苦しんでいるのかもよくわからない。
ただ目を見開いて息をしているだけのようにも。
少しの変化を良くなる兆しのようにとらえてみても
そのピークはだんだんと弱まり、去っていく。
せめてなにか、サインでも、示してはくれないか。

尿とりパッドと下着の替えが足りなくなった、と
病院から連絡があり
近くの洋品店でけっこう高値のものを何枚か
どんどん買ってやるし代わりの何だって
持ってきてやるから、と
それはつまりはきっと、ずっと
生きててほしいから、なんだな。

心が読めれぱな。
思ったことが映像や文字になって具現化するような
システムを誰か開発してないかな。

ピクピク痙攣し始めたけど、少し落ち着いた。
たぶん、寝たのかな。
黄昏時がこうしていつまでも続くといいけどな。
永遠の黄昏。
突然だった。
喉に食べ物をつまらせたらしい、息が止まって意識がなくなったと病院から連絡があり、出社したばかりだったがそのままとって返した。
病室に着いたら先生と看護士さんらに取り囲まれて、人工呼吸の最中。
もうだめかもしれない、と先生から。
なにがなんだかわからないまま、ともかく側についててやるしかないわけで。
数時間して呼吸が落ち着いてきたようで、酸素チューブを口から喉奥まで入れられた状態で個室に移る。
二人の時間となる、どれだけ久しぶりなのか思い出せないくらい、二人きりになったことがなかった。

大きな病院では継続して入院が出来ないとなって、地元の病院に移ることになって、転院するときはまったく意識がないような感じだったが、翌日に見舞いに行くとキンメダイみたいに両目を見開いて馴染みの病院にいることがわかったらしく、嬉しいと声に出して言ったのだった。
その後ほかの看護士さんから、とてもよく喋るし手も動かせるし事前に聞いてた病状と違うんで驚いたと言われた。
夜中に心配だからオムツの状態を見に来てほしいだなんて頼んだりもしたそうだ。
それまでの状態からすると、えらい快復だった。
それが峠のてっぺんだったのか。
急落した。

虚ろな目で、苦しそうな息づかいで、命はまだそこにある。
呼び掛けても反応はなく、聞こえているのかもわからない。
聞こえてるんだと、側にいることがわかるはずだと、思いながら数時間ベッド脇で、手を握って微かな反応を待つ。
何十年も手なんか握ったことなかったのに。

仕事もうまくいかないし、消えてなくなりたい衝動に駆られることもしばしばな時に、いきなり訪れた身内の死への階段。
もう戻れない、じわじわと死んでいくのは間違いない。
闘病長かったからいつかこうなることは覚悟していたつもりだった。
現実はしかし思っていた通りにはいかないようだ。
まさかの動転、自分と、こんな状態の母と向き合えない自分がいる。
このまま死んでいいのかな、思いがグサグサ突き刺さる。
遠く微かに巨大な後悔の山が見えるような気がする。
母の死にゆく細胞が、オレの細胞とリンクしているような気がする。
死んでゆくのはオレも一緒だ。

せめてもう少し。
そんな気持ちになるとは思わなかった。
イベント最終日です。
お祭り男、躍進するところだが
三日目昨日は落ち込んだ。
営業部長が一日いてくれて接客してくれたので
出番もあまりなく。
綺麗な女性がたくさん来られて、それはそれは
目の保養になるのだが
やる気は起きず。

昨夜は主催側から懇親会のお誘いで
副市長や経済部部長も同席しての
言い出しっぺとして紹介されるも
空回る感じが常にするという。

なんでこんなにワクワクしないんだろ?