"念を込めすぎると、豊かさからは遠のく"
生き方にカジュアルさを、求めた方がいいかも、というお話。
一つ一つの行動に
念を込める、
念をこめたがる、
ことは、豊かさからは遠のく気がします。
シンプルに言い換えれば、
カジュアルさ、でしょうか。
1つのことを深く味わう生き方も、大切なことだと思いますが、それは、言い換えると、柔軟さがないとも言えるわけですね。
時代時代に合わせた、生き方が、できた方が、
楽しい、はずですよね。
なぜなら、知ること、触れること、体験することに、人は充足感を得るからです。
これがいい、と言い続けていても、
新しいテクノロジーに触れたいと思う好奇心を、
オフにしてしまっていることになり、
好奇心、挑戦が、ないと、
認知症になってゆくわけです。
もっとカジュアルに、やりたい、と思うことに手を伸ばし、楽しんでいく、生き方。
そこに、念は必要でしょうか?
仕事をして、1時間3000円の仕事だとしても、
どれだけ詰め込んでも、
3000円は3000円ですよね。
人参詰め放題、じゃがいも詰め放題、
な感覚で、仕事というものは、やり取りされているリアルは多いでしょう。
ですが、そうだからといって、
疲労感に釣り合うしっかりとした対価が貰えていないことを、する、
それをやりきって、でも、稼ぎが少ないから、
周りに当たり散らす?
それっておかしくないですか。
嫌なら、やめればいい。
好きなことをやっているなら、続ければいい。
好きなことをやっているなら、文句は出ないはずですよね。
念を込めすぎては、効率が悪いわけです。
念を込めるにしても、ほどほどに、
した方が、
それは、気持ちに余裕がある、状態とも言えるので、
新しいことをやってみようとか、
好奇心を実行する、エネルギーも残っていますよね。
心を亡くす、と、念を込めすぎる、は同じ。
好きでも、やりたくないことでも、なければ、
他を考えた方がいいと思います。
人の助言、ネットに転がる、情報では、
語られていない真実があるわけです。
本当に自由を得たいなら、
その真実は、あなた自身が、見つけにいかないといけないわけです。