応援に熱が入ると、
「疑惑がある、ズルは見たくないな」
「勝ったことで気が緩んだのかな」
「打てないから、ムカついたんで見たくない」
(形勢が不利なのはおかしい!)と、喧嘩ごしになる人もいるらしいですが、

 冷静に考えてほしい。ゲームはなぜ面白いのか。この行動学に基づいて作られているからだ。赤ちゃんも動物も、単純なパターンよりは複雑なパターンに興味を示す。色のコントラストが強く、複雑な動きに強い興味を持つ。
直線的で単調な動きだと、動きの軌跡を追わなくなる。居眠り防止に事故防止に高速道路は直進ではない。注意力散漫になるであろう。不規則な動き、複雑な動きには、注意を向ける。猫は猫じゃらしに夢中になる。
単純に物体の動きとしてではなく、「向かってくる車、横の車を避けなければ」と擬人化してしまう。四角の形であっても、「こっちに進んで」「反対側に逃げて」と、客観的に物体の軌道、軌跡として捉える人はいない。擬人化し、夢中になる。入りこんでしまう。なぜ、ゲームにはまるのか説明はできる。だが、スポーツ観戦は…ピコピコやる、駒を動かすゲームではないのだ~!

 わたしは、球児の姿から、前を向く気持ち、頑張るとはどういうことか、嫌な場面で大人より冷静で人間ができている心の強さ、etc.を教わります。

 今は、校名が変わり進学校になり、インターハイに出ていませんが、インターハイ常連の強豪がありました。(過去形)
 今は頭のいい人が入り、大学への進学率も高いのですが、校名が変わる前は、「規則だけはメチャ厳しく、とんでもなく怖い先生がいた」と聞いています。
一応、運動部なので茶髪にはしませんが、モヒカン風、眉を細くしやり過ぎると先生に怒られる、やんちゃがほとんどです。優等生はいませんでした。
 だけど、ものすごく礼儀正しく、わたしは尊敬しています。

 市体育館開放日に練習に来ていました。試合中に時々、先輩が、
「寝てんのか~!」「寝るのは授業中だけにしてくれよ‼」
「ボケてんじゃね!」
「赤点取ってもいいからここでぼ~っとすんなよ!」
と矢継ぎ早にキレた。もちろん寝てなんかいない。隅から隅までずっとコート中を走っています。
「おめぇ~!本気入れんか」
「全国は百万年早えんだぞ!」
北斗の拳のセリフに似ています。(ずいぶん乱暴な言葉を使うんだなぁ~)
休憩に(あわわ~っ!流血乱闘発生か~?)と思いきや、全然そんなことはなく、ツカツカとガシッと肩を組み、
「あれはあ~すんだろ!」「これはこうすんだろ!」的な発破、頭を指しながら「考えろやぁ!」「頭ないならやめるか!」の熱血。

 今、思うと、バスケは高度なフォーメーションを繰り出すことで、ボールが速くつながる。パスミス、足を止めると、攻撃のリズムが崩れ、勢いが止まる。敵は守りを固め、点獲りが難しくなる。
ピンチに思考停止になってしまう、しのぐためにただ動き回るだけでもダメということか~!
 赤点ギリギリって聞いたけど、瞬時に攻撃を組み立てられるか?「オレ頭悪い」の発言が出た時に、素直な疑問をぶつけた。そしたら、「同じ失敗をしないということです」「勝つバスケをする」だって。
(運動部だからぼろくそ言われても我慢しているのか)と思っていたら、怒りまくっていた強面と仲良く談笑し、小突き合っているではないか。

 恐る恐る聞き出した情報と、OBにぶっちゃけ聞いてみた内容から総合すると、
「先輩にインハイに連れて行ってもらったから、自分もインハイに行き、入ってきた子にもインハイを見せないといけない」「全国にはまだまだ足りない試合内容が悪い」「インターハイに行くためにこの高校に入った。大学に行かんからインターハイに行けないとこの高校に来た意味がない」「後で泣くのが分かっているから、全国に間に合わせないといけない」だそうです。

 その高校は女子も入り、10年前に校名を変え、建物も新しく立派になり、生徒も学校の雰囲気もガラッと変わった。先生もすごく怖いということはない。だからインターハイ常連の強豪だった時の北斗の拳のセリフみたいなパワハラはないと聞いている。
 不思議なことに、インターハイ常連の強豪だった方が気はいい、仲間に交ぜてくれた、教えてくれた優しい人が多く、わたしに対しては礼儀正しかった。
 今は頭が良さそうな生徒は多いが、特に礼儀正しいとかはあまり感じない。生徒や校風が変わったのだろう。

 今は、パワハラだから檄を飛ばしてはいけないのだろうが、わたしはスポーツ観戦に熱くなると檄を飛ばしてしまう。
運動部でも叩いたら、即解任、更迭、出場停止になるみたいだね。
当時の強豪はどうだったのかは分からないが、仲は良さそうだったし、変顔も筋肉自慢もあった。ただ、校則が厳しく、守らない悪ガキが敵わないくらい先生が怖かったとは聞いている。

 今はパワハラだからダメなんだろうが、北斗の拳のセリフのような檄を飛ばされる中、練習をやっていた人は、全国の大舞台に立った時、底知れぬ気迫を纏うであろう。(こんなのどうってことない)ってね。雰囲気に呑まれる、気持ちが負けることなんてない。メンチきるではないが、闘志が燃え、なんとしても勝とうとするね。
 北斗の拳のセリフのような檄は、決して個人を否定するものではなく、「気持ち負けするな!」であることが、顔つきが変わるのを見てきてよく分かる。

 奥川恭伸さんは、穏やかな顔をし、優しい笑みを浮かべるが、気は緩んではいない。
「自分の緊張をほぐすため、自分の不安を和らげるため」の笑顔というより、仲間に向けて、チームメイトを安心させようという気持ちはすごく感じた。まなざしを見れば分かる。仲間や周りをよく見ている。感情の揺れ幅は少ない。
 試合が終わった後、出番が終わりだと告げられる、ベンチに戻ると緊張が解け、ホッとする、それが良く出ている選手たちが多かった。
だけど、エースと呼ばれる選手、実力を感じさせた選手は思慮深かった。U18侍ジャパンで、渡邊勇太朗にまずそれを感じた。大人が高校生として出ているのかと思うくらい早々に3アウトをとって、ドヤ顔でなく、淡々と周りを眺めながら戻った。
ベンチでの日置航(始めはコーチか?と思ったが、マウンドに出てきた(笑)、私語、素の感情を出すことはなく、声かけの鼓舞に集中していた。
奥川恭伸さん、たくさんのエースたち、主将たちを見て、重心はチームにあるんだなって。監督やチームメイトの信頼があるのだから。

 わたしがPGやった時、できなくても怒られることはなかったが、気を抜き過ぎる、甘い気持ちだと「交代」のジェスチャーで見学にさせられた。(気持ちがないならやるな!)ってことだなと理解した。
 個人競技なら、個人の責任。その人個人に興味があれば、応援してくれるが、バスケはその高校の名前を背負ってやっている。マラソンならQちゃんの応援はしても、実績がない無名の選手の応援は知り合いでないとしない。だが、箱根駅伝は大学名で応援するので、初出場の選手も応援してもらえる。そういう話を聞いたことがある。

 賛否両論あるが、「押しているな」「押されているな」と分かったのは、面構えと目。
「『力不足でした』なんて思っても、反省は後で好きなだけしろ!今は試合中だ~‼」
「『投げる球がない』でも、今までだって切り抜けただろ!集中しろ!失敗がない確実なのを引っぱり出してぶっ倒れるまでやれ!」
「気弱になって打てなく、後で泣け。いっぱい泣いても知らん」
「ここまでやって来ただろ!ここで負けるな~!気持ちだ~!気持ちを強く持て!気持ちだけは絶対負けるな」
なんて、北斗の拳のセリフの檄を飛ばす人は言うだろうね。まるで鬼軍曹だな。パワハラでこんなこと言っちゃダメなんだろうけど、
悔いは残すな‼ってことだろうね!

 野澤秀伍、阿部秀俊、岩本大地はその言葉を浴びせかけられて、動じない、堅牢、闘志を秘めた眼になったのだろうか。それとももともとの性格なんだろうか。今はパワハラないし、そこまで言われなくても、自発的にやるのかもね。それにしても気持ちがきれない。弱気にならないのはすごいなぁ~。

 ちなみに友達にこういうこと言う人もいないし、育った環境の中で、耳にしたこともない。「勉強しなさい」「宿題を先にやりなさい」なんて言ったことがないって、母も言ってるしね。静かな集中できる環境だった。
 強豪の運動部にはびっくりした。けど、やんちゃだから平気なのかなぁ~、無為につるむ、煙草、他校との喧嘩より、インターハイに青春を燃やしている方が体も鍛えられるからいいのかな、と思っていた。

 だけど、今になって、言いたくなった気持ちが分かる。
ここまで頑張ってきたことを無駄にすんなぁ~‼ってね。

 

著作権フリー

 

 運動部の、人間的成長につながらない、心に傷を残す、その後、社会に出て「あの時があったから良かった」とは言えない、心の中で当時の先輩や指導者をコロす、恨みしか残らない、地獄のような忍耐を強いる理不尽な言動やルールは嫌です。そのスポーツが嫌いになります。見るのも。部活、運動部、上下関係の名を借りた、社会人がやったら警察沙汰、訴えられかねない、犯罪に近いものだと、個人的には思っています。
 ちなみに、書かせて頂いた強豪バスケ部出身者にはリスペクトしていて、礼儀正しく一生懸命接して頂き、その感謝を彼らや彼女に、お世話になったことを伝えてきました。