人生殿堂入りのアニメ作品
皆さんは『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というアニメ作品をご存じだろうか。
京都アニメーションが手掛けるこちらのアニメ作品。
私の人生において殿堂入りを果たしている至極のアニメ作品である。
これはもはやただのアニメ作品ではない。
これを日本中の人が見ることで日本はもっと優しい国になれる。
SNSでの誹謗中傷やイジメ、コロナ禍で希薄になっている人と人との繋がり。
人間関係におけるいろいろな問題はこの作品を見ることで全て解決する。
小学校教育に取り入れてみるのもいいだろう。
もはや道徳の時間にざわざわ森のがんこちゃんを見せている場合ではない。
あんなものはピンク色の奇怪な珍獣ではないか。
さわやか三組などという理想郷をキャッチーな曲で紛らわせている場合ではない。
いかにさわやか三組なる太陽の光が僕らの肩に降り注ごうともそれは儚い桃源郷に過ぎないのである。
現代社会に必要なのはヴァイオレット・エヴァーガーデンなのだ。
『愛してる』の意味なのだ。
これを日本中が理解することで我々を取り巻く環境は大きく変わる。
日本のみならず世界中の人々にもこの作品を見てほしい。
世界中にこの作品が浸透したとき、世界から戦争は消える。
飢えや差別、様々な問題がヴァイオレット・エヴァーガーデンで解決する。
この作品はただのアニメ作品で済ませていいような作品ではない。
もはや世界の救済。
神にとってかわるような救世主。
それがヴァイオレット・エヴァーガーデンだ。
鑑賞する前に準備するもの
今回はそんな『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の魅力を紹介したいと思う。
ネタバレを含むような部分もあるかもしれない。
しかし、ネタがバレたところで感動の度合いが薄まることはないので安心してほしい。
むしろ感動が強くなるまである。
あらすじなどを紹介する前に、鑑賞に際して準備するものを事前にお知らせしておこう。
これはヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品が持つあまりの破壊力に体調を崩してしまってはいけないからだ。
見たことのある人は恐らくこれから綴るあらすじを見るだけでも号泣は免れないだろう。
それほどにこの作品の涙腺への訴求力は尋常ではない。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンを泣かずして見るなど不可能な話なのだ。
『この作品泣けるよねー!』
などという生半可なレベルではない。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは見た者のDNAに刻まれる。
その結果として作中の主題歌のイントロ部分を耳にするだけでも涙が込み上げてくるという体になってしまうのだ。
体のつくりが変わってしまうので、見る人は心して鑑賞するようにしてほしい。
『電車の中でヴァイオレット・エヴァーガーデンの10話を見る』
これがもはや絶対にやりたくない罰ゲームとして成立するレベルで涙腺を破壊してくる。
ストーリーの構成、楽曲、作画、世界観、その全てが異次元のクオリティに仕上がっている。
だからこそ、皆さんには万全の準備を行い心して鑑賞してほしいのだ。
準備といっても用意するものは2つしかない。
ポカリスエットかアクエリアス(2L)
バスタオル
以上だ。
涙が2リットルは出るので水分補給を忘れないようにしてほしい。
アニメ公開時期に救急搬送された人も少なくないと聞く。
(聞いたことはない)
そしてハンカチやティッシュ程度で拭えるような涙の量ではないことにも注意したい。
大判でなるべく肌触りの良いバスタオルがベターだろう。
女性の場合はメイクを落としてから見ることを推奨する。
アイメイクなどは全て崩壊することになるので黒い涙を流すことになる。
つけまつげも目に刺さる。
ここまで準備を完了させたら早速ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見ていこう。
この作品のあらすじ
感情を持たない一人の少女がいた。
彼女の名前こそ、ヴァイオレット・エヴァーガーデン。
戦争のために戦う道具として作られた彼女は大切な人との別れを経験する。
その別れ際に告げられた『愛してる』という言葉。
彼女は戦争が終わった今も、その言葉の意味を探している。
そんな彼女が出会った仕事が
『自動手記人形』通称ドール。
それは依頼主の気持ちを言葉に代えて手紙に綴る仕事。
ただ綴るのではなく、依頼主が胸の内に秘めた気持ちさえもすくい取る。
感情を持たず戦う道具として生きてきたヴァイオレットはこう考える。
『自動手記人形になれば愛してるの意味が分かるかもしれない』
こうしてドールの仕事を始めたヴァイオレット。
手紙に込められたいくつもの想いは、彼女の心に愛を刻んでいく。
感情を持たない一人の少女が『愛』を知るまでの物語。
それがヴァイオレット・エヴァーガーデンなのだ。
書いていて泣けてくる。
様々な依頼人と過ごす中で、様々な愛の形に触れるヴァイオレット。
悩みながらもその一つ一つが彼女を成長させ物語は進んでいく。
そんなこの作品だが、ファンの間ではもはや伝説となっている神回が存在する。
それが第10話。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンはこの10話なしに語ることはできない。
今回は伝説の神回である10話について紹介をさせてほしい。
歴史に残る涙腺破壊装置10話
申し訳ないが話自体の構造は非常にシンプルで分かりやすいので豪快にネタバレをしていく。
ただこのネタバレを見たところで物語の価値は全く落ちない。
むしろこれを見た後だからこそ余計に感動するまである。
この作品は文字で読んだ程度で味わえるような陳腐な作品ではない。
ここへ声優陣のセリフ、楽曲の相乗効果、情景を伝える作画。
全てが一つになることで圧倒的な京都アニメーションの底力を見せつけられる結果となっている。
これで興味が湧いた方はぜひとも全話通しで見ていただきたい。
それでは10話のあらすじを紹介しよう。
マグノリア家を舞台に紡がれる親子愛
マグノリア家の一人娘、アンはお母さんが大好きな女の子。
しかし最近はそんな母親の体調も優れず不安な毎日を過ごしている。
そこへ母の依頼でやってきたヴァイオレット。
その日から母はヴァイオレットと二人きりでアンに内緒の手紙を書き始めるのであった。
一方で母に近付くこともできないアンの心にはますます不安が募っていく。
アンは誰に宛てたものかもわからない手紙を書くより、少しでも自分と一緒にいて欲しいと願う。
それが叶わないのなら、せめて手紙を書いている側でお母さんの手を握らせて欲しい。
アンは、もう母に残された時間がないことを知っているのだ。
しかしそれすらも許されず、胸が張り裂けそうになるアン。
『手紙なんて届かなくていい』
と泣きじゃくるアンに、ヴァイオレットは優しく告げる。
『届かなくていい手紙なんてないのですよ』
ヴァイオレットがアンに内緒で代筆した手紙。
それは、50年間にわたってアンの誕生日に届く、母からの手紙だった。
将来、母が亡き後もアンは手紙によって母の愛情を受けて育つ。
遠く離れたところにいる母に見守られながら。
もう泣くでしょうこんなもん?!
書いてて泣くわクソがっっっ!!!
(取り乱した)
この10話を見て涙を流さない人は信用してはいけない。
それは人の形をした別の何かかもしれないのだから。
(唐突なSFホラー)
この10話にはそれぞれの登場人物の愛が複雑に絡み合っている。
まずは一人娘のアン
母が誰に宛てて手紙を書いているのか知らないアン。
『今だけでも一緒にいたい』
そんな寂しい気持ちが見ている胸に突き刺さる。
そして母を亡くしてから喪失感に包まれるアンに毎年届く誕生日の手紙。
母からの愛情を受け成長するごとに笑顔が増えていくアン。
そして成人を迎え新たな家族を持ったアン。
その道のりは辛いものだっただろう。
しかし、アンは母からの愛情を受けしっかりと成長したのだ。
その成長の過程に涙が止まらない。
そして娘を想う母
この物語の主役は何と言おうとこの母親だろう。
娘に宛てた手紙が誕生日50年分という規格外のボリュームである。
普通こういう物語は頑張ってもせいぜい成人まで。
下手をすれば成人を迎える際の1通だけというのもなくはないだろう。
しかしこの母親は違う。
50年分。
圧倒的な愛の深さである。
しかも手紙の内容がこれまた凄まじい破壊力なのである。
8歳の部
アン、8歳のお誕生日おめでとう。
悲しいことが沢山あるかも知れない。
頑張ることが多くてくじけているかも。
でも負けないで。
寂しくて泣いてしまうこともあるかもしれないけど、忘れないで。
お母さんはいつもアンの事を愛してるわ。
このブログを書きながらも私は多少涙ぐんでいる。
(調教済の涙腺)
この8歳の誕生日を目にするだけで直感する。
『あっ…これやばいやつだ…』
ここからはもう一方的な試合展開である。
10歳の部
アン、10歳の誕生日おめでとう。
背も伸びて、随分大きくなったのでしょうね。
でもまだ本を読むのと、踊る事は好きでしょう。
なぞなぞと虫取りは卒業したかしら?
18歳の部
18歳の誕生日おめでとう。
もう立派なレディね。
好きな人ができたかしら?
恋の相談には乗れないけど、あなたが選ぶならきっと素敵な人よ。
20歳の部
誕生日おめでとう、アン。
20年も生きたのね。すごいわ。
大人になってもたまには弱音を吐いてもいいのよ。
あなたが不安になっても私が居るわ。
アン。
ずっとずっと、見守ってるわ。
マジでそろそろやめてくださいお母さん。
私の涙腺が限界です。
(頭痛い)
娘のことをここまで想って50年分綴っていたのである。
母親の深い愛情に涙が止まらない。
しかしその一方で、母親はそんな風に想像したアンの将来を自分の目で見られなかったのだ。
娘の成長した姿を自分の目で見らない悔しさ。
同じ娘をもつ身としては見ていて辛いことこの上ない。
そんな中50年間、毎年誕生日に手紙が届くよう書き上げた母親の強さは凄まじい。
そんな母親の愛情の深さに打ちのめされるのだ。
最終的にはヴァイオレットに涙する
この物語の主役は母親で間違いないと思っていたのだが、ラストで様子は一変する。
無事母親の手紙を書きあげ、郵便社に戻ってきたヴァイオレット。
50通という量に同僚たちは驚きながらも
『 でも素敵ね。これから毎年届くのが楽しみね! 』
とヴァイオレットを労う。
しかしヴァイオレットはここで我慢の限界を迎えるのだ。
『はい、ですが…届くころにはお母様も…』
ヴァイオレットは我慢していた涙を流しながら畳みかける。
『 まだあんなに小さい、さみしがり屋で、お母様が大好きなお嬢様を残して…』
『あのお屋敷に一人残されて…私…私…』
『屋敷で泣くのを我慢していました…!』
(もう書いている画面が涙で見えない)
ヴァイオレット…!!!
感情を持たない戦うための道具だった少女が泣いたのだ。
それも他人を想い、他人のために涙を流したのだ。
ヴァイオレットが成長している…!
1話から9話までを見たあなたがこのシーンで我慢できるわけがない。
これは一人の少女の愛を知るまでの物語なのだ。
一人の少女の成長の物語なのだ。
そして悲しむヴァイオレットを同僚が慰める。
『 でもヴァイオレット。届くのよ。あなたの書いた手紙が。』
おいおいおいおいおいおいおいおい!!!
これ以上泣かせるな同僚?!
良いことを言うな?!
そして10話のとどめがこれである。
同僚『それに、遠く離れていても…』
この時点で涙は枯れ、涙腺自体が痛い。
過呼吸寸前でもはや虫の息である。
今までセリフだったじゃん?!
しゃべってたじゃん?!
声優さん仕事してたじゃん?!
違うのだ。
この最後のシーン。
『愛する人は ずっと見守っている』
ここだけを無音の字幕で流してくる京都アニメーションの異次元のセンス。
言葉として発すること自体がもはや陳腐。
本当の気持ちが手紙に表れているように、一番伝えたかったことが最後視聴者に伝えられたのだ。
見ている私たちへの渾身の手紙。
それが最後の
『愛する人は ずっと見守っている』
この一言だったのだ。
見ている私としてはまさにドールから心を綴った手紙を渡されたような感動であった。
文字起こしするだけでも若干感動で頭が痛くなってくる。
しかし作中ではここに楽曲まで加わってくる。
歌詞と優しい歌声が相乗効果を生み出したとき、人は脱水症状で搬送されるのだ。
(台無し)
私は10話を見すぎてもはやイントロを聞くだけで涙を流せる体になってしまった。
立派な人体改造である。
この作品、とりわけ10話は細胞レベルでの訴えかけが尋常ではない。
心が疲れた時、気持ちが腐っている時、何かにイライラしている時。
ぜひともヴァイオレット・エヴァーガーデンを見てほしい。
きっと優しい涙にあなた自身が救われることだろう。
ここからはオーバーキル劇場版
神回10話を経て全13話でお届けされるヴァイオレット・エヴァーガーデン。
もう見ている人のHPは0だというのに、追い打ちをかけるように劇場版も存在する。
劇場版についてはアニメを最大限楽しむためにも物語の詳細は控えさせていただく。
しかしこの劇場版の魅力を一つだけお伝えさせてほしい。
『開始5分そこらで既に号泣』
これがこの劇場版の魅力である。
(瀕死)
どんな感動大作でも号泣するのは終盤と決まっている。
それまでに丁寧に積み上げてきたストーリーが人を泣かせるからだ。
しかしこの劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン。
開始5分そこらでもう過呼吸寸前である。
開始数分でもう泣いている映画などこの世にない。
映画業界で類を見ない戦闘力だと思う。
これもアニメ全13話の布石がなせる業なのだろう。
しかし冒頭から一切手を緩めない京都アニメーションがもはや怖い。
私たちが何に最も感動しているのかを完全に捉えている。
新社会人の皆さんはこういったものからも市場調査の重要性を学んでほしい。
とにかく劇場版も涙と嗚咽が止まらないのでバスタオルとスポドリは準備して見るようにしてほしい。
全世界にこの作品を布教したい
ここまでで少しでもこの作品の魅力は伝わっただろうか。
これはオススメ!などではない。
布教だ。
冒頭でも書いているが、この作品は神にとって代わることの出来る存在であるのでもはや宗教なのである。
今回は人生殿堂入りのアニメ作品『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』について熱意の赴くまま書かせていただいた。
少しでも興味の湧いた方はYouTubeでも京都アニメーションの公式がダイジェスト版を出しているので見てみてほしい。
(全3回)
これだけでも頭痛になるほどには泣ける。
手紙というところもまたいい。
『大切な人には手紙を書こう』
そんな温かい気持ちにもなれる。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン、人生で見るべき作品の一つだ。