おかげさまで39周年~ IT'S UP TO YOU! | 越谷ではたらく不動産屋はブログ休止中

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地獄から生還し不動産業界に復帰!今はすべてのことに感謝できる。生きているだけでマル儲け。介護と不動産と海を通じ人々を感動させたい。心を動かされなければ人は動かない。あの経験は絶対に無駄にはしません!仕事も遊びも全力で!そこんとこヨロシク☆

おつかれさまです。

台風一過の晴天に恵まれた一日。
しかし、既に台風19号が私の大好きなサイパン近海で
発生しています。予想では再び日本列島を襲撃する感じ…(-_-;)

さて、本日10月1日。
弊社は第39期を迎えることが出来ました。

創業メンバーは既に退職され、今では社長だけです。

いつも前向いて、未来を見据えた投稿を心がけていますが
敢えて過去を振り返る記事を、昨日に続き書いてみます。


一般的にバブル経済が弾けたのは
平成2年2月(1991年)と言われています。
不動産業界もモロにその影響を受けているのですが、通説として
ベッドタウンの不動産は時間差で波及されるとされています。

世の中が騒ぐほど越谷エリアは、まだまだバブルの余韻に浸ってた。
しかし弊社の社長は動物的本能で危機を感じたのか、それまでの
拡大路線を一転し、ダウンサイジングの方向に急きょ、舵を切った。

私は当時、別の会社に勤務していましたので、その様を見て
『あぁ、あの会社いよいよ潰れるのだな。』・・・と、思っていた。
在庫物件の投げ売りが始まり、社内は動揺し、荒波に揉まれ
沈みかけた船だと感じたのか、社員はその船から逃げ始めたらしい。

そんな異常なまでの経済環境の変化に、自然と縮小し生き残ってたこの会社。
30名ほどいた社員が、私が入社した時には私を含め8名だった。

それは平成3年9月(1992年)のことでした。
私自身も前の会社をリストラされた身分でしたが、しかし奇妙なご縁で、
入社することになり『鳴り物入りの経験者』という
期待を裏切らないよう、必死に走り回った一年が過ぎた頃・・・

平成4年8月撮影集合写真 
こんな写真を撮っていた。営業ツールである20年前の会社案内用のものです。
(会社案内には平成4年(1993年8月撮影)と、書いてある。)

今思えば、この時がバブル後の傷から立ち上がる、第二創業期とも言えます。

私は何処にいるか、わかりますか?(笑)

丁度この前月、社員旅行でハワイから帰国したばかりで、みんな真っ黒ですw

(この社員旅行が私にとっての初海外旅行でした。)

入社後一年の間に、後輩が二人入ってきたけど共に年上。先輩は年下・・・(-_-;)

いろんな人間関係ありましたが、とても楽しく充実した日々を過ごしていた。

みんなライバルでもあり、同じ釜の飯喰う仲として、結束していたと思う。

誰がどこに住んでいて、家族構成はこうで、何が趣味で、どんなお客様を追って

こんな電話が架かって来た、今日は何してたか、明日は何処に居るのか、…

などなど、小さい会社だからこその情報共有と、仲間への関心や想いやり。

で、今、どうなんだ???

まったく、なってない。 断言できる。

まず、相手に対する無関心。 これはイコールお客様にもそうなのだろう。

今の若いモンは…というレベルで片づけてはいけない。

なぜ、そうなってしまったのか。

簡単だ。

ちゃんと、教え継がれてないからだ。

SSJ スピリッツを。。。。

今の幹部たちの責任だ。

俺はこの写真に映っている人たちに、教えられた。

だから今でも、こうして語れるんだ。

そして、後輩にもそのスピリッツを、レジェンドを伝え続けた。

ま、途中で頓挫してしまったが、また今も、同じことやってる。

でも、まだまだ足りないらしい。


明日からの二日間の定休日。

毎年のことだが、休日返上で幹部集合の、泊まりで会議する。

『第39期経営戦略会議』

社歴が長ければ長いほど、変革を嫌う。拒否反応が起こる。

このままでいいの? 現状維持って=衰退だと思うんだけど。

名前にふさわしい、内容にしなければ人財を造ることなんてできないぜ。

未来の繁栄すらない。


今、第三創業期とも言える、この状況、外部環境。

しっかりと議論したい。

私の目的、存在価値はこんなとこだ 『刺激的な組織をつくる』



今、こんな気分・・・

IT’S  UP  TO  YOU ! 「本当はもう気づいているんだろう?」




P.S

WBS始まりました。森本アナ、夏休みからお帰りなさい。
何処で誰と、バカンス楽しんだんでしょう?気になる・・・(-。-)y-゜゜゜





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