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 「骨董亭如庵」第22回です。今回は「三国志」にまつわるお話しです。「三国志」といえば、映画の「レッドクリフ」をご覧になった方が多いと思います。有名な赤壁の戦いを映画化したものです。また、中国のCCTVがテレビドラマ化したものをご覧になった方も多いと思います。
 私が、最初に「三国志」を知ったのは、吉川英治が書いた「三国志」でした。最初に読んだのは中学時代だったかと思いますが、関羽や張飛や軍師・諸葛孔明の活躍ぶりに夢中になって読んだものです。一方で、日本史で古代日本のことを習った際に「魏志倭人伝」に倭の国のことがでてきますが、あほな話で「三国志」の魏の歴史、つまり魏志に日本のことが記録されているということが中々、理解できませんでした。つまり、魏の曹操や蜀の劉備などが活躍していたのと同じ時代の日本では、邪馬台国で、その所在さえわからないという、そのギャップと錯覚が生んだものでした。
 その一方で吉川英治の「三国志」は、「三国志演義」という中国の小説をもとに書かれた小説であり、実際の歴史的事実とは、かなり違うこと、また、宮城谷昌光さんの「三国志」のほうが、より歴史的事実に近いことが、ようやくわかったのは、これまたあほな話で40歳を過ぎたころでした。
 つまり、歴史小説と時代小説は違うということです。しかし、小説としての面白さは別です。吉川「三国志」はいわば血わき肉おどる大スペクタクル、一方で宮城谷「三国志」は、人間のどうしようもない様を描いた心理小説的な面白さがあるかと思います。別の言い方をすれば、吉川「三国志」はハリウッド的な勧善懲悪のわかりやすさがあると思いますし、一方の宮城谷「三国志」は、人間などは矛盾だらけで、大悪人もいないし、大善人もいない、あるいはどの角度でら、その人を評価するかで、その人物がどう見えてくるかは変わるといった読み方・楽しみ方がだきると思います。
 やや、理屈っぽくなりましたが、京都に住んでいるときに「関羽像」を手に入れました。木彫りで、高さ30センチほどでしょうか、関羽の特徴である赤ら顔と見事な長い鬚が見事です。京都で知り合った若者たちが、上京の町家を改造して、様々なイベントを開催していたのですが、あるとき、「今度の週末に骨董市をやります。いらっしゃいませんか」と声をかけてくださいました。ところが、その週末は雪が降りました。結構な積雪量です。自転車でいくわけにもいかず、長靴をはいて、歩いていきました。1時間ほどかかったでしょうか。改造した町家ですから、小規模なインドアの骨董市という趣きです。並べられた骨董は、若者たちのネットワークで集められたものです。いずれも立派なものばかりでしたが、私の目についたのは「関羽像」でした。お値段も、それほどではありませんでした。「三国志」マニアの私は、その「関羽像」を手に入れると、雪道を歩いて帰りました。そんな思い出のある「関羽像」です。
 では、その「関羽像」は何なのか。たぶん、中国のどこかの村か町の「関帝廟」に祀られていたものかと思います。「関帝廟」というと、横浜の中華街に立派な「関帝廟」があります。「関帝廟」は商売の神様だといいますが、なぜ、あの関羽が商売の神様になったのかと疑問に思い、調べたところ、関羽の出身地が塩の名産地だったことに由来するのだといいます。つまり、人間が生きていくためには、塩は必需品です。大事なものです。一方で「三国志演義」に描かれる関羽は、人格者であり、もちろん戦にも強い、いわば完璧な人物として描かれています。そこで、塩の生産地の出身で完璧な人物としての関羽が商売の神様になったということのようです。
 いわばフィクションとしての関羽が一人歩きして、「関帝廟」につながっていくという面白さでもありますが、それは人間社会の恐さでもあります。「関羽座像」と私は手元にある「関羽像」を名付けていますが、以上、書いてきたようなことを教えてくれているようです。

如庵