骨董亭如庵 第79回 | michael-thのブログ

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 東京地方は今朝も快晴です。それほど寒くもなく、今年の冬は暖冬だということが実感できます。
 BLUE NOTEの「Sunset Sunrise」をBGMに聞きながら、昨日のブログの続きを書いています。昨日の護国寺の骨董市では、興味深い焼物は、いくつかありましたが、結果的には譲ってもらいませんでした。2月の護国寺の骨董市で、愛すべき焼物たちに再会できたら、ご縁があったということで、譲ってもらうことにしましょうか。骨董というのは、一目ぼれしたら、その場で買え、つまり「一期一会」とも言いようですが、うん、ちょっと意味が違うかな?「果報は寝て待て」という格言もあります。
 
 さて、護国寺から不忍通りを日本女子大学を左手に見ながら歩き、目白通りにぶつかる交差点のところに、酒屋さんがあります。昭和初期か大正を思わせる佇まいです。遠くに西新宿の高層ビル群が見えます。この辺の地名は目白台、まさに台地の上を思わせます。その酒屋さんの所から、急傾斜の坂道をくだるほうが、高田馬場や新宿へ行く場合には近道になりますが、急な坂道です。雪や雨の日は注意して歩かないと、転げ落ちそうな坂道です。NHKで放送している「ブラタモリ」は、私の好きなテレビ番組の一つですが、タモリさんが主宰する?日本坂道学会に推薦したいような物件です。いや、すでにタモリさんはご存知かもしれません。
 ここで、またまた京都の話ですが、平安京のあった碁盤の目のところは、坂道はありません。ほとんど平坦です。ただし、これも歩いてみるとわかるのですが、東寺や京都駅のある下京から中京、上京と緩やかにあがっていく地形になっています。無駄話ついでに、幕末に「池田屋事件」というのがありました。新選組が三条大橋近くの旅籠「池田屋」で倒幕の密議をしていた勤王派の志士たちを急襲した事件です。新選組が仮住まいしていた壬生の八木家から池田屋跡の石碑まで、歩いてみると、30分ほどでした。早足か、もしくは走れば、10分から15分ほどでしょう。

 回り道しすぎたようです。すみません。東京・雑司ヶ谷の鬼子母神のケヤキ並木の参道に、地元の方たちが運営する案内所があります。立ち寄ってみたら、面白い郷土玩具を見つけました。「すすきミミズク」は有名ですが、新たに発見したのは「寛延 むぎ藁の角兵衛獅子」と「元禄 五色の風車」のふたつです。
 まず「むぎ藁の角兵衛獅子」ですが、江戸時代の寛延年間といいますから、1700年代半ばです。鬼子母神の参道に覚兵衛長屋があったとか。その長屋に住む老婆を介護するために、娘が奉公先から長屋に戻ったそうです。しかし、生活は苦しい。そこで、娘さんは長屋の家主の納屋にあった藁束をもらい、藁人形を作って、丑の刻参りをして、その藁人形に・・・というのは冗談で、藁人形に紙の袴や太鼓をつけると、ハイ、角兵衛獅子の出来上がり。娘さんが軒につるしておいたら、評判になり、鬼子母神参詣のおみやげとして繁盛し、明治初めまで売られていたそうです。それを地元の皆さんが再現したようです。何やら、今や社会問題化している介護問題や、新たなニッチ・ビジネスやや大袈裟にいえばベンチャービジネスを先取りしたような話ではないですか。おもろいですね。「越後獅子」というのはご存知でしょうか。私の幼心に、正月の時期には、「獅子舞」が家々を回っていた記憶があります。邪気を払うとか、福を呼ぶとか言われて、その対価として何がしかのお金を包んだようです。あれも考えてみれば、農閑期の越後あたりの農家の方たちが、雪の降らない関東に出てきて、日銭を稼いでいたのでしょうね。また、「角兵衛獅子」というのは、身軽で運動神経のいい子を訓練させて、獅子の恰好でクルリと回転して見せたりするものです。さすがに、こちらは私も幕末や明治の古写真で見た記憶はありますが、実物は見た記憶はありません。まあ、中国の雑技団のようなものの日本版とイメージしていただければいいかと思います。今時、そんなことをしたら、幼児虐待になってしまいます。「獅子舞」で思いだしましたが、富山の置き薬はご存知でしょうか。これは説明の必要もないでしょう。富山の売薬商人が1年のうちの1回か2回、家々を回り、使用した薬の分をお金をいただき、足りなくなった薬を置いていくというものです。ちょっとおなかをこわしたり、風邪程度であれば、そうした置き薬で治すというのが、つい50年ほど前までの医療事情だったのです。また、富山も冬場は雪の深いところです。また、売薬商人は全国を歩いていたので、面白い情報を持っています。ときには、仲人役をつとめることもあったようです。つまり、どこそこにいい娘さんがいるとか、働き者の若者がいるとか。今ならば個人情報に触れるような事まで知っていたようです。これまた、私の幼な心に思い出があります。
 さて、続いては「五色の風車」です。これは、目白通りと宿坂通りの辻に尾張屋敷、たぶん尾張徳川家の下屋敷かと思いますが、そこに仕える酒井宇平次という人が作り、それを鬼子母神の参道に住む専右衛門という人の店で売ったそうです。鬼子母神みやげ、あるいは参拝の証として元禄年間に大流行し、喜多川歌麿の浮世絵にも描かれたそうです。つまり、元禄年間といえば1600年代後半から1700年代初めの16年間ですが、徳川5代目の綱吉の時代です。
 2つの郷土玩具、譲っていただきました。
 
 さて、話はこれで終わりません。一休みしようと思って、目に入ったのが、小さな喫茶店。入ってみると、10人ほどが入れば一杯になってしまいそうなお店です。コーヒーチェーン店も悪くないですが、こうした個人経営のお店がなくなっていくのはさみしいことです。コーヒーも紅茶も値段は高いのですが、その分、経営者の個性や趣味が自分にうまくあうと居心地がいいものです。店番していたのは20代か30歳前後のお嬢さん、カウンターに座り、紅茶を注文しました。ふと奥に視線をやると、山水画の掛け軸がかけられ、その前には、花瓶と花がしつらえてあります。さらにカウンター越しには、趣味のいいカップが並び、抹茶茶碗も並んでいます。お嬢さんに聞いてみると、お嬢さんの母君が茶道をやっているとのこと。掛け軸は中国の画家の手になるものだそうです。そんな話をしていたら、母君が登場、60代でしょうか。護国寺の骨董市へ行った話をしたり、茶道具は使ってあげなければかわいそう、抹茶茶碗に料理を盛りつけたりして使っているとか、また、お店も25年になるが、始めるのは簡単だが、続けることのほうが難しいなど、30分ほど無駄話をしてしまいました。またまた、京都の話ですが、京都も個人経営で、この雑司ヶ谷のような経営者の個性が反映している喫茶店があります。話してみると、その経営者が舞妓・芸妓さんだったりします。

 まあ、そんなこんなの正月明けの土曜日の午前中でした。明日は代々木公園の骨董市があります。自転車で行ってみようと思います。

如庵