吉岡たすくさんの本は絶版、著者は身罷られ、快諾が得られる見込みがありません、著作権の関係がはっきりしません。教育現場で「白いハトとリスの話」は活用されているようです。個人のブログには、控えさせていただきますので、機会があったら、
『いきいき子育て-「テレビ寺子屋」お母さん講座Ⅱ-』(吉岡たすく著:PHP刊 P.52~P.57)
「子どもは話が大好き 吉岡たすく著書」の童話「白いハトとリスの話」
を検索して、読んでみられたらいいかと思います。

 この物語は、お釈迦様の説法にある逸話です。
 あるとき山火事がありました。炎が樹木をなめるように上がっています。勢いを失うどころが、隣へ隣へと燃えさかり、森は炎に次第に包まれてゆきます。
 (焦土となるのか?) 消防車も消火器も水道もない、森のいきものたちは、炎の熱さに怯えながらも、遠巻きに見つめるしかありませんでした。自然の脅威、災害には無力なのか…

 吉岡たすくさんの童話では、おなかの中に赤ちゃんがいたリスが、台風の夜が明け、怪我をした白いハトを見つけ、自分の巣に連れて帰り、世話をします。すっかり治った白いハトは礼を言い、飛び去って行きます。ある時、森に火事が起きます。白いハトは自分を助けてくれたリスの様子を見に、炎の森の中を飛んで行きます。すると、助けてくれたリスは、燃えさかる森の1番高い木の枝のてっぺんで小さな、赤ちゃんを抱き、どうしたらよいか、途方にくれていました。

 お釈迦様は、森を焼きつくす火は、業炎(ごうえん)だと例えています。その様を眺めると、(もうどうしようもない)とあきらめてしまう。世の中は、何ひとつとして同じ状態で在り続けることはない、すべてが移り変わる、諸行無常ですが、すべてが崩れ去り、すべてが失われるのをただ虚ろに眺めるだけではありません。そういう、すでにあきらめるという意味ではありません。心に刃を乗せる、忍土、思うにままならない、この世は天国ではありませんものね。忍土を自覚するということではないかと思います。

 その時に、1羽の小鳥が森の中へ飛んで行きます。
「危ないよ!」「戻って!」
の声にも、翼をはばたかせ、立ち向かう。わずかな水を口ばしに含み、運び、燃えさかる、焼きつくそうとする森の炎の中に、落としてゆく。それはまるで、涙のように滴を落とすようだ。

「無駄だ~!」「アホちゃう~?」「もうやめろ~」「お前も焼けて、焼き鳥になるんねん!」
と誰かが叫ぶだろう。
翼をはばたかせ立ち向かう1羽の小鳥に、
やめろ!無駄だ!だめだ!馬鹿らしい!
の罵声を浴びせ、あざける。

 吉岡たすくさんの童話では、白いハトは、近くの大きな池の水を一、口ふくんで、飛び上がり、リスのいる森の燃えている火の上へポトンと落としました。そして、また戻ってきて、一口水をふくんで、リスの森へ急ぎます。
カラスが、
「何やってるんだ」
「あの火事を消すつもりか。たった一滴の水なんだよ。あの火事を消せるわけがない」的なことを言うんですね。
それに対して、白いハトはこういいます。
「カラスさん、あなたにはわからないかもしれないけど、前に私はあの森に住んでいるリスさんに助けられたんです。今見に行ったら、まわりが火の海で、生まれた赤ん坊を抱いて、あのリスさんがうろうろしているんです。どうしても私は助けたいけれども、助ける方法がありません。方法は火を消すだけです。だから、私は、自分のできるのは、池の水を一口くわえて運ぶだけなのです。消せるか消せないか、私にはわからないけれども、私は水を運びます。」
「ばかだなぁ。消えるはずがないものをやったってしようがないじゃないか。」
にも、白いハトは黙ったまま、一口の水を一生懸命運び続けました。

「やめろ!」
と誰かが叫び、馬鹿らしいと誰かがあきらめる。けれども、小鳥は翔ばすにはいられない。投げ出すことはできない。力の限り、小鳥は羽ばたく。

 その姿を見ていたカラスは、
「おーい、みんな出てこい。」
と、鳥たちをいっぱい集めて、
「みんなで水を運んでくれ。」
と、白いハトに続いて、何十羽、何百羽の鳥が一口ずつ水をくわえて運びました。なんて、粋なことをするんでしょう!カラスさん!
赤ちゃんを抱いて、リスはふるえていましたが、森の上空をたくさんの鳥が飛んでくるのを見て、
「ハトさんが火を消しに来てくれたんだわ、ありがとう。」
「ああ、ハトさんありがとう。あきらめてはいけない。」
と、リスの親子は火事から逃げ出し助かった、と書いてあります。

 救援に心強かったんだね!
力の限りはたらく。命の限り歌う。そして、希望を捨てた者の心の中に風を起こす。

どんな困難があろうと、どんな業苦の炎に焼かれようが、
どんなに希望があろうが、光があろうが、愛の力があろうが、それを運ぶのは、一人ひとりの小さな力。

どんなに自分の未熟を突きつけられても、劣等感を抱いたとしても、
どんなに知恵があろうが、解決の鍵穴があろうが、道が拓けるチャンスがあろうが、それを目覚めさせるのは、一人ひとりの深層の通奏低音。
泥の中に蓮の花は咲く。

 

著作権フリー

 

森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと逃げていきました
でも クリキンディという名のハチドリだけは 
いったりきたり、くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます

動物たちがそれを見て「そんなことをして、いったい何になるんだ」
といって笑います。クリキンディは こう答えました

「私は わたしにできることをしているだけ」
~アンデス地方の民話 “ハチドリのひとしずく”~

 文化人類学者で環境運動家の辻 信一氏が南米のアンデス地方を訪れたとき、その土地に語り継がれているハチドリの物語を、先住民族の友人から聞いて、翻訳し、光文社から単行本「ハチドリのひとしずく」として出版されました。