第八章 「給食」って何?

 

これも、毎日行われていた暴力と同じで、日常のことだった。給食のメニューの中で、みんなが大好きな(僕も)おかずやデザート(プリンとか)は、絶対に僕が口にすることはなかった。どうしてかというと、強制的に持って行かれたからだ。相手はもちろんモリやハナクソやシゲ。給食の時間は先生も一緒に食べていた。けど、先生は見てみぬふりをしていた。シンジラレナイ………。

 みんなが大好きなおかずやデザートを僕が食べられない代わりに、みんなが嫌いなおかずとか牛乳は、どんどん僕の所へ持ってきて食べたり飲んだりした。モリやハナクソやシゲ以外の他の奴らも持ってきた。僕は好き嫌いがない方だったから、まだましだった。それでも、あんまり量が多いと嫌になった。特に牛乳が多くて嫌だった。一日に牛乳ビン5~6本ぐらいは飲んでいた。

僕は、それらのおかずや牛乳を決して味わって食べたり飲んだりしなかった。みんなが嫌いで、僕だけが好きなおかずというものもたまにはあったけど、それでも、味わって《食べる。飲む》ということは決してなかった。僕はそれらをただ単に、《胃の中で処理》していたのだ。僕の胃袋は、何の感情も持たない驚異的処理能力を備えた機械だった。

 これらの事柄だけじゃあない。そいつらは、僕の、僕のコッペパンの中に、鼻くそやタンを入れて、ションベンをしみこませて、それを無理やり僕に食べさせた。

「この、手に持っているコッペパンを食べないと、『殴る。蹴る。つねる』の仕打ちが僕を待っている」そう思うと、仕方なく食べていた。多分、味噌汁やスープとかの汁物にも、いろんな《モノ》が入っていたと思う。

「でもどうやって、パンにションベンをしみこませたんだ?」と思った。先生の目を盗んで………。あっと、パンはパンでも揚げパンの日は、鼻くそやタンを入れてションベンをしみこませたりはしなかった。というよりも、揚げパンはモリやハナクソやシゲに取られて、食べた事がなかった。

 初めのうちは、こんな汚いものを食べる時に、「オエッ」となった。でもそれがほとんど毎日続くと、慣れてきた。本当に、僕の鼻も舌も胃袋も感情がないと思う。そうじゃなきゃあんなもの食べられるはずがない。

 小学4年の後半ぐらいになると、友達も少ないながら何人かできた。けれども、この給食の時間の出来事で先生に告げ口してくれる友達は誰もいなかった。完全無視だった。それが、口では約束していないルールだ。僕が殴られたり蹴られたりしている時の鉄則と同じだ。

先生も多分見て知っていたのに、完全無視だった。その手に持っている、《鼻くそ、タン》サンドの《ションベンソースがけ》コッペパンよりも、汚らしい、汚らしい先生だった。

 

 

十四歳の時の私の思い

 さて、本来《給食》とは一体何だろう。国語辞典を引いてみる。

《学校で生徒に食事を与えること》だそうだ。

誰が与えるんだ?何の為に与えるんだ?わたしは給食代の元は取れているのか?そんなことをふと思った。

そうやって与えられる給食というものは、児童たちみんなに対して平等な質・量のはずなのに。第一鼻くそやタンやションベンは、決して食べ物じゃない。《平等な質》以前の問題だ。

そうやって与えられる給食というものを食べさせる義務が、先生にはあるはずなのに。まあ、「嫌いなピーマンはどうしても食べられない」とかいう問題は別にして。

 そんな汚い《モノ》たちを無理やり僕に食べさせていた、モリやハナクソやシゲや他の者たち。そんな汚い《モノ》たちをわたしが口にしている決定的瞬間を、ただ見ているだけだった、クラスの者たちと先生。拒絶する勇気もなかったわたし。これら全ての者が、《糞尿以下》だ。

 モリやハナクソやシゲ。彼らが未来において、飢えに苦しむことを願うばかりである。

 人は限界を超えると、どんな《モノ》でも食べることが出来るもんだ。