか。

 

この登山で大いに役立ったのはスポーツ羊羹だった。

ツルツルと食べやすくてエネルギー補給にもなる。

小さくて持ち運びも容易と大活躍である。

 

あとは飴もよかった。

気分転換にもなるし小型で軽い。

(容積への執念)

 

こうして天候と体調に気を配りつつも何とか進んできた我々。

しかしクライマックスというのはいつだって唐突だ。

問題の場所『宝永山 火口』付近にて。

突如として自然が牙をむく。

 

標高2600メートルになろうかというところ。

宝永山火口に近付くにつれ天候が明らかに変わっていた。

恐ろしい暴風と暴雨。

 

それは行く先が見えないほどの勢いだった。

魔界への道感がすごい。

ふーんラストダンジョンじゃん。

奥に扉があってラスボスがいるじゃん。

 

しかし、この宝永山を抜ければ山小屋まではあと少し。

最後の正念場といったところ。

 

幸い、手繰ることの出来るロープもあったので補助的に使いつつ。

半ば公開ギリギリの表情で死闘を繰り広げていた。

 

しかし上へ進むにつれてどんどん様子がおかしくなっていく。

暴風と暴雨が体験したことのないレベルになっていくのだ。

 

皆さんは

『ゴォー!』

という風の音は聞いたことがあるだろう。

 

しかし

『ガンガンガンガン!!!』

という金属を打ち付けるような風の音は聞いたことが無いと思う。

 

そこは世紀末だった。

レインウェアのフード越しに未知の恐怖を煽る音。

 

そして雨がまた凄まじかった。

暴風で打ち付けられる雨はショットガンのそれだった。

レインウェア越しに痛みを感じる。

 

バチバチと硬い石のように全身を打ち付ける雨。

その痛みが恐怖を植え付ける。

 

そして目の前で一瞬のうちに吹き飛ぶ友人のザックカバー。

暴風により立つことすらままならずよろめく友人の姿。

それを目の当たりにする自分はもはや恐怖でしかなかった。

 

ただ道は十分に広かったのでもう少し進んでみようと判断。

身を寄せ合って進む我々。

そんな我々が気力を振り絞って坂道を登り切った末に見たもの。

 

それは無残にも根元から抜け吹き飛んだ案内表示板だった。

 

衝撃の度合いで言うと道端の信号機が暴風で吹き飛んでいるぐらいの衝撃だった。

 

『これってこんなに吹き飛ぶんや…』

 

人は絶望すると関西弁になる。

 

暴風暴雨は収まらないどころか強くなっている。

しかも坂を上り切った先にあったのは細い尾根だった。

その尾根は悪天候で進む先すら見えない。

ロープももうない。

 

『へぇー滑落すんじゃん』

 

横浜弁も出るというものである。

 

一度冷静になろう。

大きな岩を背に身を寄せ合い一同即決で決断した。

 

『このまま進んだら死ぬ 引き返そう』

 

大げさではなく死を身近に感じた。

それほどに感じたことのない暴風暴雨であった。

 

登ってきた吹き曝しの坂道を引き返すのも非常に苦労した。

 

だが生存本能とはあのことを言うのだろう。

必死にロープを手繰り、跪き、体は痛かったのだろうが。

それを微塵も感じている余裕はなかった。

 

自分が持っている力をフルで発揮しなければいけない状況。

良い意味ではないがあの時以上に興奮した瞬間はない。

 

何とか安全な場所まで引き返した後。

それぞれが生きててよかった!と口にした。

 

30歳の挑戦という意味では未達成に終わったルート3776。

しかし登山の大原則は『安全』であること。

あの時引き返す判断が出来た自分たちを褒めたいと思う。

 

その夜、現地のおでん屋の大将とその話をしたところ。

『富士山は逃げないからまた来ればいい』

と言葉をかけてくれた。

 

今はこんなご時世なので登山も控えている。

しかしいつかリベンジをしたい挑戦なのであった。

 

宝永山での一幕は全く余裕がなかったため写真には残っていない。

 

しかし、限界を迎えるその直前。

友人がビデオカメラで撮影をしていた。

少しだけその映像が残っている。

実際はこの数千倍絶望的な音が鳴り響いている。

真横に降る雨も見て取れるだろう。

(命の現場)

 

命をありがたみを学んで下山した我々。

当初の趣旨が全くもって消え失せている。

ルート3776は何処へ。

 

死闘を繰り広げたら大体こんな表情になる。

何が起こったのか分からないという顔。

 

往復8時間近くの死闘を制した我々。

麓の売店でのこの一杯は忘れられない。

甘酒が全身に染み渡るぅ…

 

圧倒的安心感。

命の母A。

(語感だけで戦うスタイル)

 

結果としてこの挑戦の結果は…

宝永山にて終了!

 

ルート3776。

富士市が提案する素晴らしい登山ルートだ。

 

市街地あり、ハイキングあり、登山あり。

富士山のいろいろな魅力を楽しむことができると思う。

 

この挑戦は天候に恵まれなかったのでその魅力を十分にお届けすることが出来なかった。

この悔しさはいつかのリベンジで果たしたいと思う。

 

皆さんも30歳の通過儀礼に、自分を見つめなおす機会に、富士山を極めし強者に…

このルート3776を楽しんでみてはいかがだろうか。