「八風吹不動(はっぷうふどう)」「八風吹けども動ぜず」は、寒山にある岩窟は八風、煩悩の風が吹いても、ものとしない。
「八風吹不動」に「万古人伝妙(ばんこじんでんみょう)」と続くと書かれていました。
「万古、人に妙を伝う」とは、永遠に、世の人に深い真理、道理を伝えるという意味です。妙とは、人から人へ、時代を超えて伝わる精神、祈り、責任、願い…
寒山はもともと地名(寒巌)であり、天台山、国清寺の周辺に隠棲した詩人の僧が自ら「寒山子」と名乗った号でもある。 唐代の伝説的な常識にとらわれない風狂(ふうきょう)な自由な僧だと伝えられている。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。その後もお変わりなく元気にお過ごしのことでしょうね!
昨年も自然災害やクマによる被害のニュースが多く流れました。今年の漢字も『熊』に決まりました。
こちら、京都近郊でも真冬並みの寒い日にも目撃情報がありました。できれば出会いたくはありません。食べ物があると冬眠しない熊も現れる様です。
今年こそは穏やかな年になることを願います。
自然災害や熊出没のニュースに触れながらも、おそれよりも祈り心を感じました。
八風とは何か
人の心を揺らし、迷いを生む8つの「風(誘惑、逆境)」のことです。
利(うるおい)の風:得すること、利益を得ること、自分にとって都合の良いこと(嬉しいこと)
衰(おとろえ)の風:損すること、不利益をこうむること、肉体的、精神的な衰え(不調)
毀(けなし)の風:陰で悪く言われること、不名誉(中傷)
誉(ほまれ)の風:陰でほめられること、誇り(名誉)
称(たたえ)の風:名声を得る、皆からほめられること(称賛)
譏(そしり)の風:非難される、面と向かって悪口を言われること(誹謗)
苦(くるしみ)の風:苦しいこと、逆境に遭うこと(苦痛)
楽(たのしみ)の風:楽しいこと、喜び、順調なとき(快楽)
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これらは、誰でも心を動かされやすいものばかり。
しかし禅では「誰もが日常で経験する、どのような風が吹き荒れても、動じない心の境地」を理想とします。
利(得る)/衰(失う)
誉・称(褒められる)/毀・譏(悪く言われる)
楽(楽しい)/苦(苦しい)
こうして見ると、「陰陽」の対(つい)になっています。
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人は何を「快」とするかは異なっても、苦手なこと、嫌なことを遠ざけ、自分にとって価値あるもの、良いものを引き寄せる感覚が誰でも基準となっている。
禅では、快、不快(苦)も、どちらも心を乱す煩悩と考えます。
良いこと(陽:利・誉・称・楽)は好ましいものであり、引き寄せようとするもの、でも、陽に浮かれても、油断や驕(おご)り、慢心で心は悩乱する。
悪いこと(陰:衰・毀・苦)は誰もが出来ることなら避けたいもの、でも陰に落ち込んでも、絶望、愚痴、不満で心は元気にならない。
だから、どちらも遠ざけず、どちらかに執着せず、中心に立つ自分軸、陰陽をすべて経験する、味わうこと。
「八風吹不動」は、寒山詩の一節であり、「八つの風が吹こうとも、心は岩窟のように動かない」巻き込まれたり、飛ばされたりせぬよう、一喜一憂せず、自分自身を見失わない、どっしりと揺らぐことのない、不動の心。外の風、煩悩の(利・衰・誉・毀・称・譏・苦・楽)に揺れない。
ただ、岩のように動じない重い心なのではなく、現実の重さをすべてを受けとめながら、じっと黙って受けとめる、重心を動かさない不動心。
寒山詩の精神は、茶道の「静中の動」「動中の静」と響き合います。
もしかすると、年賀状をくださった僧侶は、「今年は自分の心を守る年にしてほしい」という願いを込めたのかもしれない。
職場環境が良くても悪くても、新しい設備、人間関係が良いと快適、古い設備、不便な環境でも不満で心をいっぱいにしない。どんな環境でも、周りがざわついても、空気を読もうと静か過ぎても、自分の仕事の質を上げる。
上司や同僚の評価がどうであっても、褒められても調子に乗らない、無視されても落ち込まない。叱られても必要以上にがっかりしない。仕事がうまくいっても、浮かれず淡々と、失敗してトラブル続きの日でも、焦らず淡々と、忙しくても、暇でも、他人のペースに巻き込まれず、周囲の雑音に振り回されず、やるべきことを1つずつやっていけば、あとからついてくる…といった実践にふさわしい禅語を選んだのかな。
社会貢献に挑戦する為にも、ぶれない心を育んでいきます。皆様のご健康と多幸をお祈り致します。
合掌
禅語を体験としての理解、ぶれない心を鍛える修行だけではなく、「万古人伝妙」の体現者、先人や歴史から受け継いだ禅の精神、自ら深めてきた哲学、伝えてきた祈りと責任…

