ずいぶん久しくここに書いてなかった。
ライブドアブログに行ったり、フェイスブックにはまってみたり。
氷点下の本日早朝、会社に向かい運転する車中で
エリッククラプトンを聞きながら、ふと思った。
ここには大切なことが
たくさん書いてあったなぁ、と。

なので再び、戻ってきました。

去年から今年、1月に思うこと多々あり。
今年、私は50歳になる予定です。
親父の寿命を超えられるだろうか、と少々不安に思う今日この頃。
なぜかというと
ずーっと腸の調子がイマイチだから。
親父は腸の病が発端でその後10年以上を
病院との往復に費やし
結局は派生した別の病で死んだ。
52歳で死にました。
あと2年、ひとつの大きな目標。

仕事の上で大きな変化を受け入れて、はや4年。
3年を過ぎて、当初思い描いていたことが実は
まったくといっていいほど、思い通りにならないってことがわかった。
そうなんだよそうなるよって言われてはいたが、反抗した。
でも、結局はそうなった。
最初からあきらめてそうなっていた、というよりは
やってみてそうなったんだなあと思う方が意味があると思いたい。

しかし、日に日に期待が失望に変わるのを目の当たりにするのはつらい。
今はだれも私の言うことなんかまともに聞いてないんじゃないかって
会議や集会や飲み会やスタジオや、飲み会においてすらそんな感じを持つ。
風を感じない、飛ばない凧だ。

「友がみな我よりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ」
妻はいませんが、そんな気分。

私の人生は振り返ってみると、妬みで成り立っている。
ひとから好かれる人が嫌い。
能力を見せびらかす(本人はそんな気は毛頭ないのかもしれない)ひとが嫌い。
一人称から会話し始めるひとが嫌い、「おれが~」とか
「おれにいわせれば~」とか。
私をないがしろにするひとが大っ嫌い。

鏡をみているようだ、村上春樹さんの「鏡」
再読できなくて、怖くてね。
私が春樹さんを好きになる根拠とも言える短編です。

うまくいかないときは、なにもうまくいかない。
なにを言っても、なにをしても。
ただそれらが通り過ぎるのを待つんだ。
待てなかったら、終わりにする?
終わりにしてしまえるなら、そうしたらいい。
始まりがあるものは必ず終わることに、なっている。
命を含め、終わりのない物事はない。

終わりまでの時間、不安がある。
収入の不安、家族とうまくやっていけるか、
母親の健康状態、息子の将来、
自分のカラダの衰え、精神のゆがみ、
仕事に向き合うモチベーション。

なんだかもう、終わった気分だ。

こんな気分を今まで何度味わっただろうか。
そのたびに深く酒を飲み続けて、そんな絶望の淵から
何度となく幸運にも戻って来れたのだが。

50年近く生きてきて、今おれは
こんなにも薄っぺらな人間に成り果てた。
今回の絶望は、少々手強いぞ。

息子について

世話をやいていると、だんだん過剰な期待を持ち始めます。
その期待はだいたい裏切られます。
親の勝手な思い込みだもん、そりゃそうなります。

なので、次から世話をやかないようにしてみました。
最低限、食うものは用意するけどそれを食べろとか、あまり言わないで出てきました。
丸一日、放ったらかしです。

時間ができるとさっきから、息子に電話したくなって仕方なく。
結局、心配性なんね~。

はあ、親がまるでダメです。


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