昨日のブログで備後屋さんの場所を牛込河田町と言いましたが、若松河田町の間違いでした。備後屋さん、ご免なさい。
さて、今夜はとりとめのない話をそのままお話ししましょう。
民芸の美を唱えた柳宗悦さんですが、その息子さんは柳宗理さんです。ある骨董市で、ほとんどタダ同然でゆずってもらったフォークやナイフが宗理さんのデザインでした。ダイニングの収納スペースにいれてありますが、実際には使用していません。勿体ないことです。
「宗」で思い出したのですが、茶名は必ず「宗」がつきます。たとえば宗旦、三千家の家元は必ず「宗」から始まります。安土桃山時代の堺の豪商たちも、津田宗及とか宗達といった具合です。
「宗」には、おおもととか根本とか言った意味があるようですが、名前は単なる記号ではありません。命名者には、何らかの思いがあるはずです。茶人の歴史などを知るうちに、素朴な疑問をもちました。
今年初めでしたか、インダストリアル・デザイナーの栄久庵憲司さんが亡くなりました。キッコーマンの卓上醤油さしをデザインした方です。私の記憶違いかもれませんが、この醤油さしは、ニューヨークもMOMAに展示してあるとか。栄久庵さん死去のニュースを聞いた日の会社帰りに近所のスーパーマーケットに立ち寄ったら、置いてありました。500円でおつりが来たか、消費税込みで500円を超えたか、そんな値段でした。
宗理さんは1915年生まれといいますから、大正4年生まれ。栄久庵さんは1928年生まれ、昭和4年生まれ。宗理さんは、ドイツのバウハウスの影響でデザインに関心をもったといいます。一方の栄久庵さんは、幼いころをハワイで過ごしています。また、宗理さんは太平洋戦争中に陸軍の報道班員として、フィリピンに行っています。栄久庵さんはハワイから戻った後、江田島兵学校に入学、そこで広島の原爆の惨禍を目にしています。実家がお寺さんで僧侶になろうとしたりもしたようですが、東京芸大に入り、工業デザイナーとなりました。この年代の人たちを考えると、戦争体験は抜きにしてかんがえれませんし、ある意味では、大正生まれの宗理さんに影響を与えたバウハウス、私ごときにバウハウスを論じる能力はありませんが、大正の先進性を感じます。その一方では、太平洋戦争で亡くなった世代は大正2桁生まれの方が多いといいます。つまりは、太平洋戦争がはじまるころに、自ら軍人になろうとしたのか、徴兵かは別としても、20代で体力的には、一番、充実していた世代ということでしょうか。
こんなとんでもない中身のない文章を書いてしまったのも、まもなくサッカーW杯アジア地区2次予選で、この前、ホームで0対0のドローに終わった日本対シンガポールが、まもなくキックオフだからです。今回はアウェイ、どんなゲームになるのやら、そちらに気をとられてしまったせいです。お許しあれ。
如庵