あの時に、存在した、あの場は、暖かかったな〜。再び、名残惜しさが残る、面影を追える場は、もう存在しない。

 愛すべきヤツら〜!
「1番好きな預言者は?」に、「ホセア」の神父さま。
考古学、ヘブライ語、ギリシア語、旧約に造詣が深い。
時が古代イスラエルで止まった歩く化石。シーラカンス状態になった、本の山の教授部屋にうずもれて生息。
その風貌は、「旧約の預言者を真似たのでは?」のうわさもあった。本人に確認したら、「(この髪型は)な~んも考えていない」無精なのかと思ったが、意外と気細かいんです(対人において)。

 ここまでいえば、特定されかねない、旧約の分野では、かなり有名な神父さま。

 野郎どもと女子を引き連れて、神父さまが向かった先は、教会でも、修道院でもなく、スナックだった~‼(・o・)
野郎どもは当然のように、アルコールを注文し、ステージに上がり、カラオケを歌い始めたではないか~⁈
ライトがきらびやかにともり、我先に踊り出し、ディスコ状態になった。割と広い店内。カウンターとボックス席だけでは、10人以上は、窮屈だろう。
 飲めない人のためにも、料理はあった。
遠慮というものを知らないのか~?

 宴は終焉に向かい、神父さまは、ポケットマネーを出した。足りるのか…と思った時に、
全員「好吃 ハオティー」「谢谢 シェシェ」「再见 ツァイツェン」をしっかり言わないと、「おごらんぞ!」「自費で払え」とのたまった。
「発音が違~う!」に、全員、酔っ払った、カラオケを歌ったのどで、必死に発音した。
綺麗な妙齢のママはすごく喜んだ。いい気分の中、サヨナラし、電車に乗り、それぞれ解散。

 神父さまの違う一面を見た気がした。「化石」「研究オタク」本の中で生きているのではなかった~
頭でっかちで研究者肌では、預言者を生き生きと語れないからね~。躍動感のある授業。感情面に訴えた。難しいヘブライ語も口ずさめる。ミツライム、エロヘイハー…申命記。
ὄνομα αὐτῷ Ἰωάννης• オノマ アウツー(その名は) イオハネース(洗礼者ヨハネ)ヨハネ、のギリシア語。
胸にズンズンと響くもん!

 とこらが、現代ギリシア語「こんにちは(καλημέρα カリメラ)」を知らなかった。古代人確定‼(今は知ってる)古代人と呼ばれた所以である(笑)

 現代語として、フランス語、スペイン語が飛びかう。
会話の中の、“Moi aussi” モワ オッスイ(私もそう、me, too.ミーツー)、“Yo tambien(tampoco) ” ヨ タンビエン(タンポコ)スペイン語で、「私も」私は〜思う。“Je pense que ” ジュ パンス キュ〜、スペイン語では、“Pienso que” ピエンソ ケ〜
挨拶は、聞き取れるが、
まるで、音楽のようだ。
 フランス系(フランス人、ベルギー人)が多ければ、フランス語。スペイン人が多ければ、スペイン語と切り替わる。
ハンガリー人の神父さまが、スペイン語を話したので、指摘すると「(迫害で)、穴を掘って、国境まで逃げて、スペイン国籍を持っている。ハンガリーへは、この間、帰って、みんなと会えた」、と話してくれた。
詩を書くのが好きで、中国のタオについての英語の論文も書いた、東洋的な雰囲気を持った目が水色の青い神父さま。

 日本人の司祭はイタリア語と英語ができることになっているが、日本語しか聞いたことがない。(笑)

 神父をやめて、結婚したベルギー人に「Mon père モン ペール(神父さまという意味)」と、呼びかけたので、「神父じゃない」ことをフランス語で四苦八苦しながら伝えると、“Oui ウイ” “Mais メ…” 彼は、結婚という素敵な選択をしたけど、心は神父だわ、というようなことを、日本語で確かめるように、彼女は言った。「人は変わらない。考え方は神父の時と同じよ」と言いたかったのかもしれない。
「いつまでも神父さまと言われたらいやじゃない?」と言ったら、
 くだんのベルギー人元神父が見かねて、「司牧、みなさんのお世話は続けています」としめた。

 カトリックの敷地で、とはいっても、クラブの部室、大学の構内で、はめを外し、酔いつぶれた1人を涅槃の釈迦として、後ろに守護霊として、トランクスを頭にかぶり、輪っかを作った指を下げた。
「お釈迦さまに守護霊はな~い!」のツッコミより、大変なことが発覚するのである!
全員集合で撮られた写真が、全員に配られた。よ~く見ると、はみ〇〇ではないか~。もちろん、酔いつぶれた方!
奥さんにバレたら、大変なことになる⁉
 現在、彼は、「みんなに喜んでもらう仕事がしたい」と、柔和な心からの笑顔で、わたしのような者にも心をこめて、優しく、話したのである。まるで、涅槃の釈迦のように後光がさしているようだ。もちろん僧侶を真似てではなく、スキンヘッド(本当にそうです)

 2人の男性の股間を後ろの人が両手で隠したポーズで、写真を撮る。何回もいろいろな場所で撮った。
横から見ていたわたしは分かったぞ~ 指を揃えて、股間を隠すポーズをしているだけで、本当に触ってはいないことを
本当に触ったら、まずいではないか~!

 (なんのためにするのだ~)の心の叫び。理由を教えてくれ〜!まだ解明されていない謎。
女性の反応を見てではない。悪ふざけか?
両手で前の二人のを隠したヤツは、AB型の誰が見ても好青年。
女子のツッコミに「オレのこと気になるの? 愛情を試してるの?」と冷静に返した。「好きだ~!」とじゃれついても、「気持ちは大変有難い。だが進展はない」と気を遣った返答。
 今は、冷静沈着、調停役のキャラを生かした仕事をされている。

 カトリックの敷地で、こんなことをして、天罰が降った話は聞いてない。
もう存在しないのは、神が滅ぼされたからか…ではなく、原因は神ではなく、人間の判断にあると、神父が明言している。
名残惜しさを、みなで味わうのである。
 はみ〇〇と男のを隠したヤツとでだ!
何が悲しくて、仲がいいんだ?
 これを書くと、スペイン語で手紙を書きたい時に非常に困るのだ。あいつらは翻訳の優秀なアプリだからである。

 ある修道院で飼われていた犬は、「ジョセフ」イエスさまのお父さんのヨセフのフランス語読みね。
地元の方が、「じょせつ(除雪)」と犬の名前を間違えるそうだ。確かに雪が降る地域…柴犬風の犬にフランス語の名前をつけるなんて。

 余韻を残しつつ…
さらばよ、あの学び舎、神学科よ!

〈完〉

 

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