昨日から始めた「骨董亭如庵」、さっそく2日目です。さて、みなさん、如庵といえば、何を思いだしますか?お茶に詳しい方ならば、織田有楽斎の茶室「如庵」を思いだすでしょう。また、有楽斎の洗礼名がジョアンだったことも知っているかもしれませんね。ということは、織田信長の実の弟である有楽斎がキリスト教徒だったのでしょうか。戦国末期、南蛮といわれたポルトガルやスペインからキリスト教布教のために、多くの宣教師がやってきましたし、織田信長も南蛮好きでしたし、キリスト教徒になる大名も珍しくなかったようです。したがって、有楽斎の洗礼名が、正式?には霊名ともいうようですが、ジョアンであってもそれほど不思議はありません。勘ぐれば、当時、キリスト教徒になることはクールだったのかとも妄想したりします。また、日本語には多いとはいえませんが、ポルトガル語由来の言葉があります。有名なところでは、カステラ、また、京都にある先斗町、このポントはポルトガル語では、先端とか突端といった意味だと記憶しています。合羽というのもポルトガル語です。さらには、これは妄想ですが、お城の天守も神様を意味するデウスからきているとも聞いたことがあります。
話がそれましたね。では、なぜ、タイトルを如庵=ジョアンとしたのか。ブラジル音楽が好きな方ならば、ジョアン・ジルベルトから?と思われるかもしれません。もちろん、私も好きですが、私が一番、好きなのはジョアン・ドナートです。そこでジョアン=如庵という名前をつけました。
一方で有楽斎ですが、彼は兄の信長とは、ある意味、真逆の人生を送りました。一言でいえば、天下統一などという野暮なことは考えずに、好きなように生きた方だったようです。茶の湯も茶室の如庵を建てたくらいですから、十分、楽しんだようです。有楽斎の肖像画が残っています。信長に似ていて、イケメンですが、信長の眉間のしわをなくしたような、のんきそうな顔にも見えます。信長は本能寺で亡くなりますが、有楽斎は、戦国の世を生き抜いて、その子孫たちは江戸時代に石高2万石から3万石の小大名になっていきます。
そんな極楽トンボのような織田有楽斎の生き方に私はあこがれます。
そういえば、先日、用事があって名古屋に出かけた際に徳川美術館に行きました。たまたま「茶の湯名品展」をやっていて、有楽斎の愛用し茶道具も展示されていました。それで思いだしましたが、如庵は、現在は愛知県の犬山市に移築されています。犬山といえば、犬山焼でも有名です。私も何点か、犬山焼の焼物をもっています。
話があちこちとんで、何を言いたいのかわかならないといわれそうですが、要するに私は骨董と、ジョアン・ドナートが好きなおじさんだということです。それでは、どこかの骨董市でお会いしましょう。
そのうちに、骨董の画像もお見せしていく予定ですので、ご期待ください。
如庵