ありがとう。
おかえりなさい。
一条です。
前回と同じタイトルですが、こちらは「学びのブログ」ということで、重要な部分はnoteの有料音声に移行する形となります。
今後も学びのブログは重要なところを有料化しますので、予備知識として一般公開のブログと併せてご覧くださいね。
「学びのブログ」では、稼ぐ風俗嬢になる為の考え方・テクニックについて詳しく書いていきます。一般ブログでは実名を出さないのですが、学ぶ方への信ぴょう性の為にも、必要に応じて実名を出して、経験値と共に語っていきます。
以下は、一般公開の一部抜粋です・・・
一条が高校生から新しい職場に就職したことは、もうかなり昔のことですので実名をだしてもいいでしょう(実名ですから事実しか語りません)・・・一条が高校の卒業から就職をしたのが、日本ハム(株)でした。関西にいたので、大阪から奈良営業所へ就職をしました。
一条が入学した高校は大阪府立西成高等学校といいます。西成区で初めて設立した普通科の高校ということでした。創立したばかりの高校ですので、第1期生となります。また、初代生徒会長にもなりました。
あれから47年の月日が流れ・・・令和3年のバレンタイデーにとある番組を目にする機会がありました。
一条は一期生なので、先輩を知りません。先輩がいないので自分達が手本にならなければという思いはありました。しかし、2年生、3年生となるにつれ・・・校舎はどんどん荒れていき、3年生になったときに校舎の廊下の窓ガラスという窓ガラスはほとんど割れていて、ガラスの代わりに透明のゴミ袋をガムテープでとめてありました。
自分は就職組でしたので、会社に寮があり、住み込みで働ける会社というを探していたところ、日本ハムがヒットしました。株式一部上場会社に就職が決まった時、クラスのみんなが「おめでとう」と言ってくれました。
卒業して働きはじめた時、「自分の働き方がだらしなければ、後に続く後輩たちに迷惑がかかる」という思いで、「会社の役に立てば、後輩も一流企業への就職の道が開かれるだろう」と、メチャクチャに頑張って働いた記憶があります。
高卒から日本ハムって・・・今や世界の二刀流といわれる世界のスーパースターと同じ道(名前だけですが、笑)を通っているんです。しかも、一条の今やっていることは、「光の稼業」(秘法使い)と「闇の稼業」(一条)と、仕事はというと二刀流です。
前回の記事では、2012年8月に書いた記事(『新しい職場』『働く!とは』『準備』)では、一般向けの内容を記事と音声で語っています。今回の音声では、過去に在籍していた店舗名やその時々の印象や、様々なエピソードを赤裸々に語ります。一条自身も、一度すべてをさらけ出して整理しておく事で、後々の役に立つかもしれないと思っています。
過去の出来事の中で一番心に引っかかっているのが、風俗業界に入った初めの頃は、現在提唱している「一条の教え」ではなかったという事です。一条自身、初めは一般的な風俗にありがちな教えをしていました。所謂、「お客様に対しては・・・」とか、「仕事に対する考え方は・・・」とか、「お客様には恋人のように・・・」とかです。今の様にぶっ飛んではいませんでした。
そのせいで、一条が働いてきた昔のお店(一条の教えが確立する前・・・時期でいうと平成17年より以前責任者をしていた店舗・・・音声で実名が出てきます)の風俗嬢たちは、ほとんど全員が病んでいきました。
「あの時の嬢達は、今、幸せだろうか?」と考えてしまいます。うろ覚えのところはありますが、昔在籍していた店舗を、実名で、時期も含めてお伝えいたしますので、もしその頃、そのお店に在籍していたという方で、今現在悩みの渦中にいるのであれば、何かしらのお役に立てることもあるかもわかりません。ぜひ一条までご一報いただければ嬉しく思います。
この場をお借りして・・・
その当時、「一条の教え」が確立できていなくて、もし病ませてしまっていたならば申し訳ございません。
いよいよここから、「学びのブログ」の本題に入ります・・・
※一条の面接用履歴書を参照
昭和52年3月 大阪府立 西成高等学校卒業
昭和52年4月 日本ハム(株)奈良営業所 入社
昭和59年12月 日本ハム(株)奈良営業所 退社
昭和60年1月位〜ここから約13年間にわたりホストの世界に居りました。詳しい年月日の記憶は薄いので、勤めていた店舗名を順番に書きます。「一条」は、ホストになって大阪に勤務するようになってからの源氏名です。その当時勤めていた店舗名は、実名で書きますが、関わりのあった方々の名前に関しては、イニシャルとさせていただきます。
●昭和60年1月 京都先斗町 ホストクラブ松山入店 約3ヶ月で退店
●昭和60年4月 大阪市南区(難波)三津寺 クラブ・ウエディングベル入店
●昭和60年1月
大阪市南区(難波)三津寺 クラブ・ウエディングベル勤務をしながら、イブの店(午後8時から午前12時までの時間帯の勤務)ナイト・カーネギー勤務、その後ウエディングベルを一旦退店し、ナイト・カーネギーのイブとナイト(午前12時30分から午前5時)の時間帯で勤務。
ナイト・カーネギーを退店して、クラブ・ウエディングベルに戻る。ウエディングベルでの役職はマネージャー職となり、現役のホストとして働く傍らで、新人ホストの接客、テーブルマナーや業界のルール研修、ダンスの講習、面接担当などを兼任する。
ホストとして勤めたお店、ホストを辞めた後に風俗業界の経験履歴、関西大手のHPグループ(音声では実名)1店舗目で店長となり神戸にて新規店立ち上げ2店舗、系列店HP.P3、横浜へ転勤横浜新規店立ち上げ1店舗、HPグループを退社、関東大手Hグループにスカウトされる。横浜店1店勤務の後、新規展1店舗オープン、さらにもう一店舗の責任者を兼任する。
その後、横浜の系列店2店舗の責任者を経験した後、新宿歌舞伎町の店舗へ配属、1店舗を廃業、次に人妻店の責任者の時に新宿浄化作戦に巻き込まれ、無許可店を廃業する。歌舞伎町で4店舗合同のデリバリー形式店舗をオープン。その後、デリバリー店舗は会社の方針で売却、ソープランド後の店舗をヘルス形式でオープン。東京地区3店舗の東京統括になる。
福岡へ転勤、2店舗合同展の責任者となが、その後退職。退職後、妻の実家である秋田へ移住。秋田にてキャバクラの黒服、62歳の時ソープ従業員となる。ソープを辞める同時に東京に戻ることを決めていたので、全捨離(全てのものを断捨離すること)してトランク1つリュック1つで東京に出てくる。1年7ヶ月放浪の後、現在に至る。
詳しい経歴は、音声の中で実名で語られています。音声で知り得た情報は、外部に漏らさない様くれぐれもよろしくお願いいたします。
全ての経歴は、詐称していないことをお約束いたします。
一般公開のブログではお話をいたしましたが・・・
『新しい職場』『働く!とは』『準備』
3つのお話はつながっています。新しい職に就いた時、働くということの意味、何の為に準備をするのか?一条の場合、それぞれの物語に、様々な失敗やエピソードがあります。
これを読んだり、聴いた貴女が、後にとる行動はどのようなものでしょう。ここでは、一条が常々、心掛けていることについてお話をしたいと思います。
・一条の場合、見聞きすることに対して、「全ては正しい」という受け入れをします。
この考え方は、一般常識的から矛盾している考え方ですが、一条の場合、矛盾も正しいとして受け入れます。(これは、あまりにも深過ぎる悟りレベルの解釈が必要なので語りません)
・素直な気持ちで受け入れます。
・学んだことは即座に行動します。
・誰かに向けて発信する(伝える・教える)
ということをします。そして、伝わるのか伝わらないのか、必ず失敗をしてみます。そうやって、自分の失敗の経験から学ぶのです。
自分のフィルターを通して、自分の思いを伝えるという練習を、失敗から学ぶようにしています。これを一つの考え方として持ってください。
「一条の教え」は、風俗の世界において『唯一無二』の教えです。
貴女が今まで関わってきた風俗業界の常識という枠の中では非常識なことが、「一条のお教え」では、当然で当たり前のこととして語られています。
これまで、一条の教えを学び実践された方は、100%思い通りの結果を手にしてきています。一条の教えでは、『貴女の在り方が、貴女らしいのですよ!」と、常々お伝えしています。
成功の秘訣はたった一つ、『素直にやる!』それだけです。
一条の教えを学んだ貴女には、自身の問題が落ち着いた後、経験というフィルターを通し、次の世代の風俗嬢に伝えていただきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございます。
それでは、今日も元気に・・・
いってらっしゃい。
ありがとう
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