昨日メッセンジャーにて、岡山の奇跡のコース学習会の皆さんに、奇跡体験をシェアしました。

シェアの目的は、こんなことがあったー!とただ誰かに聞いてほしかったという、なにかの欲を満たす本当に単純なものですが、それでも結果だけをみてみると、その200倍は自分はもちろん、多くの方に何かしらの気づきを与えているようでした。

私は奇跡のコースを独学で本は頼ってもリアルに人と繋がったり、仲間に聞いたりせず自分でなんとか考えて学んでいこうという自分スタイルにこだわりをもっていました。


自分スタイルのメリットは、

自分の考えを大切にできる
孤独の旅
人に頼らない
甘えてコースに取り組まない
自分が主体的にコースに取り組むことができる
自分で自分の人生の責任をとることができる

でした。いい面ももちろんあり、自立した学ぶ力をつけましたが、デメリットは間違いがわからない、兄弟を通じた気づきや以外な学びの体験ができにくくなる。視野がせまくなるなどです。


そもそも根底の力動には人を信用してない。
拒絶しているという話なだけですがショボーン


でも岡山の学習会の講師の方に、アドバイスを頂き自分が一人では気付けなかったことについて、的確に気づかせて頂きました。


なんでもそうですが、自分より学ぶ時間や学ぶ意欲がある方のアドバイスは、間違いなく自分が苦労して通った道だからアドバイスできるということですし、だからこそわかるんだと思いました。


だとしたら、講師の方のアドバイスは本当に、私に自分のように苦労しないで、もっと楽に通過してほしいといった現れだと思いましたし、間違いなく私個人にだけ発信してなくて、仲間にも伝えているとも思いました。


アドバイスをみて、自分は正しい!と思いたかったし、自分が一人でなんとかできると考えて、奇跡のコースを実践してました。


孤独を決断して、自分なんか、どうせといった、簡単にいうと片意地を張っていただけなような気もします。


でも人を信用しなかったお陰で、コースに取り組む際、肉体や幻想の世界の人間関係の現実に振り回されたり、特別性の人間関係に意識を向けずにただただテキストに取り組んで、ワークやその他書籍に取り組めたことは、一見デメリットばかりに見えますが、よかった面もありました。


もし、基礎がなく奇跡のコース学習会に行くと、
講師の方のいうことが全て正しく聴こえて、疑問を持たずに聞いてしまうという、全て受け入れてしまう、真に受けてしまうという大きなデメリットが存在するからです。


そういう意味では、2年たって

自分なりの基礎
自分なりのやり方
自分なりの意欲
自分なりの芯の確立

をもって取り組めたことは決して間違いじゃなかったと思います。孤独のメリットともうしましょうか。


これからは、自分の体験が兄弟の救済に繋がること、また兄弟を通じて自分も救われるといったところに意識して、自力と他力と精霊力?笑をうまく使えればいいかなと思います。