筑波大学付属駒場中学高等学校。

中学入試でも高校入試でもダントツの偏差値最高峰に位置する学校。

定員が少ないためか(中学120人、高校160人)、男女御三家に比べると知名度で劣る印象はある。

私が受験したころは受験倍率は7倍までと抽選があり、抽選落ちして受験できない子も一定数存在した。

私の学校にも「筑駒は抽選落ちした」と言っている同級生がいて、大体はプライドを保つための嘘だろうと皆はみなすのだが、そいつは「気持ち悪い」と言われるほど模試でダントツ学年1位を取っていたので、抽選落ちは本当だったのだなと思ったというエピソードがある。

自分が受験して不公平だなと感じたのは、明らかに記念受験と思われる受験者が少なからずいたことだ。

当時は知られていなかったが、今だったら明らかに発達障害の子。

受験中に奇声を発して試験官(教師)に注意される子が各受験教室に1人はいた。

こういう合格の見込みがないのに受験して、私の同級生のように抽選落ちしなければ順当に筑駒に合格していたであろう子が弾かれるのは甚だ不公平だなと当時から感じていた。

が、今は抽選倍率に達することは少なくなり、全出願者が受験できているのだそう。

時代は変わるものだ。

 

そして本書を読んで、筑駒の授業は受験対策はしないとは聞いていたが、ただ自称教師が訳の分からない講釈を垂れる、学習指導要領から逸脱したものであることに衝撃を受けた。

それぞれの教師がこだわる、大学の専門領域のようなテーマを1年間かけてやるそう。

 

しっかりと大学入試を見据えたカリキュラムを6年間組み立てている開成でよかったと初めて思えた。

自己紹介でも書いた通り、バカ呼ばわりされ、いじめから自殺未遂、うつ病に追い込まれ、何もいい思い出はなかった中高だったが、筑駒に進学していたら、授業が訳が分からず、文字通り落第していただろうなと背筋が凍り付いた。

 

私は皆が思うほど受験勉強的な頭の良さは持ち合わせていない。

第二志望の学校で底辺をさまよっていたのだから、では筑駒ではどうなったかと想像すると恐ろしい。

天才的な他の同級生は、殆どが鉄緑会に通って補完するそう。

私はどうなったか?数学と英語の基礎が壊滅状態で鉄緑会に通っても、挽回できるどころか鉄緑会のハイレベルな授業にさらにパニックに陥ったに違いない。

ああ恐ろしい。

いじめと落第、どっちが心の傷として深く残り続けたか?

落第の方かもしれない。

筑駒を落第して私はどこに転籍したのだろう……。

 

ただ共通点もあった。

女性非常勤講師へのいじめ。

男子校の出身者と話をしていると、女性への差別意識が強く、女性講師の授業を聞かない、セクハラ、授業崩壊etc.女性の非常勤講師は間違いなく1年で、ひどいと年度の途中で病んで辞めていく土壌、悪しき文化があることが共通していることを知る。

それは筑駒も例外ではなかったとこの本を読んで知った。

 

男子校、女子校の廃止論については賛否入り乱れているが、女性への視線を学ばずにエリート層になり、日本を動かす人が男子校から多く生まれるから、今問題になっている日本の男女格差は存在するのかと改めて感じた。

 

ちなみにセクハラと統一教会の問題で糾弾されたあと急死した、細田博之前衆議院議長が筑駒OBとして本書で頻繁にインタビューを受けて登場している。

あの方の場合は筑駒、男子校出身というだけでなく、戦前生まれという世代の問題もあるのだろうが……。

 

本書を読んで、筑駒の教師は左翼の根城であることがはっきりと分かった。

だから生徒は知らずのうちに感化されて、右翼的な政治家になる比率が少ないという分析は著者と同じくする。

 

OBは「安易に稼げるからとその時々の稼ぎのいい仕事を選んで、主体性がない」と若い世代の筑駒生を憂慮しているが、それは他の難関校の生徒も同じだろう。

だから日本からGAFAのような画期的なイノベーションが生まれるはずがないのだ。

 

それにしても、改めて筑駒生の天才性には驚かされる。

それと同時に遺伝の要因も強いのだなと本書を読んで分析した。

実際に「何でも全て一瞬で頭に入る」と公言するある天才筑駒OBは「父も叔父も東大だから、遺伝もあると思う」と分析している。

 

このブログではなく、日常、正体を隠して(?)プライベートで雑談しているだけで「メチャクチャ頭いいですね」と異口同音に言われるのだが、私にそれを言うのはやめて欲しい。

私に頭がいいと言ってくる方には、もっと上がいる世界を見て欲しい。見上げて欲しい。

 

私は中高の6年間、成績不振が原因でバカと呼ばれ続けた男です。