2017年8月20日ベスト8、第1試合8時、三本松(香川)-東海大菅生(西東京)
手に汗握る死闘。悔しさが定番なのに、8点差の劣勢なのに、追いつめられず、ベンチや応援席の笑顔の明るさ。
 一塁側アルプス席の3,500人の大歓声。人口約3万人の東かがわ市からバス31台で約2,000人の地元の人、OBが、駆けつけた。66%、半分以上の市民が応援なのか~!(*_*)
 アルプススタンドとは、内野席と外野席の間にある観客席のことを指す。白いシャツの観客で埋め尽くされた風景が、白い傾斜のアルプス山脈を彷彿させたのだろう。アルプススタンドの由来は、登山家の藤木九三がアルプスに例えたのを、岡本太郎の尊父である人気漫画家の岡本一平が広めた。

 (あれ〜っ?)と思った。特筆は、8回で大久保祥吾選手の粘りで、「1点」と電光板が光った時に、監督がそばにある柵をたたいて、はちきれんばかりの笑顔で歓喜したことだ。追加1点なのに…まだ7点、追いついてないのに~!

 一瞬、原晋監督?(プラス思考信者なのか?)と、全体的な明るさに、(青学の原監督のやり方を野球部に取り入れているのか~⁈)と、思った。応援、ベンチ、ナインの明るさがなければ、野球オンチであるわたしは、魅入らない。あとで、すごいことだと知るのだが…

 プラス思考に、(奇跡が起こるといいなぁ〜♪)と思ったが、残酷にも、野球の神様は微笑まなかった。
笑顔で、明るかった選手たちは、試合終了時に泣いていた。あわやの危機一髪で執念で滑りこみ一塁を守ったが、スリーアウトで活かされず、試合終了。ユニフォームは泥だらけだ。滑りこみ(スライディング)はめったに見ないので、目が点に(*゚O゚*)))

 エース・佐藤圭悟選手が序盤に5点を失い降板。厳しい展開が続いたが、あきらめる選手は誰一人いなかった。
「終盤に必ずチャンスが来る。しっかり振っていこう」
指揮官のゲキに八回、打線が奮起する。先頭の9番・黒田一成内野手(3年)が左翼線二塁打を放つと、続く1番・大久保が
「チャンスを作ってくれたから、絶対に返してやろうと思った」
と左前へ適時打。執念で1点を奪った。
24年ぶりの夏の甲子園で全力を尽くした3試合。切れ目のない打線と巧みな小技、そして堅い守りで香川県の高校では15年ぶりの8強入り。
 三本松高校は公立。唯一の公立で、ベスト8。
 私立は、全国から野球推薦があるが、公立は、強豪でなく普通の高校生。ベンチ入り全員が香川県出身、ほとんどが東かがわ市出身。
日下監督は、三本松高校OBで、謙虚で礼儀正しい高校生だったそうです。

 甲子園で、スポ根以外の、爽やかさを久々に目にした~♪
 苦悶、悔しさ、涙、嗚咽以外の、甲子園球児の「明るさ」は、3・11の21世紀枠、2校敗退。東北の高校の明るさ以来だなぁ〜♪
 あの時は、すごく元気をもらいました☆、負けても、笑顔。嬉しそうなナインたち。
 皆が夏に向けて必死に練習している時、東北の2高校は、生きるのに精一杯で、練習よりも「ボランティア」をしていたそうだ。羽生結弦も、似たようなもの。羽生結弦は連覇ですごいよね〜☆

 神村学園(鹿児島)VS石巻工、4回裏石巻工無死三塁、阿部克の中前打で生還し、ハイタッチする斉藤。逆転劇。

 9回裏の攻撃を前に円陣を組む石巻工の選手たち。もうこれが最後なのに、笑顔いっぱいだった。
選手宣誓した阿部翔人主将は「応援してくれた方に恩返しができなくて悔しい」と涙を浮かべた。日本中が応援していただろうね^ ^

 

ぱたくそ model by 河村友歌

 

 公立と言えば、あの有名な徳島県立池田高等学校。1974年、春の甲子園で、11人で準優勝し「さわやかイレブン」と有名に。小さい町で、優しそうな風貌のおじいさんの監督。実際は蔦(つた)文也監督は厳しかったそうだ。「攻めダルマ」の異名、守る、投げるよりもとにかく打て!と、打撃に力を入れた。やまびこ打線が有名だった。
山間部の片田舎で野球に理解がなかった中、
「山あいの子供らに大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」
毎回、甲子園に出ていた、と聞く。だが、桑田真澄、清原和博率いるPL学園の登場は、やまびこ打線の終焉を告げた。

 底力はすごいね〜!