10月25日、日曜日、朝5時すぎに目がさめました。25日なので京都の天神さんへ行くと書きましたが、これは冗談。北風が寒い朝です。都心では「木枯らし1号」が深夜にふいたとのこと、今年もあと2か月と1週間ですね。
まずは富岡八幡宮の骨董市を訪ねました。7時を過ぎていましたが、ここは夜明けととともに始まりますので、ほとんどの業者さんが、すでに準備を終えています。鳥居のところの業者さんをのぞきました。ここでは、以前に中国の青銅器を譲ってもらいました。この業者さん、あまり愛想はよくないのですが(すみません)、並べてあるものはいい物、しぶい物が多いと前から思っていました。青銅器を譲ってもらったときにも、「これは後世に似せて作れられた物です。だから値段は〇〇です」と正直でした。私が青銅器に関心があるというと、毎週、いくつか持ってきてくれます。うれしいことです。また、骨董仲間で土もののぐい呑みが好きなAさんご推薦の業者さんです。焼物も数多く並べています。名刺をいただきましたが、Iさんというお名前だと知りました。「ちょっと見ていいですか?」とIさんに断り、「鼎」の青銅器を見ました。薄手の青銅器で、1か所、穴が開いています。底の部分に漢字の前身ともいうべき象形文字が彫られています。「鼎」を見ていると、Iさんから、中国の唐時代の合子を勧められました。蓋がついているのはなかなかないとのことです。共箱つきです。ここは、まさに「鼎の軽重を問われる」ところです。同じような「鼎」は、京都時代に一つ、手にいれました。これも底の部分が1か所、穴があいています。Iさんのところの「鼎」に比べて、厚手にできています。ただし、怪獣を思わせる文様は同じです。Iさんに、「あとできます」と断り、別の業者さんのところをのぞきます。
会主さんのところに張り紙がしてあり、「11月は七五三のため、休止」とのことです。また、11月は酉の市の行事があるので、富岡の骨董市は、10月は今日が最後、再開は12月になるようです。「木枯らし1号」が吹いたことも含めて、あらためて年末が近づいてきていることを痛感します。つい、2週間ほど前までは、早朝でもTシャツに半袖のシャツでもすむ気温でした。今朝は、シャツの上に上着を重ね着しています。
織部や志野など土ものの国焼を置いているFさんのところを訪ねました。すると、骨董仲間のAさんから聞いている業者のSさんがやってきました。Sさんは、こうした骨董市をこまめに回っては、面白いものを見つけ、別の骨董業者に転売するという仕事をなさっているとのこと、また、かなりの目利きのようです。面白いものがあると、即決です。値切るという野暮なこともしません。外見は大入道のような方です。勝手なことを言ってすみません、Sさん。先週の大江戸骨董市では、T師匠のところで、骨董仲間のAさんやMさん、そしてSさんを交えて、骨董談義に花が咲きましたが、私のようなアマチュアと違って、T師匠やSさんは目の付け所が違いますし、値付けの極意のようなことも教えてくれます。お二人はプロですから、当たり前といえば当たり前ですが、そうしたことを教えてくれる方は大切にしたいので、Sさんにご挨拶します。Sさんも笑顔で返事してくれました。あっという間にいくつかの焼物を購入されていました。そうこうするうちに、Fさんの昔からのお客さんがやってきました。それを潮にFさんのところを去りました。
さて、鳥居のところに戻ってきました。Iさんからは「鼎」と合子の両方を譲っていただくことにしました。唐時代の合子は端正な丸い形が魅力です。中国の歴史はおもしろいもので、古代のほうが、人物に個性があるようにか感じます。項羽や劉邦、「三国志」の面々、歴史家ともいえる司馬遷などなど、だから小説の題材にもなるのでしょう。骨董でも、時代が下がってくると、完璧すぎて、面白いと思いません。あるいは、輸出用に作られたいわば「製品」だからでしょうか。それに比べて、青銅器は形は様々ですし、文様も奇々怪々です。のちには、青銅器の形を模した焼物もでてきますし、お茶の世界では、花活けに、「爵」という三本足の酒器を模したものも出てきています。一方の、唐時代の合子は、丸い端正なフォルムが素晴らしい。また、元の持ち主の方が大切にしていたようで、共箱には「唐 仏器 合子」と記されています。
9時すぎに、富岡八幡宮を出て、靖国神社の骨董市ものぞきました。イチョウ並木に沿って、会場があるために、この時期は銀杏が落ちてきて、においを発散させています。銀杏は食べるのにはいいですが、あのにおいばかりは何ともなりませんね。
さて、まず目にはいったのは松永耳庵ゆかりの抹茶茶碗です。箱には、彼の直筆で、その由来が書いてあります。業者さんに、参考までに、お値段を聞いてみると、やはりいいお値段です。ただし、もしかしたら、店を構えた茶道具屋さんのつける値段よりは安いのかもしれません。松永耳庵といえば、「電力の鬼」といわれ、今に残る肖像写真を見ても、あまりお付き合いしたくない容貌ですが、この抹茶茶碗は小ぶりで、ラブリーな印象です。耳庵のイメージと違うのが面白いと思いました。老年の耳庵は埼玉の所沢に茶室を作って、お茶を楽しんだそうですが、そのころ、耳庵にかわいがられた方の話では、好々爺だったそうです。アメリカのハードボイルド小説で、「強くなければ生きていけない。優しくなければ、生きる資格がない」という名文句がありますが、耳庵さんも、仕事では、あるいは現役時代は厳しかったのでしょうが、引退後は、元々の優しい性格にもどったもかもしれません。
銀杏を掃除しているおばさまの業者がいました。お茶道具が並べられています。利休さんや織部さんのお話しで盛り上がりました。茶道をやってらっしゃるのかと聞けば、お茶屋さん、といっても京都・祇園のお茶屋さんでなく、お茶の葉を売るほうのお茶屋さんが本業だとのことでした。
また、クレタ島の小壺や、インドの8世紀から10世紀ごろのヒンドゥー教の影響を受ける前、しかもガンダーラ風でもない石を丹念に彫った仏像など、面白いものもありましたが、本日は、中国の青銅器と、唐時代の端正なフォルムの合子で大満足しました。
さて、この後は、目白コレクションを再訪しましょうか・・・
如庵