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 今朝のニュースで驚いたのは、原節子さんが95歳で大往生をとげていたことでした。日本の女優で誰が好きかと聞かれたら、私は迷いなく「原節子」と答えます。私とは30歳以上の年の差がありますので、私の両親とほぼ同世代になり、原さんと同時代を過ごしたとはいえませんが、原節子さんの映画を見たときのは、こんなに素敵な女性が日本にもいるのかと思いました。最初に見たのは私が20代のころかと思います。「晩春」「麦秋」などの鎌倉を舞台にした小津監督の作品でした。その頃は、設定がプチブル風(今や死語でしょうか)で反発を覚えたものです。私が若かったということでしょう。私自身、両親を亡くしたり、家族を持ったり、社会人として経験を積む中で、「東京物語」を見たときは、衝撃でした。まさに故郷を捨て、両親を捨てた私のことを言われているようでした。
 42歳で映画界を去り、世間には全く出なかったという潔さは驚くべきものです。原さんの評伝なども何冊か読みました。今は、様々な俳優さんやタレントさんがいますが、いかに素顔をさらすかを競っているようです。このことろ、大物俳優の皆さんの訃報が相次ぎますが、本当の意味での「最後の俳優」が亡くなったと思います。また、原さんの経歴を見ると、一般市民の娯楽として映画とテレビが逆転していく時代に、原さんは映画界を去りました。あるいは小津監督が亡くなった翌年に原さんは引退しますが、それは巷間、いわれるようなものでなく、映画という文化を支える同志を亡くしたという挫折感だったのではないでしょうか。また、私の妄想ですが、原さんはテレビという新しいメディアに否定的・懐疑的だったのではないでしょうか。

 さて、気分を変えて、今夜は醤油にまつわる容器の話をしましょう。いつかのブログで「コンプラ瓶」のお話しをしましたが、わが手元には、「コンプラ瓶」の末裔ともいうべき、陶磁器の醤油瓶が2本あります。1本は、丸い形と細長い首がキュートなものです。「商標 富士、日本醤油 JAPAN SHOYU」と書かれています。もう一本は白い徳利のような形で、赤線がひかれ「japan soyu」と書かれていますが、そのアルファベットの描き方に遊び心が感じられます。前者は、第一次世界大戦で日本が獲得した南洋の信託統治領に住む日本人向けに輸出した醤油瓶だと譲ってくれた業物の方が言っていました。後者はもしかして京焼の珍品かもと業者の方がチラッと言っていました。
 醤油はご承知のように、soy source=大豆ソースです。シェアではキッコーマンが第1位、第2位はヤマサ醤油です。私の知り合いで、ヤマサ醤油の熱烈なファンがいます。その理由はヤマサ醤油の創業者が「稲むらの火」で知られる浜口儀兵衛さんだからです。浜口さんの本当に偉いところすごいところは、私財を投げ出して津波を防ぐ堤防を築いたことでしょう。
 話がいつものことながらそれました。醤油の容器の話でした。1400年代の室町・戦国時代に容器が誕生します。陶磁器でした。1500年代の安土桃山時代に樽が発明されます。江戸期は陶磁器と樽の2大勢力が容器として使われました。その時期のトップスターが「コンプラ瓶」だったようです。明治に入り、醤油容器は突如、多様化します。陶磁器と樽に加え、ガラス容器が勢力を持ち出します。樽は頑張りますが、一番、没落の兆しを見せるのが陶磁器です。私の手もとにある2本の陶磁器の容器は「最後のあだ花」なのかもしれません。大正、昭和に入るとガラスに加え、缶容器、さらに樹脂容器が登場します。いつかのブログで書いた500円でおつりがくる工業デザイナーの栄久庵さんデザインのキッコーマンの容器は、その意味では、わが手元の陶磁器容器とは材料は異なるものの、その末裔なのかもしれません。平成も27年もたった今は、ガラス容器、缶、樹脂容器が3大勢力で、樽はたぶん、材料が手にはいならなくなったせいでしょうか、絶滅しているようです。一方、わが愛する陶磁器容器も絶滅危惧種になっています。せいぜいが贈答用として生き延びているにしかすぎないようです。
 また、江戸時代にオランダ東インド会社の手でヨーロッパに輸出されていたのは知っていましたが、今回、驚いたのはフランスのルイ14世が醤油が好きだったということでした。また、フランスでは20世紀初めの時期にアールヌーヴォーやアールデコのブームの中で、わが手元にある醤油瓶の前者の丸い形がもてはやされたそうです。確かに、李朝の青味をおびた白磁と共通する丸味のキュートさがあります。
 kawaii=かわいいは今にはじまったものではないのかもしれません。そんなことを富士印の日本醤油の小瓶の容器は言っているようにも妄想したりします。

如庵