北海道大学名誉教授、動物の研究の犬飼哲夫氏は、樺太犬の犬ぞりに協力した理由ついて、こう述べている。肉声として捉えてほしい。
「カラフト犬がいれば、どんなにか役に立つだろう。カラフト犬というやつは、寒さにはめっぽうつよく、万一、食糧がなくても、雪原で十数日以上生きのびることができるのです。耐久力が抜群にすぐれているのです。また、これを訓練すると、とことんよく働くのです。雪上車などの機械と決定的に違うのは、走っていて、ここはぬかるとか、この氷は薄いとか、ちょっと先は危ないとか、足の感覚でよみとって、事前に危険を避けることができるのです。
 それが、カラフト犬の訓練となると、容易ではありません。無理にひかせようとしても、ひくものではありません。まったく犬と人間が一体となって努力したのです」

「雪上車が1,500㎞走ったのに対し、犬ぞりは1,600㎞(およそ岩手県の盛岡市から九州の福岡市、肩まで埋まり、モグラのように雪をかき分けながら)も走りぬいて大活躍したのです。雪上車は故障して、いざとなると動かないことがたびたびありました。そんなとき、犬たちは、どんなに体の調子がわるくても、重いにもつをひき、がんばってくれました。ぼくは、犬たちと一体になってはたらくうちに、犬にも人間とおなじ意地があり、心があることを思い知らされます」(北村泰一)

 南極第一次越冬隊の犬ぞりを曳くために集められた22匹のカラフト犬たち、その1頭、いや1人の犬、アカが妙に心に残っていた。
 それは、お金で使役犬だったカラフト犬を手放した、元の飼い主たちの気持ちが引っかかっていたからだ。
わたしは、「愛犬を手放せ」と言われても、『マヤの一生』のように、戦時中の供出だったら、泣く泣く、身を切られるように手放すだろうけど、その後は、トラウマとなり、心が死ぬだろう。
 カラフト犬たちの元の飼い主たちは、どうだったんだろう。置き去りにされたと聞いた時、…
当時、隊員や乗組員の家には匿名の手紙や抗議の電話がかかってきたと言う。
「犬を見殺しにして自分だけが帰ってきたのか~‼‼」ってね。なぜ犬を見捨てたのか、自宅に火をつけるなどの脅迫もあったそうです。

 朝日ブックレットの『南極プロジェクト』『実録 南極物語』だったか、正確な引用元は分からないが、
 稚内のアカの元の飼い主、江戸正治さんによると、
「アカは、買い物に行く時はそりを曳いて、ここらじゃ1番の力持ちだった」
 でも、ある時、役場の役員がやってきて、アカを欲しいと正治さんのお父様に頼んだそうです。
「寒い南極なんかに連れて行くのはかわいそうだ」と断ったのですが、拝み倒されました。
「親父は差し出された金を受け取らなかった。『息子を戦地に送り出すのと同じだ。帰れなくても名誉の死だと思おう』と言っていた」

 稚内公園での訓練中、里心がついてはいけないと、アカには会わせてもらえませんでした。でも、こっそりのぞきに行ったら、「『アカ』と呼んだら、尻尾を振ってこっちを向いた。そばに行って頭をなでてやりたかった」
 こういうふうに、飼い主さんに可愛がられていたんだねぇ~‼

 

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 ところが、アカは、南極第一次越冬隊隊員の北村泰一、菊池徹隊員の記述によると、
「長毛種の雑種で耳は垂れ、胴が長く足が短い。風采のあがらない小型犬だったが、よくそりを曳いたので、チームに加えられた。」
だが、
「融和性に欠け、いつもいちばんにけんかを始めた。犬仲間でも、仲間外れにされていた様子がみえ、かわいそうな犬であった。」

 アカがペンギンを襲った事件!
カエル島でテントをはった時、アカとジャックが飛び出して行った。アカは日なたぼっこをしていたペンギンの群れに襲いかかった。1羽のペンギンを離さないので、怒って、北村さんは、アカの背中をピッケルで殴った。「アカ、離せっ!」それでも離さないので、「こらっ、離せったら、離せ!」ともう一度力いっぱいアカを殴りつけた。ピッケルが石づきのところからポキンと折れて飛んでいった。アカは一瞬よろめき、ようやくペンギンを離して逃げて行った。アカは足を引きずりながら逃げて行く。くやしくてたまらない様子が後ろ姿に、ありありと見えている。
 そんな時にジャックに出会ったからたまらない。腹いせにアカは、ジャックに襲いかかった。ものすごいけんかを始めた。かみつく、吠えたてる。大騒ぎだ。折れたピッケルをふり上げ、中に入ってやっとの思いで2頭を引き離した。
 アカは、大げさに悲鳴をあげ、足を引きずってテントの方へ戻っていった。
と、あるが、犬は本気になったら、大型犬は人間の骨をかみ砕く力があるという。何を考えているんだ?北村隊員は?‼‼

 アカは鎖につながれたまま亡くなっていた。7頭は氷雪の下から遺体で発見された。そのうちの1頭を解剖した結果は完全餓死。体重は、置き去りにした時の半分になっていた。

 この記述を、元の飼い主の江戸正治さんが目にしていないことを祈る!
わたしだったら、愛犬をこう書かれたら、こう思われたら、「返してほしい!」と即刻引き取るだろう‼
「国のため」「名誉の死」なんて、時代性、時代が違うのかなぁ~?

 この記述に、日本盲導犬協会のように、人間のために動物を使役犬とするなら、それぞれの犬に合った盲導犬候補、家庭犬、PR犬など、その犬の持つ特性を大切にした適性検査を厳しくし、向いていない犬に無理やり訓練をして人間のために働かせるのではない、犬を痛い目に合わせ力によって従わせる調教はNG、チョークもNG、動物福祉の観点からも誕生から老後までの犬たちの一生にケアをし、責任をとるのが筋だが、…
「昭和の時代」、仕方がなかったのだろう… 動物愛護の概念もなかったようだからね。

 ジャックは白黒のぶちで性質はおとなしい。船酔いがひどかった。体力はそれほどないが、真面目によく曳き、円丘氷山では死んでも曳こうという気構えをみせた。目を離してもさぼることがないので信用できた。
なぜかアカとは気が合わず、よくけんかをしていた。首輪抜けして行方不明。

 札幌のジャックの飼い主だった渡辺晃吉さんによると、
昔、利尻島に住んでいた時に飼っていて、「うちではクロと呼んでいた。私の冬の交通機関。どんなにふぶいても、すごい速さでそりを曳いて、島を回った。1日で70㎞走ることもあった。マイナス20℃でも平気だった」
 体重35キロの大きな体で、「父の肩に両足をあげて、はげ頭をペロペロなめていたよ。」と、写真を見ながら目を細める。
 ところが、1955年の夏、カラフト犬を探し集めていた北海道大学の犬飼哲夫さんらが何回も通って来て頼むので、「国のためなら仕方がない」と、無償で譲った。
「夕飯に立派な魚を出してやったら、口をつけなかった。翌朝、抵抗するクロを大人が何人もかかって、おりに入れたら、『泣いている』と周りの人が言うんだ。本当に目から涙が筋になって流れ落ちていて、びっくりした。別れが分かっていたんだな」

 とても情が深い、賢い犬だったんですね。ジャックもといクロは…
22頭が南極にわたり、19頭が越冬し、15頭が昭和基地に残された。わたしは、特にアカの運命について割り切れぬものを抱いていた。
そのまま飼い主のもとで天寿を全うしたら、問題犬、ぼっちの可哀そうな犬ではなく、幸せな犬生を全うしただろう…

 でも、テツのことにも触れられている。みんなに引きずられるように歩いていたテツを叱ったが、そのテツは数日後に病死した。これは悔いが残るだろう。
テツはおとなしい、頭がよく、副先導犬であったが、小がらで背が低く足が短く、他の犬と歩幅が合わず、6歳と年長で体力にとぼしく、寒がりやでよく𠮟られていた。
 犬をこき使うだけこき使って… 疲れきった犬、雪の中にへたりこみ寝そべる犬たちをゴロに頼んで、ゴロが両足を踏んばるように立ち上がると、他の犬も立ち上がった。
 なのに、テツはぐったりしていた。叱ると、しばらくは曳くが、すぐにだらしなくひきずられてしまう。テツの綱を解いた。横を歩くテツに気をとられ、列が乱れるので、「ええい!みなから見えないように、ずっとあとからついてこい!」
テツはじっと座ったまま動きません。「あれ、テツも聞き分けがいいな」
100m離れた時、テツを連れ戻しに来ました。テツは首を下げて座ったままです。「このばかもん!おまえというやつは一体どこまで手を焼かす気だ!」「さあ、来るんだ!」
 でも、テツは、悲しそうに目を落して立ち上がろうとしない。首輪をつかもうとすると、しおしおと反対方向に歩き出したのです。ちらりちらり振り返りながら、足を早めるとテツも足を早め、5mの差が埋まりません。テツは頭を下げて、時々振り返りながらとぼとぼと基地と反対方向へ歩みを早めます。その後ろ姿に言い知れぬ深い悲しみがにじんでいます。30分も追い、円丘氷山を2つも越えてしまいました。
 雪の中に手をついて、一緒に戻るように頼んだ。ようやく立ち止まって振り向いたテツの顔は悲しみにゆがみ、目には言い知れぬさびしさがにじんでいます。とぼとぼと戻ってきたテツを抱きしめ、犬ぞりと合流し、基地に戻った。次のオラフ旅行は、テツは参加しなかったが、隊員が帰ってきた明くる日に病死。

 

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 北村、菊池隊員は交代で、そりを後ろから押し、もう1人は走ったそうだ。犬に対する深い愛情から、隠しておきたいこともありのままに綴ったのだろう。…人間も犬も一歩間違えば、命を失う、吹雪、蜃気楼、クレパス、遭難の危険がある南極の調査のための探検だったのだから。そりを曳けない犬、生産性のない犬は使役犬だから、ペットじゃないから怒られたのだろう。
「こら、さぼるな!」「まったく、お前というやつはしょうのないやつだな」「ほんとだ。さぼっているのはお前だけだ。他の犬たちのお荷物だよ!」「他の犬たちのじゃまだ。あとからついてこい!」

 締めつけが厳しいなぁ~!多様性がある方がいい。
 皆が真面目で優秀だと、息がつまる。福祉のところだけだと思うが、泣く人もいるから、それを慰める人もいるから、居心地がいい。
ふつうは職場では不機嫌にはならない、仕事だから、言われたことをやりこそすれば、注意されても泣かない、ホットフラッシュなんだって。でも、そういう人を、そのような人も認め、受け容れている職場だから居心地はいい。

 この話をしたら、…
 動物も植物も与えられた場所で、そこで一生懸命生きている。そこで生きるしかない。植物だってそう。
 庭に葉っぱや、幹を広げて立っている木は、もともと植木鉢の芽だった。葉っぱをつけず、しおれそうでひょろっとしていた。だけど、前の木が枯れたから庭に移し替えられてからは、元気になった。植木鉢の中でかろうじて生きていたから、庭に植えられて、大きい木になった。
というお話を聞かせてもらいました。知らなかった~‼

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 次は、南極第1次越冬隊に参加した設営係の佐伯富男さんの出身地、立山シェルパ村についても書きます。