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 さて、まずはお詫びからです。昨日の第37回のブログで、薮内家の茶室「燕庵」を国宝と記述しましたが、誤りでした。私の好きな古田織部好みの茶室だそうですが、国宝ではありません。国宝に指定されている茶室は3つあるそうです。まずは京都の大山崎町にある利休の「待庵」、大徳寺の塔頭、龍光院の「蜜庵」、そして織田有楽斎の「如庵」でした。訂正して、お詫びします。
 もうひとつ、訂正です。東京・代々木の日本刀剣協会は正しくは「日本美術刀剣保存協会」でした。訂正して、こちらもお詫びします。あやふやな知識で、ものを書くと、こういうことが起きます。すみません。

 さて、今夜は箱根美術館のお話しでもしましょうか。我が家では、正月は家で過ごさずに、箱根の温泉旅館か、山梨の北杜市にある温泉のある保養所で過ごすことにしています。
 いつの年の正月だったか、箱根・強羅の温泉に泊まりました。温泉に入ってばかりでも仕方がないので、散歩に出ました。そのころは、すでに骨董病にはかかっていましたが、茶道具関係はとんと縁がありませんでした。散歩していると、箱根美術館の看板があったので、時間つぶしにと思って、入館してみました。
 まず、目に入ったのは九谷焼の徳田八十吉の丸い壺でした。そのころは、まだ、たいした知識もなかったのですが、その丸い形と色のすばらしさに、これは焼物なのだろうかと思いました。宝石を思わせる色の照り生えには驚きました。また、徳田八十吉という名前はなんとなく知っていましたが、九谷焼の作家とは知りませんでした。あとで調べると、初代は比較的、九谷焼の伝統にのっとった焼物を作っていたようです。二代目で多少の変化が生まれ、三代目の徳田八十吉が大変革を起こします。この焼物は三代目の作品でした。あの色遣いは素晴らしいと思いますし、その色を出すための苦労は並み大抵ではなかったろうと思います。様々な試行錯誤の末にあの色に到達したのでしょう。化学的知識もあったのではないかと思います。
 さて、さらに驚いたのは、織部好みの皿でした。その模様は緑を基調としていますので、素人同然の私でも、織部とわかりましたし、素人が見ても、これは織部好みだなとか、楽茶碗だなとわかるというのは大切なことだと思います。それは一種のブランドだからです。織部の皿でさらに驚いたのは、下の部分を見ると、脚が3か所についていたことです。皿に足をつけるという発想が面白いとおもったのです。
 その他には緒方光琳の布袋様かなにかと描いた掛け軸もあったかと思います。
 さて、2階にあがってみると、高さ2メートルはあろうかという大壺の群れでした。備前や常滑などのものだったと思いますが、その大きさに驚くとともに、単なる壺というのを超えた人格さえ感じました。時代は鎌倉から室町あたりのものでしょう。私たちは恐竜の骨格をみたりすると、かつて、地球上にこんな巨大な生き物が闊歩していたのかと驚きますが、その驚きに等しいものを感じました。
 館内の見学を終えて、庭に出てみました。すると、そこには益田鈍翁が作った茶室がありました。今では、「白雲山荘」と名付けられているようですが、かつては、小田原だったかにあった鈍翁の別荘の茶室を移築したもののようです。この辺の記憶も曖昧ですので、記憶違いでしたら、ご免なさい。
 
 まあ、期待もせずに入った分、期待以上の素晴らしいものが見られたために、余計に感動したのかもしれませんね。そういうことはしばしばありますよね。反対に期待して入ると、幻滅が大きいこともあります。
 つまり、無心でモノを見ること、向き合うことが大切なのかもしれません。しかし、骨董にはまると、この無心という気持ちをもつことが難しくなります。余計な知識も増えてきますから、モノを素直に見られなくなるのです。

 と、なにやら、人生訓のようなことを無意味に書いているようです。

 美術館には必ずスーベニア・コーナーのようなものがあり、そこをのぞくもの楽しいものです。
箱根美術館にもありました。厚紙の箱にはいった美濃焼の黒楽茶碗を買いました。窯印はありますが、稽古用の抹茶茶碗です。私は、その黒楽茶碗の「強羅黒」と銘をつけています。

如庵