ダイエットの神が舞い降りて3年近く経つ。

 

以前の私は

『痩せないとなー!』

と言いながら夜な夜なピザポテトを頬張る訓練されたデブだった。

 

身長173センチにして体重は80キロ近く。

アゴ失踪事件。

 

アゴが愛想を尽かせて出ていった。

ミートテックという名の脂肪を身に纏ったこの私は冬でも汗を流しながら常に何かを食うハリウッド級の本格派デブであった。

UNIQLOも訴訟を辞さない姿勢である。

 

後ろの彫刻をおどけて真似たつもりの私。

そうではない。

お前が後ろの彫刻に馬鹿にされているのだ。

(近代芸術の暴力)

 

そんなある日、友人の一言で私の人生は変わった。

 

『最近糖質制限ダイエットやってるんだ!』

 

こいつは馬鹿か?

そう思った。

 

日本人のDNA。

弥生時代から続きし魂の根源たる米を否定するだと?

磨製石器で切り裂かれたいのか?

石鏃で仕留め、弥生土器で煮炊きしてやろうか?

(お前を蝋人形に)

 

しかも友人はそれをランチ中に言い放ったのだ。

ご飯を少なめにと店員さんに言いながら。

大盛りを要求する私の横で。

 

『こいつ私とは人生のステージが違う…!』

 

不覚にも友人がキラキラと輝いて見えた。

彼は自己を高める努力をしている。

ストイックに美しくあろうと振舞っている。

 

それに比べて私はどうだ。

欲求に抗うこともままならず、今もこうして大盛りを食べようとしている。

あまりに美しくない。

 

『このままだと友人に置いていかれる』

 

友人とはお互いに高めあう存在だと思う。

類は友を呼ぶとはまさにそのことだと思うのだ。

努力を怠る人の周りには同じような人が集まるし、逆もまた然り。

パワーバランスが崩れたとき友人関係も崩れる。

友人が成長しようとしているとき、同じように成長したいと望む気持ち。

これが友情を長年築いていくためには必要な心構えだと思う。

 

両手で足りる私の数少ない貴重な友人だ。

ここで置いていかれるわけにはいかない。

 

気付くと私はこんなことを言っていた。

 

『明日から糖質制限やってみるわ!』

 

友情は最強だ!

(週刊少年ジャンプ)

 

しかしこの場で、今日から始めないあたりがデブのそれである。

目の前の大盛りには抗うことが出来ない。

仕方がない。

訓練されたデブだったのだから。

 

しかし私は比較的努力が得意な方ではあると自負している。

その真骨頂は翌日からは人が変わったように本気を出すところにある。

『やっぱり来週からだな』

などとヌルいことはしない。

 

翌日からの私は徹底的に糖質を排除した生活を送り始めた。

糖質は悪だった。

世界から戦争が無くならないのは糖質のせいだった。

 

同時に以前の記事でも触れたようにガリ勉タイプな私だ。

糖質制限の仕組みや栄養の吸収、栄養の構成について狂ったように勉強をし始めた。

エニタイムフィットネスに入会して筋トレをし始めた。
 
そうして私は1年かけて18キロの減量に成功した。
表情が違う!!
自己肯定感を手に入れた表情をしている!!
何よりアゴが可視化している!!
 
80キロあった体重は62キロにまで落ちた。
健康体重は64キロなので瘦せすぎである。
(0か100の生き方)
 
その頃にはもう糖質制限はやめ、低脂質な生活になっていた。
脂質は抑え、炭水化物をしっかりと摂り筋トレに耐えうる食事にする。
その年の健康診断では血中脂質が低すぎて要検査になった。
努力が報われないこの世界が私は大嫌いだ。
(限度という概念)
 
今ではPFCのバランスも考慮した食生活に落ち着いている。
毎食『YAZIO』という食事記録アプリで食生活を管理しながらトレーニングをする日々。
以前のピザポテトデブはそこにはいない。
何を目指しているのか自分でも分からない。
でもそれでいい。
私は目指される人になるのだから。
(行き過ぎた自己肯定感は一周回って幸せ)
人間はこんなにも変わることが出来る。
もはや宗教じみてくるほどの心持ちからの別人。
記憶は消されているがUFOに連れ去られ別の人格を植え付けられたのかもしれない。
しかし人の在り方としては美しくなれたのでそれでいいだろう。
 
神秘のパワー!
宇宙との交信で痩せられる?!
(月刊ムー)
 
そんな私がダイエットをして3年近く経つ。
今では筋肉で多少体重も増え、65キロと健康体重周辺を維持するようにしている。
 
そこへ欠かせないのがトレーニングだ。
食事は徹底管理しているので問題はない。
続けてきたトレーニングが今の体を維持してくれている。
 
ジムで比較的高負荷なトレーニングを行ってきたのだが最近の興味は別のところにある。
 
それは体幹トレーニングだ。
体幹トレーニングを始めてから体の調子がいい。
ジムでのパフォーマンスも上がっているような気がする。
 
何より毎日自宅で出来る手軽さもいい。
継続することによる筋肉への刺激も満足感が高い。
 
しかしこの体幹トレーニングの障壁が存在していた。
床が固すぎる。
(当たり前)
 
この床で体幹トレーニングをするとどうなるか。
腕から聞こえてはいけない音がするのだ。
 
『ゴリゴリゴリゴリ…』
『バキッ…ゴリッ…ゴリュ…』
『グググッ…ゴガッ!』
 
こんな音聞いたことがない…!
 
普通に恐怖感を煽る音に慄いた私は思わずネットでポチっていた。
適当に安いものでチョイスしたヨガマット。
(こだわりなし)
 
この流れの中で素晴らしい商品を紹介するのがブロガーのあるべき姿なのは分かる。
しかしこの時の私は腕から発せられる音に震撼しているのでそんな余裕はない。
安くて悪くはなさそうなヨガマットを無難にポチる。
購入までの時間90秒程度である。
(追い込まれて発揮される決断力)
 
広げてみると当たり前だがそれは何ともヨガマットであった。
これでいいのだ。
むしろこれでないと困る。
 
適当にチョイスしたヨガマットではあるが運よく良い商品を引いたと思う。
全長も厚みも申し分なく、トレーニングに際して何のストレスもない。
何よりモチモチ感が痛みを取り除き、滑らないグリップ力も実現している。
 
キャリーケースまで付属している。
持ち運ぶことはないが収納には便利である。
 
体幹トレーニングの環境が向上した。
ジムでも家でも自分を高める努力を続けたい。
 
私は今年32歳なのだが、30代はこの努力が目に見えて目立つと思う。
20代は若さでカバーできる部分が大きい。
雰囲気もキラキラしているし、代謝だっていいのだろう。
 
しかし30代は違う。
放っておけば腹は出る一方だし肌もくたびれてくる。
見た目の維持には意識的な努力が必要になるのだ。
 
しんどい一方で努力をしている30代のキラキラ感たるや。
それは20代のキラキラ感を遥かに凌ぐ魅力を持っている。
 
世の中30代は2種類に分けられる。
腹が出ている30代とそうでない30代だ。
 
30代は腹が出ていないだけで周囲の30代に対してマウントが取れる。
何と素晴らしい世界だろう!
(歪んだ欲望)
 
腹が出ているだけで中年感が100リットルぐらい出る。
すごい量の中年感である。
 
しかし30代からは努力をしないとほぼ全ての人は腹が出る。
だからこそマウントが取れるわけだ。
 
一方でただやせ細っているだけではダメだ。
鶏ガラみたいな体の30代の長生きしない感はすごい。
人生を使いに使い倒された感はすごい。
そうであってはマウントどころかナメられてしまう。
生物として『弱そう』と直感させてしまうのは良くない。
 
生物として『強そう』と直感させる。
そして周囲の30代にマウントを取るためには引き締まった腹。
そしてデカい胸、背中、太ももなのだ。
(BIG3狂信者)
 
年収や肩書など言葉を持たない。
いくら相手がそれを自慢してこようと腹が出ていれば
 
『でもお前腹出てんじゃん』
 
この一言で一気に撃沈させられる。
 
人間としての格の大前提にあるのは腹筋なのだ。
引き締まった腹斜筋は努力の権化。
くびれこそ30代を輝かせる格の違いであると知れ。
 
手に入れたヨガマットを存分に使おう。
30代を輝かしく生きるために今日も私は努力をする。
そしてオートミールを食べるのだ。
(私は鳥)