michael-thのブログ -82ページ目

michael-thのブログ

ブログの説明を入力します。


 東京地方は先週末、「木枯らし1号」が吹き、朝晩は肌寒いというよりも、寒くなってきました。
 さて、昨日は、午後にでも目白コレクションを再訪しようかと思いましたが、朝早くから青銅器や中国・唐時代の合子を手にいれてしまい、目白まででかける気力はありませんでした。情けない。

 さて、今夜はお茶の席のメインになる掛物の話をしましょうか。この夏に茶道具を整理する中で、様々な軸物も出てきました、お茶と縁の深い大徳寺の高僧たちの数多くの一行書は話しているときりがないので、私が面白いと思った書について、お話しましょう。
 まずは、大田垣蓮月の書が2つです。ひとつは「梅の香よ」までは読めますが、あとは達筆すぎて読めません。蓮月さん77歳の署名があります。扇面幅という表装でしょうか、扇型に表装されています。もうひとつ蓮月さんの書がありましたが、ちょいと今は見当たりません。蓮月さんは寛政3(1791)年に生まれ、明治8(1875)年に死去といいますから、83,84歳と長生きされた方なのですね。その生涯は、歴史学者の磯田道史さんの「無私の日本人」に詳しいので、是非、読んでいただきたのですが、美人に生まれたが故に、家族的な幸福にめぐまれなかったようです。また、彼女は蓮月焼という焼物も数多く残しています。蓮月焼があまりに人気になり、贋物が数多く出回るようになったとき、ある人が忠告したところ、「私は別にかまいません」といったとか言わなかったとか。また、求められるままに書を書いたので、結構、蓮月さんの書も焼物も今に残っています。京都の骨董屋さんでは煎茶茶話の焼物をみましたし、また、この1か月ほどの間に東京の骨董市で蓮月焼と短冊を見ました。彼女の書の特徴は、まろやかな文字と筆使いでしょう。一時期、若い女性の間にはやった丸文字を思わせます。また、磯田さんのご著書を読んで知ったのは、晩年に富岡鉄斎を育てたということでした。鉄斎さんの作品は、京都では様々なところで、出会います。彼もまた無欲な人だったようです。欲深な私は、なかなか、お二人の心境に至らないようです。才能がないからでしょうね。
 さて、続いては、達磨像です。達磨像は禅寺には欠かせないものです。この達磨像もなかなか迫力があります。なんといっても達磨像は目力です。そして注目したのは、壺型印が押されていることです。その壺の中に作者名が書いてあるようですが、読めません。また、壺型印というのは狩野永徳の活躍した時代、つまり安土桃山時代に好まれたと聞いていますが、それ以上はよくわかりません。
 続いては、観音様の座像です。こちらは狩野法眼守信の署名が書いてあります。狩野法眼守信といえば、鍛冶橋狩野の祖・狩野探誘ではないですか。法眼の位を得て、探幽斎と名乗ったといいます。であれば、狩野探幽と署名すればいいものを位と通称の守信で狩野法眼守信と署名したのはなぜなのでしょうか。観音さんのお顔はややユーモラスな感じで描かれています。
 狩野つながりでいうと、京都に残った京狩野の9代目の狩野永岳(1790~1867)の署名のある三羽の雁の描いた軸もあります。さらに、そこに歌が詠まれていますが、お手上げで読めません。日本人でありながら、わずか100年、200年前の方たちが書かれた文字がよめないというのは恥ずかしいことです。一時期、中野三敏さんの「和本のすすめ」を読み、古文書入門の本で勉強しようとしたのですが、途中で投げ出しました。中野さんに言わせると、ところどころ読めるところがあれば、あとは推測することで、1年間ほど努力すれば読めるようになるということでしたが、1年間の忍耐が足りなかったようです。中野先生、もう一度、努力してみます。
 さて、その一方で、骨董の世界では、書ほど贋物が多いものはないといいます。9割がたは贋物だといいます。しかし、贋物かどうかは、例えば小林秀雄さんが一休さんだったか良寛さんだったかの書を手に入れ、ホクホクして、骨董仲間に自慢気に見せたところ、「これはいけないね」と言われ、怒り心頭の小林先生、その軸を日本刀でずたずたに切り裂いたという有名な話があります。小林秀雄さんのような大先達でさえ、そうです。私ごときが贋物うんぬんを言うのは、早すぎるかと思います。また、このブログでいつも書いているように本物・贋物はあまり気にしないのが私の流儀です。というのは傲慢というか、屁のツッパリでしょうかね。

 されでは、また。

如庵