相手を決めつけない。「ラベル貼りの危険性」は、十分認識していた。
正義感が強い人は、「こうあるべき」という自分の正しさを持っている。
(あれもあり、これもあり、だね)というような考え方がルーズに見えるでしょう。

 だけど、周りが察して、フォーローしていたケースがあったんだ。それは相手の事情を知っていたからだ。
 その人は、「お金がある」「お金がない」がすべての判断基準で、周りも話題に気をつけて接していた。
 例え、お金がある、モノがいっぱいあっても、束縛に苦しめられている、ストレスがたまって、心がパンパンな人がいたとして、
「でもお金があるんでしょ?」
に、周りの人は何も言わずにいた。「そうねそうね」それは、知っていたからだ。その人の生い立ちを。
言わせてもらえば、その人は、もう働いてて、自分の自由になるお金はいっぱいあるはず。だけど、育ちに呪縛されている。それは健気であり、同情すべき?
自分のやりたかったことよりも、働いて楽をさせることを優先だったから、それ以外の道は消滅、選択肢にすら入らなかったのだろう。努力しても、進学は叶わなかったのだろう。
だけど、その見解を述べるより、「貴方には分からない。分からないのに勝手なことを言わないでくれ」と、相手の気分を害し、決裂し、自分の心が傷つく方が嫌だった。(想像ですが…)
 梅沢富美男さんのように、貧乏な苦労話をネタにしてもイジられても、社長だし、揺らがないかもしれない。でも地雷かどうかは分からない。
 そこで、その人の生い立ちを理解する、寄り添うことの方を選んだ。苦労したお母様への想い、自由に使えるお金がなく、みんなと同じようでいて、修学旅行参加とか同じではない。
今も、見えない貧困で、まだ子供だから声は上げない。成人したら、どういう大人になるのだろう。
こちらが罪悪感を持ちやすく、励ましや鼓舞、一般的なことは言いにくい。

 自分だけのモノサシ、尺度、考えがあっても、事情を知っている、察することが出来た周りの人は、その知らないであろう周りの人に、本人がそうならざるを得なかった事情を差し障りのない範囲で説明していた。
皆んなが気持ちよく暮らせるように、フォローしているってこともありうる。

 相手の間違いを正そう!と、「自分の正しさ」にこだわる傾向は、我が身を反論で振り返らないと自覚できない。
 それを踏まえて、

 海外は、「自由?」「日本人は言えない」的なことを英語で言っていたら、
being my way. do it by yourself.
と、向こうの国の人は、お国柄、口にするが、それは、selfishを意味するのではなく、公共の場でのマナーのしつけは厳しいと聞いた。自他の区別、線が引かれていて、
最後に、
manner makes the man! 日本にも、BUSHIDOがある、という話になった。

 

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 歴史が好きでも、新渡戸稲造の武士道、宮本武蔵の五輪書、としか出てこなく、思想はサッパリだった。
ヨーロッパの人だった。
 アメリカやカナダは歴史が浅いから、どうだが知らないが、ヨーロッパはそれぞれ、重厚、長年の風雪というものが、街並みにもあり、考え方も地域によって違う。
伝統的なんだなぁ〜と話してて、それぞれの国のアイデンティティを口にするなぁ〜
と新鮮な驚きであった。

 「人のことは相手にしない」で自分の心を守っていたが、そうもいかない時代。
うまく聞き流す。目くじらをたてない。大人の対応で、自分の中にストレスをためないようにしていた。距離を置けない時は、オンとオフを切り替えていた。
だけど、新型コロナ感染はそうもいってはいられない時代。

 そんな時、マナー メイクズ ザ マン!の言葉を思い出した!
映画は見ていないけど、印象的だった。日本人は武士道らしいけど、もう死語なんだろうな〜?
武蔵って、言葉はオシャレで使っている人が多いけど、戦国時代はアニメ文化で生き延びているだろうけど、
一部の海外の人が惹かれてやまない、武士道、日本人の礼節は、騎士道と同じく、アーサー王物語の世界だけになってしまったのだろうか?
武道はやっていないそうですが、その言葉が流布しているのにビックリ!
 日本といえば、「ゲイシャ」「セップク」という外人が多いと思いきや、日本文化や日本人は、こうっていうのをよく聞く。
 「日本人はこうだね」って言うのは、アジア圏の人からよく聞く。国の力が弱いから、親日が多いから、単に気がついたことであり、ここには書かないが。
中国人は、「中国が日本人の先生。漢字も寺も陶器も水墨画も」「唐の時代に戻るぜ!唐の黄金期をこれから中国は迎える」「日本より中国の方がシステムが上だ」と英語で言う人が多かった。愛国心が強いのだなと思った。
だけど、あまり中国人とは深く話さなかった。

 ただ、マナーが人を作る。武士道。五輪書。と英語で話してきた外人には冷や汗たらたらだったことを言っておく。今でも印象に残っている。