箱根駅伝の「魂のリレー」の是非が問われている。このことを思い出したので、書くね^^

 ある日、女の子のチームに入れてもらって、バスケをやった。寝不足がたたって体がきつくなった。それでも、バスケは楽しかった。コートに立っているのにも限界があり、横になりたくなった。そのことを告げると、
「チームだから最後まで一緒にやろう」というようなことを言われた。コートを出て横になり、心臓の鼓動が静かになり、視界がはっきりすると、すぐに戻った。
そして、プレーを続けたのだが、自己嫌悪に陥るようなことをしてしまった。マークがきついままシュートしようとした味方に「打つな!」と叫んでしまったのだ。
 そのことで「傷ついた」、相手のファウルを誘う、後ろへ体を傾斜しながらのボディコントロールができるか、実戦的な練習だったのだ、と聞いた時、「チームワーク」と言いながら、何もチームメイトのことを考えていなかった自分に気づいた。
 いつものメンツとだと、動きがついていけないので、急遽女の子に入れてくれるように頼んだではないか~!声を出し合う、攻守が早いゲーム運びに、なめてかかったわたしは息が上がったではないか~!
 ボランティアに行っているB型作業所でも「もう作らなくていい」と言われ、3週間も休んでしまった自分なのに、人にも同じようなことをしてしまった。

 『アイアン・ウィル』の映画で、犬ぞりレースに出場した主人公ウィルが、凍死しそうな出場者のグロウェインを橇に乗せて助け、「英雄」と称えられた。が、リーダー犬カズに優勝候補のライバルが気性の荒い犬をけしかけ、カズは負傷してしまう。その時、カズを殺そうとした。顔にも氷柱が下がり、唇は割れ、崖から落ちることもある過酷なレース。犬の命は人間よりも軽いと考えたのか。だけど、亡き父が遺した犬。カズを橇に乗せていたが、最終日、勝つために動けないカズを置いて行こうとする。だけどカズが吠えたのでやめた。背後にライバルたちが追い上げてくるゴールを目前に極度の疲労から、ウィルは橇に倒れこむ。不屈の精神で大人たちの妨害にも負けず、ここまで来たが限界だった。その時にカズが橇から飛び出し、猛然と… 結果的には、カズがいなかったら、ウィルは優勝できなかったのだが、こうした人間の矛盾さ…

 ゲームに入れてくれたから、自分はバスケができ、ボールをくれるから自分の得点になる。「チームあっての自分」なのにそのことを忘れてしまっていた。
「自分のバスケ」になると、他の人が下手だと自分がやらなければと思ってしまう。点を獲ろうと思っても、チームメイトからそっぽを向かれるとパスが渡らない。ボールを奪ってもマークがきつければ、シュートを決めるのが難しくなる。
支えてくれるチームメイトがいてこそ、得点となるのだ。それにみんなバスケを楽しみたい。ワンマンより全員5人の方が攻撃の幅が広がる。本当にチームワークを考えることは奥が深い。個人技が優れていれば点を獲って、チームに貢献するが、「自分のバスケ」になると、チームメイトのやる気、勢いを奪い、攻撃のリズムが崩れる。
「打つな!」と言ってしまった心には人を活かす想いはなかった。ヘルプしようとして「パス」と言うのとは違う、チームの動きが一瞬止まってしまった。
わたしは、ゲームに入れてくれた、そして最後まで一緒に頑張ろうと言ってくれた心を踏みにじってしまった。緊迫した場面での言葉に、その人の心が出てしまうことを知った。
チームとしてみんなでわぁ~っと真ん中に心を1つにできるバスケをしたいと願いながらも、それに応えられなかった自分がいた。本当のチームワークには人間性が大事と実感した。

 

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 1人1人全員がゲームの流れをつかみながら、自分のできることをしていけば必ずペースはこっちに来る。自分の予測が必ずしも正しいとは限らない。誤算もある。指示ばかり出すと、相手にパターンを読まれる。それよりもみんなでボールを追いかけ、のびのびとプレーする方が絶対にバスケは楽しい!
頭では分かっていても、チームメイトの気持ちを考えていなかった心が「打つな!」という言葉となって出てきた。心が通い合ったと感じていたので、ほろ苦い気持ちを感じた。開きかけた蕾を壊してしまったような悔いは赦してもらえたが。
 自分を誇示する「できる」こと、傲慢は、本人にとって躁状態、夢を見ているようなものだが、時には刃となって周りの人を傷つけることもある。それに「できない」人が苦しむ。人を排斥するのではなく、受け入れたいと思った時からわたしは立ち止まるようになった。特にバスケはチームプレーがないと勝てない。
勝つ時はチームで勝ち、負ける時はチームで負ける。優れたポイントゲッター(スコアラー、点獲り屋)でさえチームプレーする一員なのだ。個人も全体の一部に過ぎないが、だからといってチームプレーに委ねるだけではなく、不利な時にチームを立て直す人が信頼されると思う。
 仕事でも、大変な部署に自分の仲間を引き連れ、助太刀に来るが、恩を売るのではなく、黙って引き上げていく人がいた。「もう大丈夫か?」「うんうん、そうか」と淡々と全体を見回して去り際が良かった。
 バスケの地味な練習、走ることで忍耐力を養う個人の努力は必須だが、そこで感じた心境は、互いを大切にし合う誇らしい気持ちだった。