こんばんは。


ご無沙汰してます。


お変わりありませんか?





体調が良かったり悪かったり、気分が良かったり悪かったり、落ち込んだり。


楽しいことがあったりすると、長男との毎日が無かったような日常を送る自分に嫌悪感を抱いたり。


悲しい気持ちを持ち続けていない自分を薄情に感じるのです。


人間は忘れることができるから生きていけるのだとは理解していますが、やるせない。


無理してるつもりじゃないのに体調を崩す時には、少し自分を振り返ってみたり。


行きたい用事は、次男に付き合ってもらって行くことが多かったのだけど、少しペースダウンして、なるべく予定を詰め込むことないように気を付けています。





今日は、郵便局の長男の口座を解約してきました。




↑出かける前にやっと書いた書類。


前回、説明を聞きに行って、書類をもらってきた。


支所で長男が除籍になっている戸籍謄本もらっていたのだけど、しばらく寝かせておいて。




他の銀行の、私の旧姓の通帳があって、休眠口座になってしまっていたのを解約(600円くらい残ってた)するのにも使えたから、よかったのだけど。


今日やっと重い腰が上がりました。


近所の郵便局はとても空いていたので、手続きしてもらうのをのんびり待ちました。


キャッシュカードを持って行ってなかったので、自宅で処分することに。


息子のものはなんだって愛おしくて、捨てられない私。


飲まないってわかってるけど、お薬だって捨てられない。


いまだにトリクロとか坐薬とか冷蔵庫にあるの。


特に名前の入っているものは、もうこれ以上増えないことを知っているから、捨てたら後悔するんじゃないかって。





少し前、役所からアンケートが届きました。


でも、亡くなっている人は答えられないもの。


きっと手違いってわかって、少しだけ放置。


そしたら、締め切り間際に再び、ハガキで返答のお礼と締め切りまでに返答をとお願い。


そのままにしておいても良かったんだけど、障害福祉課に連絡して、亡くなっていることを伝えて、答えられないですよね?って言ったら、謝られて。


謝罪を受けるために電話したみたいな感じだけど、息子のことで電話できるのが少しだけ嬉しいような。


ちょっと変かな。


結局、アンケートのお願いだって、ハガキだって、息子の名前で届く郵便物はもうないかもしれないって思うと、しまっておこうってなっちゃう。


あんまり深く考えずに、置いておこうって感じ。










これまた、少し前のことだけど。お世話になった診療所の一大イベント。


バーベキューのお手伝いに行った時に、息子の母です。って名乗れるのが嬉しかった。


お世話になった先生方と思い出話できるのも、幸せだった。


同じくOBの方ともお話しできたのも嬉しくて。

(ずっと前にブログ読んだことあった方!)


また来年もお手伝いに行く予定。


長男の友達にも会えて、家族で参加して長男の思い出話ができる大切な場所だなって思いました。




すっかり息子の話をすることがなくなってきていることは、やっぱり寂しいな。


思い出して泣くのは疲れちゃうけど、必要なことのかもしれません。


14年間、ずっと生活の真ん中にいたんだもん。


普通に暮らせなくても仕方ないよね。


普通に見えるのが厄介だね。










本日もおつかれさまです。


いつもありがとうございます。


おかげさまで私はちゃんと生きています。




こんばんは。


お久しぶりです。


お変わりありませんか?





自分の気持ちと向き合うのがつらいのか、どうしてもブログ書けなかった。


下書きにして寝かせている記事もたくさん。


そんなこんなで、月日が流れ、息子が亡くなって半年経ちました。


先日は、お寺さんにお盆の法要へ行って来ました。


法要って変換しようとしたら、抱擁って漢字が出て来たよ。


自分を抱きしめてあげたらいいね。


夫も次男も。





相変わらずのひとりっ子?


の質問に、つい、お兄ちゃんがいたけど今年の2月に亡くなりました。と言って、ドン引きさせる私。


色んなところに次男と顔を出すと、つい聞きたくなるんだろうな。


でも、先日やっと、


「次男です」


って答えられた。


知ってる友人もいたから、ちょっとハラハラさせたかも。


お兄ちゃんはいくつ?って続く質問にも、5つ年上なんです。


すると相手は、それぞれひとりっ子みたいな感じなのねーって、話はそのまま進んで。


うそはついてないし、場も困惑させることなく。


ホッとする。


聞いてた次男もホッとした様子だったな。











息子が亡くなったことを知っている人から、大丈夫?って聞かれると、大丈夫じゃないって答えちゃうし、落ち着いた?って聞かれたら、一生落ち着くことなんてないって思っちゃうし。


心配させないように、上っ面な当たり障りのないお返事をした方が良いのかもしれないけれど。


なかなかそうもいかなくて。


そんなの、自分が答えたいようにしたらいいね。










私は、6月から少しだけ元の職場でパートをしています。


代表が亡くなったことが戻るきっかけになっていて、人の縁って不思議なものだなぁ。と感じています。


声かけてもらって、父母会やスナック都ろ美のお手伝いしたり、会える人にはまた会えるし、時は流れていくね。


色んな人に助けられて暮らしていることを感じています。


きっとみんなに心配かけてるんだろうな。











脳梗塞後遺症で左麻痺のある義母も、自宅での暮らしが始まっています。


義父と義妹が同居しているので、心配はないのだけど、長男の時に主な介護者を経験しているので、みんなが無理していないか気になるところです。


時々、次男と遊びに行って、一緒にご飯作ったり、ゲームさせてもらったり。


味付けや作り方は、義母に教えてもらいながらなるべく義母のやり方で。


お義母さんがカレーのニンジン、すりおろしてたって知らなかった!


ジャガイモも入れないんだって。


おいしさの理由を発見して喜んだり。


でも、主婦って適当にやってる部分が多いから、教えてもらうのもなかなか難しい。


試行錯誤だけど。


これからも良い距離でいられたらと思ってます。







足首のリハビリは2ヶ月くらいはちゃんと通い、次で最後にできそうですね。と言われていたのだけど、義母の退院と義父の体調不良が重なり、バタバタしていたので、行けないまま終わりました。


ちょっとの違和感はあるけど、特に支障なく暮らせています。


ストレッチしたり、捻りにくいようにする地味な足首の筋肉の筋トレは、続けていこうと思います。









お盆の最終日、息子の気配を感じられた夕焼け。


寂しいけど温かいような不思議な気分。


いるけどいない。


でも、やっぱりいるよね。









本日もおつかれさまです。


いつもありがとうございます。


おかげさまで私はちゃんと生きてます。


see you!


こんばんは。


お変わりありませんか?





捻挫の経過。


受傷後、1週間後に再診。


痛みも落ち着いていたので、一旦終了になっていましたが、同じところを捻りやすかったり、引きつるような痛みがあったり。


心配なので再び整形外科へ。





捻挫の経過としては問題ないけれど、元々の捻りやすさもあるので、リハビリを始めることになりました。


伸ばしてもらったり、捻りにくくする地味な筋トレをしたり。


片足立ちで、バランスをとる宿題をもらいました。

自宅でもがんばろう。




捻挫したところの痛み。


そのままにしておいていいものなのか、このまま動かしていくうちによくなるものなのか、自分では判断がつかなかった。


その通り療法士さんにお伝えすると、


「その判断はこちらでしますので」


とあっさり。


なんだかその言葉がストンと落ちました。





捻挫の痛みなのだけど、息子のことでの心の痛みにも似ていて。


大丈夫と思っていても、同じところを捻ってしまったり、予想外のところから痛みが出たり、なかなか治らない。


このまま様子を見ていても大丈夫なのかな?

そんな不安を感じたなら、どの分野でも相談に行ったらいいんだよね。


そんな風に思ったら、とても落ち着きました。








息子もリハビリの先生方には大変お世話になりました。


息子の身体の少しの動きにも、本人の動かそうという気持ちを汲み取ってくださっていました。


本人もわかってもらえた!と嬉しかっただろうな。


そうそう、そんな感じ!


良く言われていました。


そのうち、ビクンって、粗大な動きになってしまって、本人も不本意そうで。


そんなことを思い出す。



うつ伏せのお尻がかわいい写真。


筋緊張がキツくなって、骨折もしたりして、いろんな体勢を取るのが難しくなっていたけれど、学校の先生が、クッションなどを使ってみんなでうつ伏せにさせてくれました。


大人数で取り組んで、達成感あった。


難易度高いミッションをたくさんクリアしながら、結束力が高まっていったね。







息子は、動かしにくい身体ながらに、自分の身体とよく向き合って本当に頑張っていたと思うんだ。


そんなところでも、息子は現世には修行にいらしていたのではないかと想像する。


そこに携われたことは、ありがたいこと。


今は、身軽になって、色んなことを楽しんでいるのではないかな。


朝の注入、導尿、浣腸、ネブライザー、カフアシストをしない毎日は、それはそれは空虚で、忙しかったあの頃が愛おしくて仕方ありません。


大変だったけど、やらなくてはいけないことがあるっていうのは、幸せなことだったね。


そう考えれば、空虚に感じてしまう今も、未来の私から見たら、次男のわちゃわちゃしたこととか、夫が朝なかなか起きなくて何度も声をかけることも、幸せなことなのかもしれないと、分析したりする。


きっと今が1番幸せ。


長男のことを思って涙を流すことも、それは幸せなことなのかもしれない。


幸せは更新していく。


同じ幸せはないけれど、違う幸せは次々に訪れているはず。


同じ幸せを求めていたら、違う幸せに気づけないかもしれない。


幸せにもいろんなカタチがある。


そう考えたら、悪くないかもね。





私は今日もちゃんと生きているよ。


毎日おつかれさまです。


いつもありがとうござます。


see you!