社内会議で物思う | コレナン?

コレナン?

日々の疑問、不思議、思うことをつれつれと書いてみる

なるがまま、流されるままへのジレンマ



最近そんなことを繰り返し感じる。
老人の独り言で、すまないが、書き連ねてみる。


依頼者があり、契約と、成功を信じお金と期間という制約の基にビジネスが成り立っている(厳密に言えば、それ限りではないが…)。
保険や補償の仕事であってもしかり。
しかしながら、役職の上位者であったり、仕事を把握していると自負している発散型の声の大きい方に場を仕切られること多数。
時は金なり。発散におつきあいをしているのではなく、それぞれがミッションを持ち、限られた時間に全うしようとしているが、聞くだけの話し合い、決まらない判断、時間のかかるアクションに予定の枠を超えてしまう。

勉学ではないのでまじめにしっかりだけでは、成果は認められない。
コンサルタントを招いての打ち合わせは、ミッションを成功するための確認だけでなく、時間以上の経費が掛かっていることを、経営サイドにならない限り知る由はない。
研究家や、優秀な社員であっても、その視点も踏まえビジネスを管理(マネジメント)することまで判る人は少ない。大企業内では特にだ。会話をなくしたり、省いたりすることを言っているのではない。要するに会議の場というのは、この場で話さなければならないことをコンパクトにまとめ、最良の判断を素早くジャッジメントする腕を磨く場ではなかろうか。会話の術を磨く場、解決の場、提案、確認の場なのだから、これまでの功績や、体験を語る場ではない。そういう会議では主人公以外が、ぼーっとする。国会中継のように。
こういう場こそファシリテーターが必要なのだけれど、日系企業ではその頭がまだないことが残念でならない。