鶴ヶ城(会津若松城)から車で10分程走ると
飯盛山へ行く階段が見えてきました

ここは数年前 夫と義姉達と訪れたので二回目です
確か このスロープコンベアで上まで行った事を覚えています
疲れていたので私はコンベアに乗り
夫は歩き 先に着いて待っていました






降りた所には
「白虎隊」十九士のお墓があります

「白虎隊」とは戊辰戦争の際 会津藩の子息(15~17歳)で編成された軍隊です

戊辰戦争とは1868年 「鳥羽・伏見の戦い」を皮切りに
15代将軍 徳川慶喜を擁する 旧幕府と 薩摩藩・長州藩を中心とする
新政府軍で争われた一連の戦争のことです

戊辰戦争は「会津戦争」も含め 一年以上続き
1869年「五稜郭の戦い」にて終結しました
この終結により新政府により新しい年(明治維新)が始まる事となるのです

明治元年の干支が「戊辰」だったので

《戊辰戦争》と名付けられたそうです


今から150年ほど前の出来事・・・
私の父は1913年(大正二年)生まれでしたので
祖父母が生きていた時代です
それ程 昔ではない時代~

その地を訪れ 何とも言葉が出ません。。。

今もこの地に眠る御霊に祈りを捧げました


右側には 会津若松市内を見渡せる場所へと続く歩道があります












緑豊かな静かな場所を通り抜けると
眼下には市街地が見えてきました

又この地に所縁ある方々のお墓もありました











ここは特別な地です
幼さが残る この石像を見ると悲しさが込み上げて

ただ ただ 安らかに〜と願う事しかできなかった

遥か先に見える「会津若松城」を確認し
すぐに来た道を戻りました。。。

帰りは階段ではなく坂道を下りる事に~






〈宇賀神堂〉

五穀豊穣の神をお祭りしています
1661年頃 松平正容が厳島神社の傍社として建設され
現在は明治23年につくられた 白虎隊十九士の霊像が祀られています



【さざえ堂】

飯盛山に建立された特異な構造や外観がさざえに似ている事から
〈会津さざえ堂〉 とも呼ばれています

1796年建立

三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂です

1995年 国重要文化財指定











 この奇妙な建物は何?・・・
柱が斜めで歪んで見えなくもない⁈
遠くから見ても迫力あります!
興味を惹かれ 周囲から写真を撮りまくりました









龍の彫刻が施され
かなりの年数が経っていると一目で分かる建造物です














すぐ横には【戸ノ口堰洞穴】がありました









猪苗代湖から会津地方へ水を引くために掘られた洞穴です

白虎隊が戦時中 鶴ヶ城の確認をする為
飯盛山へ行くためにこの洞穴をくぐったとされています

この穴の先はどうなっているのでしょうか?


勢いよく流れる水に一時 清涼感に包まれます











そして、、、ここにも由緒ある神社が鎮座していました

一旦 鳥居のある場所へ行き そこから再び参道を歩きました


【厳島神社】




〈鳥居〉





<扁額>






飯盛山への登り石段から外れた
緑豊かな参道です






広島の厳島神社の大鳥居に似ています






何百年にも渡る御神木が左右に建ち
神社の歴史が感じられます






〈拝殿〉

創建は1381年頃 地域の豪族により社殿が造営されたのが始まりです


~由緒書~





緑と水路に囲まれた空間は清々しく
神聖な気持ちになれました





一泊二日の一宮巡りの旅でしたが
とても貴重な御朱印拝受 宮司さんとの出合い
更に会津観光で歴史にも触れ 内容の濃い旅となりました

長きに渡り ご覧いただき有難うございましたm(__)m