最近ほんとに涙もろくなった。
特に仕事が休みで1人で家にいる時、TVを見てて自分でも何でこんな事で泣けてしまうんだろう・・と思う。そして、亡くなった身内の人生を考える。次男の短かった人生。
再発し、2度目の移植後は本当に壮絶な合併症との闘いで死ぬ夢を見ると言っていました。そして『まだ死にたくない。今まで色んな我慢をして来た。まだやりたい事がたくさんある。』と。平均寿命の4分の1の人生しかなかった次男を思うと涙がとまらない。

一昨年、亡くなった父は終戦の年に両親を相次いで亡くし、兄たちは戦地から戻っていなかった。当時12歳だった父は弟と2人きりになった。田舎の小屋のような所で2人でいたが食べる物も無くなり呆然と夕方に立ちつくしていると、遠くから遠縁のお姉さんが父の姿を見て、割烹着に食べ物を包み抱えて走って来たそうだ。黙ってその食べ物を父に渡し帰って行ったと。父は『あの日の事は忘れない』と言っていた。それから兄たちは戻って来たが、それぞれが生きていくのに精一杯の時代。学校も行けなかった父と弟は、それぞれ住み込みで働き生きて来た。本当に頼る人などいなかったのに、よく生きて来たなぁと思う。
父はとても身体的にはキツい仕事を定年まで続け母と共に、私と妹を不自由なく育ててくれた。

父の弟は母親の事も記憶にないくらいの歳で両親を失った。そのせいか、結婚、浮気、離婚を繰り返した。今となっては母性を求めていたんだろうと思う。最後の奥さんと電話で話したが年取ってから一緒になり2人の間には子供はいなかったのに奥さんの事を『お母さん』と呼んでいたのを聞き、やはり母親を求めたので結婚生活が長続きしなかったのだと確信した。

亡くなった人の人生を思うと切なくて涙もろくなってしまう。
夫に話すと『ラジオで誰かが言ってたけど歳を取って涙もろくなるのは
、それまで色んな経験をして来たからだって。若い人より経験を積み重ねて来たからって言ってたよ』と言ってました。

今日は阪神淡路大震災から25年。
6434人の方が亡くなり3人が行方不明。
あの日、神戸市内に住んでいながら被害が少なく、無事だった私たち家族。家族で1番若かった次男が、この15年後に召されるなんて思いもしませんでした。
今日は、TVの映像で涙が流れっぱなしです。亡くなった方々、行方不明の方々の人生、そのご家族の人生に思いを馳せ祈ります。