私が学んだ第二次世界大戦後の日本史は、書物の名前として「風土記」「日本書記」や「古事記」は学んだが、その中に描かれている神話の部分は、削り取って教えられました。
そのため、歴史で生活の糧を得ている今でも、聖徳太子の飛鳥時代以前の知識は、年表レベルです。
今回、「海賊がつくった日本史~海の道の歴史~」を書くにあたって、今更ながらですが、その時代の史料を調べていると、思わぬことが気になりだしました。
その一つが今回のテーマの「神武天皇」と中国の秦の始皇帝の命令で日本に来たという「徐福」です。司馬遷が書いた「史記」の中に、徐福が西暦の紀元前21年に、中国を初めて統一した秦の始皇帝に
「東の海中に蓬莱・方丈・えい州という神仙のいる三つの神山があります。神仙は神薬を持っているため、不老不死です。私が始皇帝のために、その薬を手に入れてきましょう」
そのため、歴史で生活の糧を得ている今でも、聖徳太子の飛鳥時代以前の知識は、年表レベルです。
今回、「海賊がつくった日本史~海の道の歴史~」を書くにあたって、今更ながらですが、その時代の史料を調べていると、思わぬことが気になりだしました。
その一つが今回のテーマの「神武天皇」と中国の秦の始皇帝の命令で日本に来たという「徐福」です。司馬遷が書いた「史記」の中に、徐福が西暦の紀元前21年に、中国を初めて統一した秦の始皇帝に
「東の海中に蓬莱・方丈・えい州という神仙のいる三つの神山があります。神仙は神薬を持っているため、不老不死です。私が始皇帝のために、その薬を手に入れてきましょう」
と持ち掛けたのです。始皇帝は徐福の言葉を信じて、多額の資金と、船、そして3000人の若い男女、いろいろな技術をもった工人、そして五種類の穀物の種を与えました。しかし、徐福は出航したものの、行った先で、王となり戻らなかったというのです。
この「史記」の記述に対して、日本国内には徐福が渡来したという言い伝えがある海岸が各地にあります。その中で一番多いのが、和歌山県の熊野地方の海岸で、そこに定住したとも、そこから内陸に入っていったとも云われています。
神武天皇の方は、「日本書記」によれば紀元前600年に即位したとされています。第二次世界大戦前には、これを根拠に紀元2600年の記念行事を行うというバカなことをしていましたが、さすがに現在は紀元600年を信じる歴史学者はいません。
しかし、これが西暦紀元20年代頃のことだとしたら、同じ南の海から熊野に上陸した優れたリーダーを擁した集団ということでは、なにか共通の匂いがするのですが、いかがでしょうか。