いつだって天使といっしょ

いつだって天使といっしょ

光と魔法の国へようこそ

目にはみえないちからを信じはじめると 世界は瞬く間に変わっていきます

 

あなたを癒し あなたの勇気になる言葉たちが あなたを待っています

Amebaでブログを始めよう!


あけまして おめでとうございます!

いよいよやってきましたねえ!
2012年!!!
待っていました(笑)

今年は しっかりと大地を踏みしめながらも
一気に駆け抜けて
というか 
突き抜けて 
秋には とびっきり大きな果実を味わう予定

そして 
その次の未来に向かって
いっぱいいっぱい 土を豊かにして
愛と喜びの種を 蒔くつもり!

この
喜びに満ちた新しい人生を
みなさまと どうぞ深く深く わかちあえますように

あなたの 幸せを いつだって お祈りしています

さあ!
楽しく いきましょう!!!

本年もどうぞ よろしくお願いいたします



先週の今日 誕生日でした

誕生日って
今回の人生を始めるスタートの日 なわけですが
(実際の今生の記憶は 胎内から始まっていますけれども)

ひとが生まれ変わるときというのは
「誕生日」その日に限りません

いろいろなきっかけや出来事
それらが自分自身を大きく変容させたとき
それもまた 誕生日です

「新たなるわたし」 の 誕生



去年の10月27日から このブログを始めて一年

その ちょうど一年後の 今年の10月27日に
わたしという人間が生まれ変わる あることが 起こりました

・・・それは 用意されていたのでしょうね
・・・それは 予定通りだったのでしょうね

やるべきことと やりたいこと

それが 大きく シフトチェンジしました

もちろん

たどりつきたい風景 その場所は変わっていません
なりたい自分 なるべき自分
神様との約束を果たしたい 
そこは 不変であり 普遍です



セッションは これからもしていきます
ただ
ブログの更新は 少し お休み
いったん ここで 終わりにします

書きたくなったら また 書きますね

フォーカスするところを変えたいのです



これまでお読みくださった皆さま
ほんとうに ありがとうございました
「読んでます!」 というメッセージは
ほんとうに こころの支えでした

みなさまへ感謝の想いは
セッションで お返しできたら と 思います


携帯のアドレスは変わっていませんので
セッションのお申し込みやお問合せは
これまでどおり ご遠慮なくなさってくださいね


愛と感謝を込めて


那珂川 典子


ずいぶんご無沙汰してしまいました
みなさま いかがお過ごしでいらっしゃいましたか

そのあいだ 
わたしは ヨガに通ったり 
催眠療法のワークショップに出席したりと
いっきに 新しい世界が広がりをみせ始めました


催眠療法は
ひとの潜在意識に 意識的に働きかけて
習慣の変化を促したり
痛みをとったり
魂のトラウマを癒したり することができます

普段のわたしたちは 
理性や知性といった 顕在意識の力に
ほぼ 従って生きているような状態です

つまり 潜在意識の声が 聞こえてない状態

その潜在意識を 意識の表面に浮かび上がらせるのに有効なのが
瞑想や催眠です

催眠療法のセラピストは
クライアントさんに 催眠をかけて
顕在意識と潜在意識のあいだの膜を 外します

すると それまで膜によってブロックされていた
潜在意識のなかの 
感情や記憶などが 意識の表面に浮かび上がってきます

それが 前世の記憶であったり
胎児のときの記憶であったりすることもあります

問題というのは 意識化されてはじめて
それを解決する という選択肢が浮上します

そして 潜在意識のうちに潜んでいた
「問題の根っこ」 にあるものが何なのかが分かれば
問題は 解決へと一気に進むことができます

これは
わたしがこれまでにやってきたオーラリーディングの手法と 
異なるようで 
非常によく似ています

「上に尋ねる」
「潜在意識の声をきく」

「アカシックレコードにアクセスする」
「集合的無意識にアクセスする」

言い方は違うけれど
本質は同じこと

・・・面白いなあ!!!

と わくわくしながら先生のお話をきいていました

クライアントさんが元気になり 
勇気をもって ご自身の道を行かれる そのお手伝い

やり方はたくさんあるし
神様は そのために必要なものは全部
与えてくださっているのだなあ と
あらためて感じた経験でした

これから
さらに 深めていきます!





おとうとが ふたり います

とにかく厳しく 家の中で 常に緊張を強いられて過ごした子ども時代
兄弟仲が良いことは わたしの大きな救いでした

2歳年下のおとうととは 小学校にあがるくらいまで
ほんとうによく 一緒に遊びました
わたしの大事な 親友であり同志 そしておとうと でした

6歳離れたおとうとは 
まるで天使が我が家にやってきたようで 可愛くて可愛くて 
だっこしたりおんぶしたり
気分は小さなお母さん
どこまでいっても わたしの小さなおとうと
そんな感じでした


これから生まれてくる魂が
その課題に取り組みやすくなるよう 両親を選ぶのと同様に
兄弟のあいだにも
課題や約束が あるようです

2歳下の弟とは 「同志」 という気持ちが
なぜかいつも ありました
どうやらいつかの過去生で
わたしたちは 権力に抵抗するレジスタンス活動をするようなグループの
仲間だったらしいのです

そう まさに 「同志」

わたしは 幼い頃から
無条件に おとうとをとても頼りにし 信頼していましたし
おとうとは なぜかいつも
「おねえちゃんにはかなわない!」 と 
素直にわたしのわがままを聞いてくれていました

彼が ある出来事によって大変なつらい思いをしていた時
わたしは その苦痛をおとうとに与えている「そいつ」を
「わたしが闘って こらしめてやる!!!」 と 鼻息荒く 決心したりしました
絶対に わたしが おとうとを救うのだ! と

実際には 決闘は実現せず
事態が落ち着いたあと
わたしは 闘えなかったことを ひそかに 悔しがりました 


幼かったころも
大人になったいまも
ふたりのおとうとたちは わたしにとって
神様からの 大いなる贈り物です

彼らがいてくれて ほんとうに よかった
神様と彼らに 
心から 感謝しています

楽しい思い出も
大人になってから 折に触れて酌み交わすビールの味も
みんなみんな わたしを支え励ましてくれました


今日はこれから
我が家におとうとがやって来て うちごはん!です
もちろん 飲みます(笑)

いつもお姉ちゃんぶっているわたしですが
たまには甘えてみようかなあ(笑)

なんて ひそかに思ってみるのでした

ありがとう!わたしの大好きなおとうと!!!



 


たぶんまだ 10にみたない年のころ
町で小さなお祭りがありました

その小さな縁日の屋台に並ぶ
子供向けのアクセサリーは 
子どもだったわたしには それはそれは綺麗にみえました

そのお祭りからの帰り道 ふと 思いつきました
「あんな綺麗なアクセサリーを お母さんにプレゼントしよう!」 と

母の誕生日でも 母の日でも ありませんでしたが
屋台でみかけたおもちゃのアクセサリーが
キラキラとあまりに可愛らしく美しく 
まるで 宝物のようにみえて
そういうものには興味のなかったわたしは
それを 自分にではなく 母に 贈ろうと思ったのでした

翌日 近所の雑貨屋さんに出かけて
母への贈り物を 一生懸命選びました

お小遣いをもらっていなかったわたしが
なぜ現金をもっていたのか不思議ですが
おそらく お祭り用にと与えられていたお小遣いの残りがあったのでしょう
母への贈り物のことを 弟にも話して 彼からも200円くらいの援助を受けとりました

わたしも弟も それはもう楽しみで
母が いったい どんなふうに目を丸くして
その 突然の贈り物を喜ぶかと
ドキドキして わくわくして 興奮していました

そのブローチは 当時の値段で千円くらい
アクセサリーとしては 安価なものです
そんなことは 子どものわたしにもわかっていました
でも
「おもちゃ」ではなかったし
相談したお店のおじさんも
「お母さん 喜ぶよお!」 と 太鼓判を押してくれた
可愛らしい品物だったのです

けれど

包みを受けとり 無言のまま包装紙を剥がして 
そのブローチを眺めた母は
「こんな安物 わたしは付けないから」 と言って
無表情のまま それを棚の上にポンと置いて 部屋を出て行ってしまいました

何が起こったのか よく 理解できませんでした
けれど
あとからあとから涙が湧いてきて わたしの頬を流れました
弟はきょとんとしたままでした
きっと 夢を見ているような感覚だったに違いありません
わたしは 母に何かを言うこともできずに
ただ 静かに泣き続けました
怒りでもなく 悲しみでもなく ただ 呆然と

いえ 
悲しかったのに違いありません
けれど
その当時のわたしには それを「悲しみ」だと認識する余裕はありませんでした
ただ その時に わたしのこころは 
これからはもう ひとからは なにも受けとらない と
決めたようでした

 賞賛も
 感謝も
 愛情すらも

誰かが わたしに与えようとしてくれるものすべて
こころの扉を ガチャン と閉めて締め出すのだ と

こころを開いていても
受けとるのが相手の拒絶なのなら
そんな痛みは もう二度と 味わいたくない と

こころを閉ざしていれば
もう そんな悲しい苦しい目にはあわなくてすむ

締め切った扉の向こうで
わたしに 愛を与えようとしてくれた幾人ものひとたちが
背を向けて 立ち去ってゆきました

当然です
わたしは けして 愛情や感謝を受けとろうとはしなかったのです
そのくせ 愛を与えなくては神様に愛してもらえない という間違った信念を
生活の上で実践していました

自分の内側に愛が満ちていないのに
あたかも 自分には愛が満ちているかのような振る舞いは
わたし自身を揺らがせ 空虚にし 虚無へと落とし込んでゆきました


・・・わたしはただ 
母に 愛されたかったのです

嘘でもいいから 冗談でもいいから
「わあ! 可愛いねえ! ありがとう」 と 言って欲しかったのです

そのことを思い出し 認め 
こころを閉ざした自分を癒そうと決心するまでに
長い長い時間が必要でした


でも やっと
わたしのこころの奥底で
隠れて泣き続けたきた 小さなわたしと
お別れをするときが 来たようなのです

小さなわたしは そっと その泣き腫らした顔を出して
わたしに言いました

「もう わたしは 帰りたいの
笑っていた頃のわたしに帰って 愛を受けとりたいの
愛をうけとって 大人へと成長したいのよ」 と

泣き続け たすけを求める声すら涸れてしまった 
その小さなわたしの手は いま
光り輝く天使のやわらかな手とつながれていて
上へ 上へと 昇ってゆきます

暗く 淋しい 孤独な場所から
光にみちた 愛であふれる その子の本来の居場所に 帰ってゆくのです

わたしは
長い時間 空を見あげて その子を見送りました
雲の向こう 空の彼方へ 吸い込まれ帰ってゆくその姿を
じっと 見送りました


やっと
受けとることを拒絶し続けた自分と お別れです

長く孤独な 闇をゆくような道のりは もう おしまい

これからは
光にみち 笑い声と冗談が弾け
あたたかく わたしを援けるありとあらゆるすべてに囲まれ 
手をつないでの にぎやかな道のりです

閉め切られていた扉は いまや 開け放たれ
溢れんばかりの光が
わたしの内を満たし続けます

もう 
さみしくないのです

もう
悲しくないのです

空を見あげると
小さなわたしが キラキラした笑顔でわたしに手を振ってくれました

もう だいじょうぶだよ! と



よかった!!!

さあ!
はじめましょうか

豊かな 豊かな わたしの新しい人生を



 






あなたの目的地は どこですか

矢のように 一直線にそこに辿り着く魂もあれば
道しるべのない山道をゆくように 
いま歩いているこの道が 
果たしてそこへ辿り着かせてくれるのかどうか わからないまま歩く 
そのことが必要な魂も あるのです

決めたら
迷わないこと

決めたら
不安を捨てること

あなたのなかにある確信
それだけを信じましょう

三次元の経済的状況や
三次元の肉体的状況や
三次元の時間配分や年齢や

そんなものは まやかしです
一切が 幻想です

あなたは あなたの確信だけを頼りに
前へ進みましょう

その確信に対して 異を唱えるひとの言葉に
耳を貸してはいけません
なぜなら
あなたに必要な経験と学び
そのひとに必要な経験と学び それは 異なるからです
そのひとの意見は そのひとの人生に必要なものなのかもしれません
でも
あなたの人生に必要なものは あなた自身が決めるのです

あなた自身が決めて
あなた自身が 責任をとるのです

そうすれば
あなたは あなたの人生を愛せるようになります

自分自身を愛せない人生ほど
惨めで悲しく さみしいものは ありません

だいじょうぶ
あなたには その勇気があります

だいじょうぶ
あなたには あなたを愛し抜いている天使たちが付いています

光だけをみて
あなた自身を あなたが信じること 愛すること

目的地を 見失わないこと

忘れないで!
わたしも 応援しています!






ずいぶんとご無沙汰してしまいました!
みなさま 3連休はいかがお過ごしでしたか?

わたしは 両親がこちらに上京してきたので
一緒に富士山5合目まで出かけ 高速で渋滞に巻き込まれたりもして
連休らしい日々でした(笑)


富士山5合目は
あいにくの靄で 山頂を望むことはできなかったんですが
さすが霊峰と呼ばれているだけあって
降り立った瞬間に
元気いっぱいになりました

もちろん 人里離れた場所なので
単純に空気が澄んでいるということもありますが
土そのものが生きているかんじ

あそこでテント張って
一晩くらい過ごしたら ものすごい元気を持って帰れそうです
30分くらいの滞在でしたが
深呼吸を何回もして 細胞にいっぱい詰めて帰ってきました(笑)



3連休 終わって今朝
夢うつつの状態のわたしに 誰かが言ったのです

「さ! はじめましょう!!」

やわらかな女性の声でした

「ん?」

というかんじで目を覚まして時計をみたら
いつも起きている時刻

「・・・なんで目覚ましが 鳴らないんだろう?」
と思って時計をみると
「!!!」
まったく違う時刻にセットされているではありませんか!(笑)

あぶなかった!
よかった~目が覚めて!

と起き出したのですが
ふと 思いました

あの 「さ!はじめましょう!!」 の声
あれは 天使か誰かが わたしを起こしてくれたのかな と

でも なんで 「起きて!朝ですよ」 とかじゃなくて
「はじめましょう!」 なんでしょうね
もっと別の意味 深い意味があるようにも 聞こえた声でした

はじまるのかな?
はじまったのかな?

興味深い秋の朝 でした







親や 友だちや 職場などで
あなたがこれまで求められてきた「役割」 を 
いったん 放棄 しましょう


あなたは 
優しくなくても いいのです


ひとが あなたのことを
「優しい人だね」 と評価するとき
それはたいてい
「あなたは わたしにとって(家族にとって 職場にとって)
都合の良いひとですよ」 と 言われているのに等しいのです


あなたは
優しくなくて いい


よく気が付くことや
ひとを 励ましたり慰めたりすることが上手なことは
とても 美しいことです
あなたは 神の目をもっている


でも
あなたがその役割を無意識に果たすとき
あなたは 「被害者」の役割を 
自分で選んでいる可能性があります


そんな役割はもう 手放してしまったほうがいい


あなたは無意識のうちに
自分のエネルギーを ひとに差し出して
その代償として
「優しい人」 という無力な称号を得ているだけです
そんな
あなたを幸せにしない称号は 捨てておしまいなさい


ひとに優しくありたいなら
すべての瞬間に 意識して それをするべきです


意識して差し出された愛は
それはそれは
美しく力強いものです


それは
受けとったひとに希望を与えるだけでなく
与えたあなた自身にも
自信と平和 豊かさと喜びにみちたエネルギーを満たします


まず 
あなたのエネルギーは あなた自身を幸福にするために
使われるべきです
ひとに 愛を差し出すのは それからでいい


意識して 愛を差し出す


それはつまり
無意識の状態ではけっして
あなたのエネルギーを 誰にも 奪わせない と
宇宙と 自分自身に 宣言することなのです


さあ!
声に出して 宣言しましょう


あなたが真に 強く 優しく あるために


 


今日は 不思議な日でした


昨日読んだばかりの本に
「わたしの場合
ガイダンスを求めてから 
たいてい48時間以内に それはもたらされます」
と 書かれてあるのを目にし

「ふ~ん わたしはどのくらいでガイダンスを受けとってるかなあ?」
と思い立って 昨夜 たくさん お祈りをしたのです(笑)

疑問に思っていることのこたえを求めたり
自分が不要な思い込みを手放せるようサポートを依頼したり
とにかく
思いつくことを たくさん!
神様に語りかけました

すると

今日一日で ほとんどの返答と変化が!

それは 直感でもたらされたものもあれば
現象として起きたものもあり
出かけた場所や であった人
耳にしたセリフ
聞いた話 目にした文章 など

「・・・これって あの質問の答えだ!」

ということの連続

48時間以内どころじゃなかったのです(笑)
24時間以内に ほとんど レスポンスがもたらされ
痛感しました

日頃 いかに
自分自身でものごとを解決しようと ムキになっているか ということを

尋ねれば 求めれば
宇宙は かならず サポートの手を差し伸べてくれるのに
どうしてこうわたしたちは
「自分で頑張る!」 ということに こだわり続けてしまうのでしょう

神という宇宙に 全幅の信頼を寄せるのが困難なのは
いつかのあの経験を
「神様は あのとき祈ったわたしの願いを聞き入れてはくれなかった」 という
恨みがあるからです

その恨みを手放すには
まず 思い出すこと

いつの なにを 恨みに思っているのか

そして 思い出せたなら
宇宙に向かって宣言しましょう

「わたしは もう あのときの出来事によって
わたしが不幸になったのだ という思い込みを手放します」 と


大丈夫

世界は いつだって 変わります
あなたが 変えると 決意さえすれば



 


自分が動いても動いても
まわりが動かないようにみえるとき

その「動かない理由」は
あなたのその計画が 
神の計画とは異なるから かもしれません

神の計画 とはすなわち
わたしたちの魂が 今生 生まれてくる前に書いてきた青写真=計画表
のことなわけですが
悲しいかな わたしたちは その青写真を忘れてしまっています

なので
三次元の自分の立てた予定が 
神=魂の意思 と異なった場合
それは 実現されません

その 実現されないことを 嘆く必要は ありません
そのことを わたしたちはもっと知るべきです
なぜなら
魂の意思にかなうことは
一見 多くの困難に阻まれているように見えたとしても
現実には 面白いように進んでいくものだからです

日々をていねいに
じっと そのときを待つ

忍耐強さも必要なのです

神が おのれの魂が 
なにを話しかけているのか
なにを学ばせようとしているのか
ご自分に問いかけてみてください

あなたの祈りが真剣ならば
かならず
答えは あなたにもたらされます

けっして あきらめないこと
神の計画には 
詳細な「時期」も含まれているからです

いま あなたが学ぶ必要のあることは 
いったい 何なのか
それを 神に問うてください

あなたが答えを得たとき 
次の扉が 開かれるのです