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海賊がつくった日本史

現在、2017年新春に出版する予定の仮題『海賊がつくった日本史~海の道の歴史~』という著作を執筆中です。その中の小ネタを待ちきれない読者のために小出しにします。著作が出版されるまでの間、これで我慢して待っていてくださいね。

 私が学んだ第二次世界大戦後の日本史は、書物の名前として「風土記」「日本書記」や「古事記」は学んだが、その中に描かれている神話の部分は、削り取って教えられました。
そのため、歴史で生活の糧を得ている今でも、聖徳太子の飛鳥時代以前の知識は、年表レベルです。
 今回、「海賊がつくった日本史~海の道の歴史~」を書くにあたって、今更ながらですが、その時代の史料を調べていると、思わぬことが気になりだしました。
 その一つが今回のテーマの「神武天皇」と中国の秦の始皇帝の命令で日本に来たという「徐福」です。司馬遷が書いた「史記」の中に、徐福が西暦の紀元前21年に、中国を初めて統一した秦の始皇帝に
「東の海中に蓬莱・方丈・えい州という神仙のいる三つの神山があります。神仙は神薬を持っているため、不老不死です。私が始皇帝のために、その薬を手に入れてきましょう」
と持ち掛けたのです。始皇帝は徐福の言葉を信じて、多額の資金と、船、そして3000人の若い男女、いろいろな技術をもった工人、そして五種類の穀物の種を与えました。しかし、徐福は出航したものの、行った先で、王となり戻らなかったというのです。
 
 この「史記」の記述に対して、日本国内には徐福が渡来したという言い伝えがある海岸が各地にあります。その中で一番多いのが、和歌山県の熊野地方の海岸で、そこに定住したとも、そこから内陸に入っていったとも云われています。
 
 神武天皇の方は、「日本書記」によれば紀元前600年に即位したとされています。第二次世界大戦前には、これを根拠に紀元2600年の記念行事を行うというバカなことをしていましたが、さすがに現在は紀元600年を信じる歴史学者はいません。
 
 しかし、これが西暦紀元20年代頃のことだとしたら、同じ南の海から熊野に上陸した優れたリーダーを擁した集団ということでは、なにか共通の匂いがするのですが、いかがでしょうか。
村上海賊の祖の話は後日として。
 実は、村上海賊の総領の血脈は前期と後期では別脈だといわれています。
皆さんがよく知っている戦国時代の村上海賊は、後期の村上氏です。
前期の最後を飾ったのは、南北朝の戦乱で、大活躍した村上義弘です。
最初は足利尊氏に従い、鎌倉幕府の滅亡に貢献し、主家だった河野氏の滅亡の危機には、の跡継ぎ徳王丸を守って戦い、その後は南朝に味方したという武勇の人で、「海賊大将」と呼ばれました。
 しかし、義弘には跡継ぎがいなかったため、村上氏の総領家は途絶えてしまいました。
そこで、南朝の重鎮で策士の北畠親房が、斡旋して、同じ村上天皇から分かれた村上源氏の一派である信濃国の村上氏から師清という武将を連れてきて、総領に据えたというのです。この師清が後期村上氏の祖だと言われています。だから、家紋が同じ「丸に上」だともいわれています。
 ただし、この説は、村上海賊の地元・愛媛県や広島県の郷土史家には評判があまり良くないのです。その代わりに主張されているのが、北畠親房の子の顕成だというのです。
北畠親房は「神皇正統記」を書いて南朝の正当性を主張し、奮戦した貴族で、第二次世界大戦前は英雄視された人物です。しかも、村上天皇から連なる村上源氏の正当な後継者である氏長者の血筋だったのです。
 なるほど、村上海賊の子孫の皆さんが、祖先が信濃国の山奥の分家から来たというよりは、氏長者でもある南朝の英雄の子孫だと言いたい気持ちはよく分かりますね。
村上竜さんの歴史小説に『村上海賊の娘』というのがあります。
ここに描かれている海賊は、戦国時代末期に瀬戸内海で活躍した「村上水軍」のことで、その統領である村上武吉の娘「景」の物語です。武吉は実在した海賊大将ですが、「景」という娘が居たかどうかは不明です。
もちろん、私も拝読し、自由な発想を大いに楽しませてもらいました。
 
さて、第一回目のタイトルが「我こそは海賊の娘」となっている理由は、私自身が海賊の血を引く娘だからです。(婆という声がありますが、昔は娘でした)
私の母方の祖先は、安芸国蒲刈島(現在の広島県呉市下蒲刈町)に本拠を置く多賀谷氏という海賊でした。南北時代から戦国時代にかけて下蒲刈島の岬に「丸屋城」という海城を築いていました。そのためか、明治時代になっても家の屋号が「丸屋」だったのは、その名残でしょうか。ということで、私の母の姓は「多賀谷」で、正真正銘海賊だった「多賀谷」の娘です。
そしてその血を引き継ぐ私も「海賊の娘」ということになります。
 
ちなみに「山田」という父方は、まだ最終調査は終わっていないのですが、「山師」という山の中で鉄の鉱脈を探す家系だったようです。時には「山賊」働きもしていたかもしれません。
という訳で、私は「海賊」と「山賊」の間に生まれた娘ですから、最強の娘(婆)だと自負しています。
 
そんな「海賊の娘」がこれから何を書くかというと、実は来年(2017年)の新春に仮題ですが『海賊がつくった日本史~海の道の歴史~』という新刊を出そうと、只今執筆中です。
構想30年、準備5年ですが、未だ完成していません。
その間、各地でネタを小出しにしていたら、そのまま書くだけで本になるというアドバイスや、
予告ばかりで待ちきれないという抗議をいただくようになりました。
 
そこで、短期集中連載という形で、本が出版されるまでの間、ネタの小出しをしようと思います。まだ、執筆中なため、「起承転結」でいえば、「起承」ぐらいのものもありますが、「転結」は、著作の完成時にお楽しみください。
 
この連載は、残念ながら、写真は少ないと思いますが、その分、読み応えがあると思いますので、よろしくお付き合いのほど、お願いいたします。