『シンドラーのリスト』の映画は、有名だけど、ドイツの実業家オスカー・シンドラーの人物像、実話は違うと言われている。
少しでも怪しいと疑われたら、「思想犯」として逮捕で命が脅かされる中にあって、妻エミリーが、厳格なカトリック信者ゆえの信念で自分の工場のユダヤ人労働者救済に尽力できたのは、夫オスカーのナチス高官への賄賂によってだった。
真実は決して1つではなく、1つの事実があって、それに対して人の数だけ幾千の真実があります。
一方からだけ見ていては、事実は見えてこないと思う。
杉浦千畝さんは、ヒューマニズムに基づいた。外交官としての立場や外務省の指示よりも、家族の理解もあり、人間としてなすべきことを優先した。独断で日本通過ビザ「命のビザ」を発行し、6,000人救った。シンドラーは1,200人。
ユダヤ人が殺到したが、領事館閉鎖で、ビザを発行できなくなり、去っていく杉浦千畝さんの無念さ。
指示に逆らったので、戦後は口をつぐみ、助けた人が大臣となり、イスラエル政府が表彰するまで、陽の目を見なかった。
フランス、ベルギーにも、レジスタンス、パッサーと呼ばれる協力者がいて、ヨーロッパ全域に張り巡らされた協力者のネットワークが存在したことは、言葉を失う。
最後の国境越えを案内するパッサーは、山に精通した羊飼いや村人が多かった。
生き証人最後の、パッサーだった92歳の男性。スイスとフランス国境の辺境の村に辿り着いた逃亡者を、夜を待ち、山の中に入り、国境まで送り届けます。
「家や財産を捨てて、ただ生きるためだけに、彼らは国境を目指すんだ」
逃亡者たちがユダヤ人であったかどうかわからない。疲労の色が濃く、神経質になっていた、と語る。
「彼等とはほとんど口をきかなかった。怯えているんだ。彼らはまったく見も知らぬ人間の手から手へと渡されて行くのだから。私も怖かったよ。どんな人間がまじっているか分からないんだ。」
何人くらい助けたのか、と訊かれても、「さあ…」「証拠を残さないように一切記録はとらなかったからね。」「たぶん150人くらい」と語ります。
国境までのルートを、92歳にしては、杖をつきながらも健脚で、足取りはとても速く、背中も伸びている。「ここだ」という場所には国境を示す崩れかけた石垣がありました。
彼は、戦後20数年間、自分のしてきたことを誰にも言わずに沈黙した。もし知られば、ナチの残党やネオナチのような連中に狙われた危険もあるでしょう。
ポーランドのユダヤ人の女性。食糧を探しに行った兄たちが帰って来なく、隠れ家もゲシュタポに発見され、下水道菅に潜んだ。協力者がマンホールの蓋が開かないと言うので、別のマンホールに向かう。灯りはなく、暗闇。増水。動けない両親に姉が付き添う。母親が「逃げて」と背中を押したそうだ。
「1番ちっちゃく、臆病な自分が生き残った」
(なぜ、そうしたのか?) 考えても、「良心」としか考えられない。
フランスとスペインの国境のピレネー山の麓の記念館には、たくさんのパッサーの写真が展示されている。
世界遺産のピレネー山脈。著作権フリー
ピレネー山脈とスペインの国境越えは犬を使った逃亡者狩りのため至難で、パッサーの2人に1人は銃殺、良くて収容所ゆきとなったそうです。
それほどの危険を承知で、彼らは漆黒の暗闇の中を、誰が紛れ込んでいるかもわからない、見ず知らずの逃亡者を連れて、繰り返し往復した。
雪が積もっていることが多いピレネー 山脈。著作権フリー
人間の良心!
あの情勢下で、状況を正確に判断し、時流に逆らい、命を賭けてでも、貫けるんでしょうか?
国境なき医師団のような国際NGO。国内でもボランティアで年中飛び回っている人もいる。
『ライフ・イズ・ビューティフル』の映画はイタリア系ユダヤ人グイドは明るく陽気。
薦めても、どうしても見られないと言った人もいた。確かにそうだなぁ。コメディ要素はたっぷりで、映像は美しいけど、気軽に見られないな~
(かぎ鼻を整形すれば…)と話したこともある。
近衛秀麿(このえひでまろ)の足跡を追うが、パズルのピースが足りず、まだ謎のままだ。
『玉木宏 音楽サスペンス紀行~マエストロ・ヒデマロ 亡命オーケストラの謎~』NHKで、近衛秀麿がポーランド各地で行った隠密のコンサートが取り上げられた。
室内で少人数で秘密裏に開かれた演奏会のイメージ。著作権フリー
番組では、ポーランド国立歌劇場で現代の音楽家による、シューベルトの「未完成交響曲」の演奏が披露された。聴衆はただ玉木一人。
(文化度が違う!)と、思わされた。紡ぐ音色の激情と繊細さに心が洗われました。
人間の魂から立ち昇る気高さが、不条理さに対する怒り、怖れ、失望となっては、なんの意味もない。人間の尊敬、民族の誇り、自由というものを、感じ取った人は、どれだけいたのだろうか。
(あ〜かわいそうだね。ひどいねぇ) (もう見たくない)と忘却の彼方に追いやるのではなく、調べの旋律とともに記憶に残る。無力ではなく、救いを感じる。
日本人はクラシックを「難解」と敬遠する人が、ほとんどだが、「禁じられた」のを、渇望した、ポーランド人。いかにポーランド人への差別がひどかったか。
もし、わが国で相撲禁止だったら、どうするんだろう?「裸のぶつかり合いの野蛮なスポーツだ」と決めつけられて。
茶道も、「戦国武将の密談の場に使われたから、陰謀の恐れあり」と、100年前の茶道のお道具、茶室も壊されたら、どうよ⁈
他国から一方的にそう告げられたら。(んなアホな!)ことがまかり通ってたのです!フィクション(創作)ではなく、事実なのです!
「オルケストル・グラーフ・コノエ」を結成し、近衛秀麿が生前、「コンサート後、自分のフィアットにユダヤ人演奏家を隠して逃がした」と語っていたと孫娘(彼女も演奏家)が記憶していた。だが、証言はこれだけで、パズルのピースが足りず、まだ謎のままだ。
なぜ、近衛秀麿は、人命救助という善行をひた隠しに隠したのか?なぜなら、近衛家は平安時代から天皇家、皇室に近く摂政も務めたこともある公家の五摂関家の1つである名家であり、兄の近衛文麿の二次内閣が、ドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結んだ。弟の近衛秀麿はプロパガンダ(政治的宣伝)のため、ドイツに派遣された指揮者だったのだ。
兄やドイツを裏切ることはできない。近衛文麿も昔の天皇の子孫である公爵なので、戦犯裁判で言い逃れはできないと、咎が及ばぬように自殺された。
ユダヤ人迫害のことは、すでに知ってる。断罪されている。と食傷気味で、スルーするのではなく、「玉木宏」だから、「音楽」「近衛秀麿」といった切り口だから、いろいろな波紋を心に残すのだろう。
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