ほぼ1週間ぶりのブログです。
司馬遼太郎さんの「街道をゆく」を再読していたところ、1970年台半ばに司馬さんが中国山地を旅した「砂鉄の道」に興味深い記述がありました。「製鉄はまぎれもなく朝鮮半島からきたものであろう」という文章です。
私は長年、「高句麗の鉄馬」を求めていました。先月、骨董市で見つけ、業者の方から譲ってもらいました。高句麗は今の中国東北部から北朝鮮あたりに紀元前から西暦660年代まで存在しました。日本でいえば弥生時代から天智天皇の時代、つまり平城京遷都以前の大和朝廷時代のころまで続いたツングース系の古代国家です。
高句麗では、鉄馬をどうしたかというと、神様への捧げものとしたようです。高慶秀という方の「韓国における祭祀遺跡・祭祀関連遺物」~沖ノ島祭祀の位置づけのための比較検討資料~という論文によれば、古代の朝鮮半島では、馬は戦争、交通手段、狩猟などに役立つ動物として重要なものだとされていたこと。また、中国の「易経」の八卦の中では乾卦の象徴、つまり天を意味する動物だとされ、神聖なものだとされていましたが、こうした馬を神聖なものとする考え方は、高句麗や新羅、あるいは夫餘の建国始祖の神話や文献にもしばしば出てくるといいます。さらには「三国志」魏志東夷伝韓条には「不知乗牛馬、牛馬蓋於送死」という記述があります。つまり、古代朝鮮半島では牛馬を葬送に使用しているというのです。それを裏付けるように、古代の朝鮮半島の遺跡からは馬の骨が出土しているといいます。日本は、そのころはどうだったかというと、邪馬台国の卑弥呼の時代です。
簡単にいえば、高句麗は騎馬民族国家であったこと。中国の考え方の影響を受けて馬は天を意味し、神聖なものとし、生きた馬をお墓にお供えしていたかもしれないといったことでしょう。
では、なぜ鉄で馬を作ったのでしょうか。砂鉄というのは、比較的、どこでも手に入るものですが、そこから鉄という素材にするまでには技術がいります。
そこで、司馬さんの「砂鉄の道」を読む進んでいくと、中国の春秋戦国時代といいますから、紀元前7世紀ごろの「管子」という文章の中に「伐山木、鼓山鉄」という一文があるという記述がありました。日本はまだ縄文時代です。つまり、そんな時代の古代中国では、鉄を作るのに、山の木を大量に伐採し、それに火をつけて、砂鉄を溶かし、フイゴで風を送り、火力を盛んにして、鉄を作る技術があったのではないかというのです。
高句麗の人々は馬を神聖視する考え方でさえ中国の影響を受けていたわけですから、こうした鉄をつくる技術についても、当然、知っていたと考えるのは自然でしょう。貴人が亡くなると、生きた馬や牛、ときには生きた人間を、その墓に埋葬するというのは古代世界では、しばしばあることでした。しかし、ある時期から、それに代わるものとして、日本であれば埴輪が埋葬されるようになりました。同じことが、高句麗でも生きた馬の代理品として鉄でかたどった馬が埋葬あるいは奉納されるようになったのでは、というのが、私の考えです。
以上、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」と高慶秀さんの論文を手掛かりに「高句麗の鉄馬」と称される骨董について私の妄想を申し上げました。皆さんはどうお考えになりますか?
さて、明日は骨董市がありますが、夕方からはサッカーのクラブW杯の3位決定戦、そして夜には優勝決定戦もあります。また、1週間後には今年最後の骨董市も都内各所であります。さて、どうしようかなと迷ってしまいます。それでは、また。
如庵