「骨董亭如庵」4回目です。今朝は、早朝、雨が降ったと思ったら、8時すぎには青空も見えてきて、妙な天気でした。昼間の温度も結構、あがったようですね。
さて、今回は淡路の泯平焼です。泯平焼と出会ったのは、3年ほど前でしょうか。小さな骨董市でした。ここは、もう今では開催されていないようですが、当時は、都心で開催される骨董市としては老舗だったようです。自宅から歩いて30分ほどの距離にあるので、通っていました。業者の数は、せいぜい30店ほどだったでしょうか。ある寒い時期に訪れたときに、焼物に囲まれるように70代後半とおぼしき業者さんがいました。見るともなしに、焼物を見ていたら、大量の焼物の中に隠れるようにキラリとと光る菱形の小皿が目に入りました。色は薄緑色、業者さんに聞いてみると、淡路の泯平焼とのこと。その頃は、あまり日本の焼物には関心はありませんでしたが、聞いてみると、時代は江戸後期ではないかとのこと。幕末に、こんなきれいな色の焼物が焼かれていたとは、という素朴な驚き。これが泯平焼との初めての出会いでした。お値段を聞いてみると、懐にあるお金で十分、まかなえる額でした。さっそく譲ってもらいました。小皿に描かれた龍の文様も見事でしたが、私の驚きは、その色彩でした。また、調べると、裏に千鳥模様の文様が入っているのは、江戸期のものだそうです。その後、あちらこちらの骨董市に出かけても、目に入るのは、泯平焼の色彩です。そんなこんなで10枚近く、色違いのものを集めました。賀集泯平が淡路で技術指導して、泯平焼を広めたそうですが、1枚だけ、長崎の長与三彩を思わせる小皿がありますが、これはどうなんでしょうか。
私自身は淡路にはいったことがありませんが、なぜ、こんなにもきれいな色彩の小皿を淡路の人たちは作ったのでしょうか。泯平焼が盛んに焼かれた幕末というと、私のイメージはセピア色です。というのも今に残る当時の写真がセピア色をしているからです。私の偏見かもしれませんが、セピア色のイメージの江戸時代の末期、淡路では、こんなきれいな色の焼物を焼いていたと思うと驚きです。
さて、一時期は、底の千鳥の文様にこだわっていましたが、そんなことにこだわるよりも、泯平焼の魅力は、その色彩とふだん使いできる点にあると思いました。
如庵