最近、「イヤ」か「そうでないか イヤではないか」を決めるのは相手。と考えるようになった。
親切とおせっかいは、どう違うのでしょうか。相手のためになるかという冷静な眼です。
そして重心はいつでも相手の方にあることを忘れないでください。自分の歓びや充実が中心になってしまうのではなく、相手が本当はどう思っているのか。
相手のことが気になって、心から離れない。大きなお世話。
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本来なら心強い差し伸べられた手。
だが、誤解を解いてもらおうと、お願いしたことに、「仕事で関係があるから、私を困らせないでよ」「何とかうまくやらなくては」の困り顔を見てからは、彼女も彼女なりにコミュニケーションに苦労しているんだ、と得心しました。
それに、第三者から、「私は自信がない。出来ない。そんなこと言ったって、どうにもならない」と、「我慢している。自分は耐えている」と、目線を低くして相手を見上げる形でしか、話を聞くしかできないことを聞きました。
それを聞いたわたしはすぐに行動に移しました。その結果、深入りする必然がないと知りました。
まぁ、始めは、彼女が面倒を見てくださいって流れになったんだけど、…慣れるまでは、「私は分かっているんだから」「私の言う通りにしな」を反論しないで素直に聞いていたけど、わたしが自分の意見を言っても、他の人に「仕事以外の話をされるから困る」と聞いてからはやめた。徐々にフェードアウトしたわけですが、
始めから、パソコンをわたしに見えないように向きを斜めにしていたから、心理的な距離があるんだなって、わきまえていた。
でも、最近、第三者から聞いたんだ。
「わたしがとにかく大変そう。手助けが必要だと思う」「(机にへばりついて)危なっかしくてみていられない」「他の縄張りに勝手に入ってきて仕事をするから、やっぱり私がお願いしないといけない」「スムーズにいっていなく孤軍奮闘している」
言ってきたその人には、笑顔で流しました。
「彼女に話しかけられた時には、気持ちよく対応する」それだけです。
せっかく、わたしのことをいろいろ心配しているのに、なんか気分が良くない。
親切にしよう、他の人のためにやろうといろいろ勉強して頑張っていることはいいこと。だから、友達に相談したのです。そしたら、一刀両断に、「しばらく様子を見たら」「こちらから特に何もしなくていいじゃない」「上手にやったら」
入社したばかりの時は、自分が忙しく、塩対応であしらった。「余裕がない時こそなんでもない雑談が息抜きになる、いつなら話していいのか相手に聞いてみたら」のアドバイスでさえ、「分からない。無理」だったので、部署のことで教えてもらいたいことは、付箋に書いて貼っておいたんです。「部署のことを教えてもらいたいけど、余裕がないだろうし、出来るだけの配慮は大切だね。」そのことを知っているから、
「また、態度を変えられるかもよ」
相手のことを知ろうとする、理解しようとする、気を利かせる。これも ストレスを少なくする方法だが、
人によって、ストレスの解消法はいろいろ。
「無視する」「聞き流す」のもひとつの方法。
言い返さないが、「パートをなんとかしろ~‼」「モチベーション管理!」etc.無茶ぶりには「聞いてもできないことはやらない」のも、これ以上、自分にストレスがたまらないようにしている。
カッとなって、相手に言いたいことがのどまで出かかる。そんな時は、販売の現場でよく言われていた「クレーム処理に後工程(タクシー、時間を奪う、現場が人員不足になる)、仕事がかえって増える!謝って済むなら警察は要らない、二次被害!」と唱える。
人を理解することが大切ではあるが、(この人なら!)と思う人でないと、自分が傷つくからね。
やることによって、話すことによって、かえってストレスを感じる。つまりやってあげたことによって、不満を持つからだ。話したことで不完全燃焼感を感じるからだ。自分がこの人ならと思う人でなければ、親切、優しい気持ちがアダとなり、かえって自分が傷つくこともあるから、相手の状態を見てやることはとても重要!
これも 相手との関係性によるが、協力者、仲間と思えないと、説得になってしまう。上から目線になってしまう。
話し方として、「 I (アイ) メッセージで話す」があるが、 答えは「介入しない」。なぜなら 自分も「目線が上の人」と同じことを人にしてしまうからだ。
相手のことをいろいろ言ったり、「こうしたら?」とか思って、言うのは、相談されたり、信頼関係がないと、介入になり、相手にストレスを与える。上から目線になり、相手にとっても不快。
自分が嫌だと思っていた人と同じようになる。自分がされて嫌だと思うことを相手にもやってしまう。
良かれと思っても、そのまま相手にその気持ちが届くのではなく、相手も同じように ストレスを避けようとし、斥力がはたらく、合わせ鏡のようになってしまう。国交断絶状態、あるいは不可侵条約を結んでいて、外交努力が必要な場合(笑)は…ハリネズミのジレンマ?
お互いにとって、ちょうどいい距離感を見つけることね〜☆
「こんなことをしたら、迷惑?」
相手に喜んでもらおうとなにかをする前に悩んだら、まず、相手に聞いてみてはいかがでしょうか。
断られたとしても、なにもしないよりはずっといい。してくれようとした気持ちが心に届きます。
人の気持ちは、例えていえば、化学式みたいなものでしょう。2つ、それ以上をかけ合わせて起こる化学反応に、何が起こるかはまだわかりません。どっちに転ぶか、両方の結果、可能性を秘めているのです。嬉しくなったり、落ち込んだり、鬱陶しかったり、お互いにそれぞれの気持ちに影響を与え合っています。
それは、重要度、優先順位、熱量が違うからです。言葉では表面上ではわからないのですが、同じ物事をどのくらい大切に思うかにも、温度差があります。あなたが大切に思っていることを、相手は、それほど大事だと思っていなかったりします。
喜んでもらうためにはまず行動!ですが、
自分が「〜したい」という気持ちが強くても、相手がそれをどう思うか?ですよね〜^ ^
相手を思う感情は大切なものです。期待通りにならなかったときに、失望して落ちこんでしまうのは、心の距離感に一体感を感じている関係性だからです。
だからと言って、愛情を出し惜しみすると、本心をわかってもらえない、かえって相手が距離をつくり始める恐れがあります。
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一体感と自律のバランス。寄り添いつつ、自己の確立、自分の世界も大切に☆できたらいいですよね。
タイミングとは 相手がそれを求めてきたときのこと。
誘(いざな)い。分かり易く伝える種蒔きは大事です。すべてには「時」がある。いつやってくるか、それはわからない。相手の気分や機嫌、体調によっても変わるものです。気乗りしなく残念な結果になったり、ドタキャンされたり。
何回も足を運んでいるのに、受付で門前払い。
1階のロビーで長時間待たされた挙句、先方が時計を気にしている。
「アポなしで来たのはそちらだから」と雷が落ち、平身低頭し、お知らせ、案内を渡すよりは菓子折りを置いて、何度も詫びながら 辞去する。
こんなことがあると、
「精神的に疲れてさ~」と、身なりに手を抜く、だらしなくなる、ストレスでやけ食いする。
そうすると、好感度はただ下がりだろう~? 言葉もやさぐれてきます。靴底をすり減らし、どんよりとしても、状況は全く変わりません。
会ってもらえない自分を受けとめるのです。
マイナス思考になって、相手に解決を求めない。
タイミングは、問題や課題に直面したときに存在するもので「もう 大丈夫」と思ったときは 何もしなくなりますね。
「自分が言いたいから、言うだけ」は悪いタイミング。
美輪明宏さんは言います
「人生の岐路に必要なもの。人生の岐路にさしかかった時、人間にとっていちばん大切なのは理知。冷たい理性と知性です。
いちばん邪魔になるものが感情、情念、センチメンタル。これらを徹底的に切り捨て、何が今の自分に必要か、クールにクールに考え抜くのです。
お酒なんか飲んでもムダ、おしっこになって出ていくだけ。
答えなんて見つかりません。悩むことと考えることとは違います。」
誕生日やクリスマス、バレンタインetc.のイベントは、いい思い出作りになります♡ イベントにかけつけて、誘ったり、が多いよね~☆
イベントや記念日は、きっかけとしても、目的は、親睦を深めるための飲み会、レクレーションのための運動会、仲良しでいてほしいから誕生会、子どもが喜ぶからハロウィン仮装…
考えてみると 絆を深めるためですね。
運悪く、タイミングが合わない時、「絆を深める」「家族や友達と楽しいひと時を過ごす」そうしたかった本心はどうなったのでしょうか。
販促、プロモーション施策、広告、セールがうまくいく時ばかりではありませんが、予算を達成するために、活気、売りこみ、訴求etc.の努力があります。
大事なのは、感情ではなく、理性で打開策を考えることです。
売場を巡回し、(足りないのは、品揃えか、接客か、空間の雰囲気(活気、クリンネス、見易さ…) (明日取り返すためには 準備は何をすべきか…) 「トヨタの5回Why考えぬけ」と、売場をぐるぐると歩く店長。
「出没したクマみたいだ」「万歩計、歩行アプリを仕込んでるじゃね〜?(笑)」とバイト君にいわれようが、気に病むことは1㎜もなく、真剣に脳内をフル回転!する店長、副店長とマネージャー。
「君の言ったことなんか、知ったこっちゃない」と無視すればいい。だけど、「口をふさぐことはできないのだから、どうしようもない」がベストの選択でない場合もある。
バイト君に説教、諭そうものなら、バイト君は次回から、ひたひたと迫り来る足音に、怯えるだろう~? すっ~と棚の陰に身を隠すだろう~?(バレバレだぞ!)
では、売上をとる店長はどうするか? にこやかに声をかけるのである。理由はもちろん垂範率先だからだ。
アドラー心理学の「課題の分離」。自分でコントロールできることは「自分の課題」。自分にコントロールできないことは「他人の課題」
人の気持ちなんて「他人の課題」なので、数日悩もうかどうにもならない。
だから「バイトやパートに雑談をふっかけてくる、うざ~やつだよ。お昼時はよっぽど暇なんかいや~?」と言われようが、店長はコミュニケーションを図ろうとするのである。「見ているよ」のメッセージでもある。 それに、方針を出すことも、後継者を育成することも店長の仕事だから、いかに皆を巻きこんでいくか?を、常に店長は考えているのである。
No-No-Yes。Noの連打でやっと勝ち取ったYES。おそるおそるコンタクトを取ります。
「時間を取っていただき、誠にありがとうございます。せっかくの週末にわざわざ恐縮いたします。日柄も悪く、予報で雨で嫌になりますね…」
の卑屈なメールは、既読にしてポイっとスルー。
「先日は検討もろもろありがとうございました。お会いいただけるということで、せっかくの週末のお時間をちょうだいします。予報では雨とのこと、お気をつけてお越しください」
どれも内容は似通っています。前向きな感じのするメールは、なんか嬉しくなりますね^ ^
結果だけを得ようとするなら、プロセス(過程)に目が向きにくい。自らが主体者になり、条件(環境)を整えることが大事なのだな、と自分の仕事の仕方、上司とのコミュニケーションの取り方を見直す、いい機会となりました。