自分の中にそんな力があるのだろうか…
自分のはたらきは、「思った通りにやっても周りに影響が及ばない範囲」…
向こうは、自分と関係なく、世界は回っている。
そう思っていました。
わたしは、熱血漢というより、温室育ちで、歩く先の石を取り除くように、守られて、育ちました。
自分で作り上げたお城、温室に逃げこんでいました。
人に対して、消極的。人間関係で、ペースを狂わらせられる、疲れることが嫌。わたしの元気がなくなるように感じ、苦手なことからは「でも」「だって」と、尻ごみする。
自分のやりたいことは、集中してでも納得がいくまでやるのに、
わたしの殻を揺さぶり、わたしが扉を開け、心を開くのを見守っていた人たちがいました。
支える側に立つ。
焦点を定める。
本来、最も重要視されるテーマより、別の問題、議論、不満にすり替わり、大して重要でもないのに、言い分が通らなく、劣勢で、いらだったり、やる気が失せたり、
人がいるところに、必ず、感情のやりとりが生じ、これに日々の時間、人生が費やされるのである。
それを取っ払って、本筋に、まっすぐ、全力を注げたらいい。
そして、それを通して、人との絆を結べ、全体に貢献できたらいい。
こういう前ふりになったが、
周りのテストジャンパーが、どう思っていたかは、ともかく、
高橋竜二さんは、テストジャンパーを「屈辱」とは捉えていなかったそうです。
高橋竜二さんを知る人から聞いた話です。
「年齢が若かったから、オリンピックには間に合わなかったんです。出られなかったのは、耳が悪いのとは関係ない」
「国内で実績がなく、ランキング順位が低かった。間に合わなかった。本人はオリンピックを目指していたが、周りの環境や条件が整わなく、その時は、間に合わなかった。だけど、その後、実力を出せなかった時があったが、また復帰して続けていますよ。」と。
(2014年に40歳で引退されたようですが)
『西方仁也と長野五輪テストジャンパー・メンバー25名の感動秘話とは?』
の記事を参考にさせていただきました。
「テストジャンパー」とは、競技前、競技中のジャンプ台の状況や安全を確認するために、飛躍を行うジャンパーのことです。
長野オリンピックでは、総勢25人のテストジャンパーが集められました。
西方仁也さんをはじめとする、
皆さん長野オリンピック出場をかけて戦い敗れた、男女混合のジャンパーたちです。
【テストジャンパー25名】
西方仁也・坂大徹・鈴木幸保・富井正樹・高沢公治・上野隆・梅崎慶大・西下和記・西森享平・池田義治・葛西賀子・岡村創太・大洞崇之・佐藤昌幸・上杉宏樹・吹田幸隆・東和広・千葉勝利・野呂田義一・桜井仁・高橋竜二・安崎直幹・仲村和博・伊藤直人・東輝
長野オリンピックでは、1回目の飛躍が終了し、日本は第4位でした。
その時、吹雪が激しくなり、競技は30分の中断になった。なかなか天候は回復しない。
1-3位のヨーロッパの各国は、試合の打ち切りを主張しました。
競技の再開は「ジュリー」と呼ばれる4人の最高責任者による「ジュリー会議」で決議するのだが、このメンバーがナント1位から4位までの上位国なのだ。オーストリアの委員は言う。「このまま中断になれば金メダルが確定したのに…」
このまま試合が打ち切られれば、金メダルどころか、日本のメダル獲得はありません。
天候により、飛躍続行か中止かを判断するためにも審判団らは、テストジャンパーらの結果を見て、継続するかしないかを決めることにしました。
残された道はただひとつ、テストジャンプで安全に、しかも好記録を出さない限り、競技続行は認められません。
「やらなきゃいけない、このままでは終われない。日本人として悔しかった」
そこから、テストジャンパー達25名の壮絶な戦いが始まります。
視界不良でほとんど前が見えない恐怖、しかし転倒するわけにはいかない。その中でいかに距離を出すか、安全を証明し、再開させるか?
西方仁也さんが考えた作戦は、雪が積もる前に助走路を固める。
前のテストジャンパーが着地を決めると、次のテストジャンパーたちが、間を置かずにスタート台に。前も見えない恐怖の中を矢継ぎ早に飛び立っていくテストジャンパーたち。
後の人が飛びやすい状況を作るのだ。
拍手も歓声もない。目の前の観客はこのとき何と戦っているのか知らなかった…
次第に吹雪は治まり、滑走路が固められて距離が出るようになった。高橋竜二さんは131mの大ジャンプ!
この後、大会続行で、131m以上飛んだのは、原田雅彦、岡部孝信選手の137ⅿだけだった。
「2回目を飛んでもらい、逆転してもらいたい!」という思いの中、テストジャンパーたちは、大飛行を決めました。
しかし、それでも継続を納得しないヨーロッパの各国は、実力が認められていた「西方仁也の結果が良ければ継続してもいい」という事になったそうです。
西方仁也さんも、もちろん長野オリンピック出場を目指していましたが、腰痛のため日本代表から外れました。
恐らく、長野オリンピックのスキージャンプで一番重いプレッシャーがかかったのは、西方仁也さんかもしれません。
西方仁也さんは語る。「今までは失敗しても自分で受け止めればよかった。何の記録にも残らないジャンプがいかに重いか。ここまでみんながつないでくれた、今度は自分がつなぐ番だ」
西方仁也さんは、テストジャンパーたち、そして日本代表、そして国民の思いをすべて背負い、テストジャンプに挑みます。
そして、123mのK点を超える大飛躍を成功させます。
そして競技の継続が決定し、日本は見事、金メダルを獲得しました。
この話を聞いて、私は「逆に天候が良く、2回目の継続は当たり前の状況」であれば、
もしかしたら日本の金メダルはなかったかもしれないと思いました。
第一回目の結果が悪く、天候も悪化。そんな時にテストジャンパーたちは、
「私たちが、日本代表のメダル獲得の可能性を作らなければ!」と皆、一丸となって飛びました。
そんな、テストジャンパーらを見て、日本代表選手達も「皆の思いを背負って、僕たちはここに立っている。みんなの努力を無駄にするわけにはいけない」と。
テレビ中継されることも、記録に残ることもないテストジャンパーたち。
テストジャンパーたちは語る。
「何で原田さんのときだけこんな状況なんだ」
原田雅彦さんは語る。
「天候のせいにはしない。皆の足をひっぱりたくない。実力だけじゃないんだ。運も味方につけなければ」
原田雅彦は西方仁也の紫のアンダーシャツを着ていた。手袋は同期の葛西紀明から借りたもの。
「お前達と一緒に飛ぶんだ」
まさに、皆で勝ち取った金メダル。
陰で支えた人々の力が、日本を金メダルに導いた。
スキージャンプを始めた時をふりかえって、高橋竜二さんは、こう言っています。
「少年からの少年時代は耳が聞こえないということに、他の人が理解してくれなかった。ますますミジメっていうか、孤独感が強くなっていった。でも、ジャンプをはじめてから周囲の人も理解してくれますよネ。心も何か開いていくような感じで…。「耳が聞こえないこと」を恐れないで、自分が他の人と同じと思って行動すれば、周囲の人も認めてくれるっていうか、わかってくれますよネ。」
担任だった先生が教えてくれた。
「卒業してからはっきり言ってたのは、『長野を目指してるんだ』ということでした」
全日本強化指定選手ではない。仕事をしながら、練習時間をやりくりする一般選手。
周りから、障がいを持ったジャンパーとして、注目されたが…
聞こえないと思う心が、障がい者を作り出す(を体現した存在となる。人の目にもそう映し出す)。
甘えと馴れ合い。手を差し伸べてもらうために過度に落ちこんだり。その印象が、いわゆる障がい者のイメージとなる。
「女は作られる(シモーヌ・ド・ボーヴォワール)女として生まれるのではない。女になるのだ」
その縛りを突き抜けて、飛んだ。
「もしも、お父さんがいなければ、ジャンプの基本が全然できなくて、宮の森や大倉山を飛べなかったと思うんです。
耳が聞こえないから凄いと騒いでいるんだけ自分としては耳が聞こえないことは別にして、ジャンプをやっているときは、他の選手たちと同じと思っているんですから」
長野オリンピックの前に長野県の小学生達から手紙が届き、その手紙に、高橋竜二さんはこんな言葉で返されたそうです。
「運命はあきらめるな」とお父さんが、そしてお母さんが僕に教えてくれた。
……思いは力だ。夢は必ず現実となる
……僕は今、生きている。みんな僕を見てくれたか
……挑戦なくして、成し遂げられた偉業はいまだかつて一つもない
著作権フリー
高橋竜二さんは、テストジャンパーの要請をこう受け止めていました。
障がい者は、支えられる側が多い。支え方が悪いと怒っている人もいる。
高橋竜二さんは、皆を支える側に立つ。皆の足の裏になる。テレビに映らないからって、そこで、くさっていたら、131mの結果は出ない。生き方。生き様。
想いが現実を作る。何を思ったかが大事。宮沢賢治の「透明な意志、巨きな力と熱である」
無名の高橋竜二選手が、優勝した大会で、
場内アナウンサーは、次の選手の名前を呼ばなければいけません。しかし、アナウンサーは放送ブースの中で感激に咽び泣き、次の選手名を暫く告げることが出来ませんでした。
その想いはシンクロする。共時性。響き合う。
音叉は、片方を叩くと、叩いたところだけでなく、反対側も振動し、音が鳴る。離れているのに。別個の、その範囲に収まるものではなく、
まるで、物見の合図の火が次々に灯るように、つながっている。
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12章24~25節)
全体の流れの中に寄与する名もなき勇者。挑戦する一人の勇者も全体に帰する。
「一人は全体のために。全体は一人のために」“All for One, One for All.”
一人一人が自分自身の役割を把握し、それを果たした上で全体のことを考える。
個々の自律の上に成り立つ、相互補助の関係で全力を出し切る。力を合わせる。
支えられる、してもらうよりは、支える、してさし上げる側に立つ。
場を作ってもらうのではなく、条件が整ったら、できるのではなく、場を作っていく。
置かれた場所で咲きなさい。
励ましてくれた人々を思い返しながら…