私は、いじめていい理由も、いじめられていい理由もないと思う。そして、いじめられるのには理由があるという人たちがいるけど、そうではない。

 

 嫌われる理由はあっても、いじめられる理由は存在しない。つまりは、いじめられるという理由での落ち度が、いじめられている側の人間には全く存在しない。


 しかし現実にはいじめてやろうと心に思い実際にいじめる人間が、昨日もいたし、今日もいる。明日もいるだろう。



全体や集団といったものと、個性や個といったものとの関係は、非常に難しいと思う。


 “性格がいじめられることの要因だ”ということもしばしば聞かれるが、私の場合はどうだろう。


 私は、人口7000人の町から人口7万人の市へ引っ越してきて、転校してきて、それがきっかけで学校に行き始めた将に第1日目から、もういじめのターゲットに決まっていた。


 もうその日からいじめられ続けた。