私の父方の祖母の弟は、品川区五反田にある、なかなかのお金持ちの家に婿養子で入ったらしい。
祖母は戦争中東京から宮城県白石市に家族で移住。そこで夫を癌で亡くし、戦後息子二人(父とその弟)を連れて五反田の弟の家に身を寄せたようだ。そのころ五反田の家は貿易会社を営んでいて裕福だった。
まあ、迷惑な居候一家だったのだろうけど、五反田の家はかなり良くしてくれたらしい。父の弟なんか慶応大学に入れてもらったというから。ただ、父の方はそこまで可愛がられなかったようで関連会社の工場で働きながら早稲田の二部に通うも腎臓結核で休学→退学。
この貿易会社で英文タイピストとして働いていたのが母で、職場結婚と相成った。
だから父の実家はあるような、ないような。五反田の家はあくまでもおじさんの家で、上司の家だからね。でも、たまに家族でお邪魔するとか、一緒に旅行にいったりとか、上流階級の世界に私も混ぜてもらっていたようです。
お年始のようです。母がこんな着物を持っていたなんて知らなかったな。すごく豪華な小紋よね。もう残っていないだろうけど、素敵だな。アンティーク着物として着てみたい。
真ん中の男の子が智一ちゃん。このお家のお坊ちゃんなんだけど、年が同じくらいだったからよく遊びました。その横の妹ちゃんはあんまり覚えていない。
そして、この五反田のお家がすごいお屋敷だった。
五反田でこのクラスの門と玄関までのアプローチ、凄いですよね。
真ん中の男の人がたぶん婿養子で入って社長になった、祖母の弟さん。
同じ玄関だけど門が締まるとこんな感じ。
洋装のご婦人は、みんなに「ママさん」と呼ばれていたモダンなおばあちゃま。五反田のうちの大奥様と奥様というわけです。
我が家も団地暮らしとはいえ、こんなご家族の営む会社の親戚で社員だったから、当時はちょっとばかり贅沢な暮らしが出来たほうで、なんかよく覚えていないけどホテルでお食事とか行った記憶がある…
と思ったら、なんとあの超高級老舗の箱根富士屋ホテルに一泊しているではないか。
これも五反田のお家に連れて行ってもらったのだろうけど
いやもう私の記憶にほとんど残っていないところでは、なかなか良い暮らしをしている。
ここだ!去年の夏、
ウエイトレスさんのキャップが昭和だな~
こんな幸せそうな我が家、
その5年後には大人の事情で五反田の家と縁を切って
貧乏暮らしが待っていようとは、知る由もないみこぴょんファミリーであった。
今晩は、お疲れ様です今日火曜出番今休憩中です、写真美人親子リスペクト、(o≧▽゜)お父様も役所広司似て二枚目ですね話し変わりますが仕事柄五反田駅よく行きますね、1句読みます、五反田す、ワシャ食い気が、ご飯だす、⛪
リアル『ファミリーヒストリー』ですね。
私が嫁いだノナママ家も昔はそれなりのお金持ちだったようですよそうです。
いわゆる『地主』さんで、小作さんがたくさんいたそうです。
戦後の『小作解放』とやらで、土地がその小作たちのものになってしまったと姑がボヤいていましたね。
でも、その後もアパートを数棟持っていたりしたらしく、それなりのお金があったので、姑も着物やらなんやら(ほとんど大島紬とか)をバンバン買ったり(パチンコなどのギャンブルにもおぼれたようです)したのでほぼ一人でノナママ家の財産をすべて使い果たし、結局、自己破産しました。
姑が散財した理由の一つは、夫(私の舅にあたる人)を40代で亡くしたことではないかとも考えられますけどね。
悲しさを忘れようと、お金と物に走ったのかな?
> aya*****さん
思春期の反抗期で父のこと大嫌いになり、その後もあんまり仲が良くなかったので気づきませんでしたが、今写真を見ると結構二枚目でしたね。驚きました。
> ノナママさん
父の両親も宮城県に疎開(移住)する前は東京の大泉という、今は高級住宅街ですが、そのあたりに農地をいっぱい持っていたそうです。でも疎開中に終戦になったので、不在地主扱いになったようで、土地を全部取り上げられてしまったそうです。
戦争っていろいろありますね。
個人的に東京のこの辺りの昔の風景には大変な思い入れがありまして。
五反田でしたか。
結構生まれ故郷に近いので凄く興味深い写真のオンパレードです。
(^0^v
お母様、きれい❗
今でも親戚の行き来はないんですよね。
まァ、色々あったのでしょうが、悲しいですね。(お金持ち云々とは関係なく親戚同士なのに…)
まるで『ファミリー・ヒストリー』を見ている様な…。
昔、五反田に住んでいた人が、
美智子様の興し入れをみたとか。
私には雲の上の世界です。
> masaさん
私は五反田の記憶は殆どなくて
かろうじて貿易会社の方に親につれられて行った記憶が残ってます。こちらは東京タワーのすぐそばだったので港区芝?
こちらもお洒落な建物でした。
> shihoさん
そうなんですよね。親戚なのに・・・
祖母と父の弟はそのまま仲良くしていたので、祖母経由で五反田の話は色々聞いたり、お葬式のお付き合い位はあったようですが、私が連れていって貰うことはその後とうとうありませんでした。
なまじっか血縁、て方がいろいろありますよね
老後もお墓すらもただの友だちと一緒の方がイイって人が多いのもわかるような。
> ほのぼのさん
そうなんですよ。私は大人の事情についてあんまり聞いていないけど、なんかあったことは確かで。
今さら事情を聞いたところで仕方ないから聞かないし、謎のままで終わるんでしょうね。