アッシジのフランチェスコ。
従順、清貧、貞潔をひたすら生きた。変革を意図したものではありませんが、結果的に、教会の刷新の風を巻き起こした。奢侈と堕落にあった教会を、指摘し、声を上げたのではありません。
 フランチェスコは、裕福な家柄で、欲しいものはすべて与えられ、甘やかされて育った。フランチェスコとは「小さなフランス人」の意味。華やかさへの憧れもあったのでしょう。
だが、着ていた物を脱ぎ捨てて、裸になり、すべてを捨てて、修道士になりたいと、吐露します。裕福な環境と愛情を注いでくれた親との訣別。自分の中にある「こうしたい」という想いが出発点。
 父親は、フランチェスコの魂の目覚めにびっくり仰天です。

 アッシジに近い山奥のカルチェリの庵で、フランチェスコは生活していました。
(帰国してから、調べました!正確な場所や地名は)
 イタリアのアッシジへ行った時、現地のガイドさんに、英語で聞いても伝わらなかったので、
通りかかった修道士さんに、「フランチェスコがInspironを得たところ、たくさんインスパイアされたところ、フランチェスコがいた修道院」と聞いてみたら、修道士さんは、慈悲深いお顔で、"Far away from here." 「車でないと、行けない。私もそこが好きです」と、握手してくれ、2冊のパンフレットをくれ、バイバイ(^^)/~~~してくれた。

 ひとつはカレンダーで、フランチェスコの肖像画が12枚!もう一つは、イタリア語でフランチェスコの生涯と美しい絵画が、たくさん載ってた〜!
これって、お土産ショップで売ってるものではないか〜⁉︎
微笑みとともに差し出されたので、受け取ってしまったよ〜‼︎ ( ˙⃘⍘˙⃘ )

 

 

 アッシジは、観光客でごった返していて、

 

 

 中世の面影がある世界遺産のすぐ近くに、地元の人が住んでいる街並みが続きます。

神父さんから見せてもらったフランチェスコがいた場所の写真、スパシオ山のカルチェリの庵や森の静謐さとは、ほど遠いな〜!

 

 

 最も低きところに身を置く。
レオーネよ。無力でいと小さき、弱き自分で、世界に対峙する。

 

 

 理想主義、ユートピア思想とも言えますが、(こういう世の中にしたい) (こういう未来だったら、とんなにいいだろう)とリアリティを持って思い描く。まだ見ぬ世界を拓くことに願いがある。
理想、未来に対する夢、
問題解決よりも、人に働きかけたり、人を育てたりするよりも、既存のシステムを批判し、新たに創り出すよりも、自らの理論を構築するよりも、
新しいもの、まだ見ぬ世界を思い描き、新たな次元に至ることに強い関心を持った。

 フランチェスコは、鳥や動物と話せたという。
飾りも、自分を守る防衛もとっぱらって、突き抜けて、世界、自然、神とひとつになっていたのだろう。

 

 

 とらわれ、こだわりを捨てると、心は自由になるといわれる。

 水を差すようだが、実は、フランシスコ会の修道服は、他の修道服より、高価なんです(T . T)

 神父さんでも、研究肌、学者タイプと、行動派、活動的な人がいました。
難しい解釈や哲学の論証は、もちろん教授室の本に埋もれ、たくさんの難解なプリントを配る神父に。(笑)だが、先輩のレポート模範回答のコピーが出回るのである。

 現実に起こる問題に即したお話は、いろいろなところに出かけ、どんどん学生、ノンクリスチャンとも関わる神父に聞かせてもらっていました。レポートは少なく簡単だが、人間性、人の気持ちがわからないと鬼のごとく怖かった!(笑)
愛すること、介護すること、支え合うこと、困っている人に手を差し伸べること…を実践しなさいって!

 アッシジのフランチェスコは、自らの井戸を深く掘り下げ、神の心とひとつになった。

 その方が来ると、何も説法しなくても、もう光が、来たみたいで、愛を感じたのだろう。魂深く潜入することで、神に触れ、境地が違ったのだろう。

 変化を起こすことについて、
エネルギーの量は同じでも、出力の仕方、現れには、違いがある。

 エネルギーの出力をセーブすることで、安定させる。その振幅の幅を減衰して、ごく小さく収束してゆくことにより、長時間、持続する遅筋のような性質を帯びる。
自らの心を奥深く耕し、深く潜入してゆき、自らを磁場とした。

 エネルギーのバルブを閉めていき、出し惜しみで、尻つぼみになった状態が続くと、停滞し、
エネルギーのバルブを全開にし、増幅し続けると、どこかに無理がきて、破綻しかねない。
そのようなリスクも孕むが。