職責が上がる度に孤独になっていくって聞くよね。

 わたしは、
 相談する人がいないから? 弱みを見せれないから? 垂範率先行動をしないといけないから? 先生の家の子供のように、皇室のように周りの目があり、実像と虚像がかけ離れるから窮屈?
なんて想像していたけど、

 仕事に責任が出てくる。自分の判断が多くの人の仕事に関わる。苦しいって眠れない夜も多くなる。

まあ、上に行く人は、向上心や野心もあるだろうけど、「達成」、大企業は、入社と同時に、PDCAサイクルを叩き込まれる。要するに目標を立てて達成せよ!ってね。

 吹奏楽部に入ったら、みんなで楽しく楽器を鳴らしていればいい同好会のような部活もあるが、たくさんの公演をこなし、優勝を目指す強豪もある。
休止状態の運動部やクラブでは、「上手いけどあんまり練習しない人」と「技術は下手だけど真面目に一生懸命頑張っている人」のどっちがいいんだろう?的な悩みが生まれる。どっちを試合に出してあげようか? 上手い人を出せば、増長するし、一生懸命な子はクサるし、かといって頑張りに報いると負けてしまう。どうしよか?ってね。
 だけど、そういう悩みが存在しないところもある。なぜかっていうと、そのどちらも選ばないから、そういうところは皆んな基本真面目。「上手いけどあんまり練習しない人」と「技術は下手だけど真面目に一生懸命頑張っている人」その選択肢はない。

 真面目だと、何とかしなければって気持ちが、きつい言葉や態度になることもある。
体育系だと、ミーティングは声が大きい。唱和は正社員以上は全員、ハッキリと大きな声で!ミーティング中、たるんだ姿勢、態度は許されない。背筋を伸ばし、目を合わせる。

 女性の幹部は、外ではにこやかに愛想がよく姉御肌だけど、中では鬼軍曹。平成っ子が、「パワハラですね〜、いや〜信じられなーい!」って言いそうな。女性幹部は、男性より、なめられまいと、逃げ場がないくらい追いつめる、細かい。妥協はしない人が多かった。

 電話をかけまくり、わたしが「右の耳が痛い!」と言ったとき、「耳栓しなよっ!イヤホンでもはめればっ!」と一刀両断。
暴言、険しい顔はしなく、毎朝、爽やかに挨拶や雑談はしてくる。すれ違うとにこやかに声はかけてくる。
だから、電話がうるさいことで、もめたくない。
お医者さんに、
「男性の低い声だと、突発性難聴にはならなくて、女性の高い声だと頭痛くなるんですかね?」
と真剣に相談をして、当然、その因果関係は認められない、とのことだった。
結局、聞こえる耳があることは幸せ。
わたしに向けて言っているのではないのだから、カクテルパーティー現象!パーティーのザワザワとした騒音の中でも会話の聞きたいことは聞き取れるが、必要ない雑音は捨ててしまう脳の働きがあるではないか〜!
わたしを嫌っているわけではない。きめ細やかな差し入れをいただき、感動した。よく家族も喜ぶ、手に入りにくいものを下さるんだなってね。
だけどね、彼女が異動したら、わたしの耳の違和感はパッタリなくなったんだ。

 いつも「何でわからないんだ。何で出来ないんだ。」「俺がこの店を何とかしたい。こいつを何とかしたい」そういう思いが現場とずれる。離れる人間が出てくる、理解されない。そう言うことも多いんだよ(笑)

 う〜ん! 
 先の件でも、厳密に言えば、パワハラではない。
耳栓はしましたよ!聴覚が鋭敏なのかなぁ〜と思ったら、結構賑やかなところでも平気。特に静かなところを好むわけでもない。
あとで、彼女がガント、ノルマの責任者で、もっと上から怒られていた事を知った。上から逃げ回っていて椅子を温める暇もなかった。鬼の居ぬ間の洗濯ではなく、要請、営業の電話をかけまくっていたってこと。
その切羽詰まった、感情、悩みが、近くにいたわたしに、わぁ〜っと押し寄せて来たってわけ。
わたしはマーケティング分析をし、提案をしていたから、舌打ちされることはなかった。

 締め切り寸前のセミナーに参加できるように便宜を図ってくれたし、男性だと上下関係、優先順位があるから、「お呼びじゃないよ!」「何やってんだ!わきまえよ!」の無言の圧力があるけど。遠慮してしまうことも、聞いてみようかって敷居は低かった。そして親身だった。

 耐えるしかなかったのか?耳の異常に。
相手の事情が分かれば、気持ちは楽になる。
でも、わたしも人のことは言えずもっと下には態度がキツかった。その仕事辞めてから、なんか雰囲気変わったって言われるもん。「あの時のわたしは性格最悪だった」って自分から言うけど。

 その最中に、
「相手のことは、コントロール出来ないこと」「自分がコントロール出来ることに力を注ぐ」に、
何たわごといってんだ〜!って思ってたけど、
ボクサーの村田諒太さんも、ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜さんも、このことを言っている。
だから素直に聞けた。そして、人のことはいい!他の誰かではなく自分がやればいい!って、相手に対する怒りは減った。期待しなくなった。

 だけどね、
今は、遠く離れた国々でも、自国ファーストではなく、
分かち難く関わっている、台湾のニュース、ニューヨークの医療関係者のインタビューを海外の事象として捉えてはいない。
 イタリアの素敵な連帯、海外のスティホームでも外部と繋がる工夫。
ネットの発達は、世界中に張り巡らされ、ドラえもんのどこでもドアならず、見知らぬ人もつなぐ。
 ウィルスは人を選ばない。あのマドンナ、マクロビオティック信奉者、自分は健康保菌者で自分はうつることはない、と考えがちだが、 いいものを食べているであろう皇太子、大公でさえ感染した。
ジョンレノンのイマジンじゃないけど、
 今までは、お国柄、所変われば文化も習慣も変わる、郷に入れば郷に従え、だったのが、
もっと普遍的な、共通項が必要とされている。
世界はひとつ。一緒に闘っている。
こんなの歌詞の世界だけだと思ってたのに。

 

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 ただし、綺麗事だけではなく、このウィルスの特性としては、本来は医療の分野、これまでは医療的な解決がすべてだったのに、決定打となる薬もワクチンも存在しない。
医療関係者も免疫学者も、警告はしてきた。訳もわからず感染を阻止する事ができないのではない。本来は自分がうつらないようにして、重症化する人にそばにいて、栄養状態を見守ったり、衛生面を見守ったりしないといけない。だけど、それが理想論になってしまった。なぜか?
それは予言されていた。
感染が広がりベットが満床、埋め尽くされ、医療崩壊一歩手前だからだ。

 そして、医療関係者が感染したくなければ、重症者の受け入れは断り、勤務時間も人員もスペースも機器、ウィルス防御も8割の余裕をもたせる。そうすれば徹底できる。だけどね綱渡り状態ではないか〜!
それと人々が病院に押し寄せるのは「ナシ」で!隠れた、顔が見えない保菌者、症状が今のところ出てない潜伏期間が長い人が紛れこんでいるかもしれないから。
そして、軽微、無症状の人でさえ感染源になるのだから!

 だけどね、症状が出ない人たちがどうすれば自分が感染していることを知ることができるんでしょうか。
無症状の人への行動制限、早くから、直行便客の検査と隔離の徹底、そして入国停止措置を取らなかった日本、無自覚な感染源が犯人だろうけど、台湾の様子を見るたびにそう思えてならない。
保菌者が誰かも分からないまま、感染が広がったから、ドライブスルーのように検査を徹底すれば良かったか?

 予測が当たらない。人の対策をあざ笑うかのようなウィルス。クラスターを潰していっても壁をすり抜ける。
人の行動や心理は予測、分析できるという、統計学で事象をコントロール、制御、誘導してきた人からすれば、犯人探しをしたいのかもしれない。
システムを構築する。問題や課題を消しこむ。仕事では当たり前のようにやってること。

 だけどね、こうすればこう。という有効打がない。
人間は、すべてを制御できる。なんて傲慢だった。
宮崎駿の映画や、祖母から聞くのは、まだ人間のコントロールが及ばない、人智を超えた分野、世界があるってこと。昔の人は上手い付き合い方を考えてきた。
地名に、災害の歴史がある。有名なのが、北海道のアイヌ語の地名。「ナイ」は川が暴れない、「ベツ」は暴れ川と区別したという説がある。稚内は大丈夫で、紋別は??
気象はコントロールできない。

 必要なのは智慧。思い通りに生きてきた人にとっては、行動制限、習慣を変えることは大変だろう。でも、自分や周囲の人、社会全体に影響する事態なのだから。
日本人は真面目で仕事は一生懸命だけど目立つことは嫌いで想定外の面倒なことは嫌い。
思い遣りがあるのは、半径1 km内、はみ出ることはなく、自分に影響しない範囲に限定とかね。
 う〜ん!
維新の志士たち、坂本龍馬、新撰組が人気あるよね〜!ラクビー日本代表も!本当は限界を超えたいんじゃないかな?ワンフォアオールに惹かれるものがあるんじゃないかな〜!
でなかったら、全然全く知らなかったラクビーに熱狂するわけないし、「リーチマイケル!♡」「トンさん〜♡」って特にファンでもなかった人が注目するわけないか。彼らは日本人以上に日本人らしい人だと思うが。
 今は必要に迫られて、行動変容しているが、
マスクをつけ、手洗いをし、消毒、換気をし、外出を控える。外出の際は社会的な距離を保って接触を減らす。
他の人や社会全体のことを思いやって、少しでも食い止めようと自発的なのか、
自分のしたい、したくない、を横に置かざるを得なく困難さを感じ、辛さを訴えるのか、
全体までに広げて、正しく冷静に見て、イタリアやイギリス、ドイツでは市民の連帯がある。一緒に闘おう。どこにいても頑張ろう。ワンオアオール。