平成8年、私たち夫婦と私の両親、それぞれのマンションを売却したものを頭金に家を新築し同居を始めました。私が二人姉妹の長女ということで夫は結婚前に了承済みでした。
その頃は私は専業主婦でしたが、夫の仕事があまり思わしくなくなってきて、引っ越して3年ほど経った頃にパートで働き始めました。
夫とは、時々ケンカもするけど、2度くらい、子供たちを、おじいちゃん、おばあちゃんにお願いして二人で一泊二日で旅行に行ったりもしていました。私の誕生日や結婚記念日、クリスマスには夫はいつも内緒でプレゼントを用意してくれていました。節目の結婚記念日にはダイヤの指輪、サファイアの指輪、私が欲しがっていたシンプルな十字架のペンダントに記念日の日付やイニシャルを彫ってプレゼントしてくれました。
子供たちが成長し思春期になって夜も遅くまで起きているようになり、また親とも同居で何となく性生活は遠のいて行きました。人にもよると思いますが、パートと家事で結構疲れていた私は無くても平気でした。私は男性は夫しか知らないし、友人と性生活について話すこともなかったので40代半ばになって仕事で疲れていると男性もそんなものかなぁと特に不審にも思っていませんでした。
普段の生活では夫との会話も多く、冗談を言い合ったりふざけあったり、何も変わった様子もありませんでした。
そんな平凡な日々の中、高校生の次男が血液のガンになってしまいました。
2005年の春でした。
検査が進む毎に完治しにくいタイプと解り、骨髄移植が必要と診断されました。家族では骨髄のタイプが合わないので骨髄バンクに登録し、次男の闘病生活が始まりました。抗がん剤の副作用に苦しみ、また死の恐怖に苦しむ次男本人が一番辛いのはもちろんですが、家族にも辛い闘いの日々でした。私は病院に泊まれる日は泊まり込みで看病しました。
その頃は私は専業主婦でしたが、夫の仕事があまり思わしくなくなってきて、引っ越して3年ほど経った頃にパートで働き始めました。
夫とは、時々ケンカもするけど、2度くらい、子供たちを、おじいちゃん、おばあちゃんにお願いして二人で一泊二日で旅行に行ったりもしていました。私の誕生日や結婚記念日、クリスマスには夫はいつも内緒でプレゼントを用意してくれていました。節目の結婚記念日にはダイヤの指輪、サファイアの指輪、私が欲しがっていたシンプルな十字架のペンダントに記念日の日付やイニシャルを彫ってプレゼントしてくれました。
子供たちが成長し思春期になって夜も遅くまで起きているようになり、また親とも同居で何となく性生活は遠のいて行きました。人にもよると思いますが、パートと家事で結構疲れていた私は無くても平気でした。私は男性は夫しか知らないし、友人と性生活について話すこともなかったので40代半ばになって仕事で疲れていると男性もそんなものかなぁと特に不審にも思っていませんでした。
普段の生活では夫との会話も多く、冗談を言い合ったりふざけあったり、何も変わった様子もありませんでした。
そんな平凡な日々の中、高校生の次男が血液のガンになってしまいました。
2005年の春でした。
検査が進む毎に完治しにくいタイプと解り、骨髄移植が必要と診断されました。家族では骨髄のタイプが合わないので骨髄バンクに登録し、次男の闘病生活が始まりました。抗がん剤の副作用に苦しみ、また死の恐怖に苦しむ次男本人が一番辛いのはもちろんですが、家族にも辛い闘いの日々でした。私は病院に泊まれる日は泊まり込みで看病しました。